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息子の中学受験に付き合って3年間伴走してきました。

息子は典型的な算数男子で、国語が苦手で不得手だったので、親の方でも随分研究しました。

わかったことは、中学受験国語は論理的な科目だということ。

センスで解くものではありません。

何も勉強しないのに国語の点がとれてしまう子もいますが、それは論理的な考え方が身に付いているからだと思います。

読解問題は、必ず「次の文章を読んで問いに答えなさい」と書かれています。

問題文を精読し、何が書かれているかを正確に把握できることが大前提。

難しそうな、長い文章だったとしても、結局のところ、把握すべきことは、「筆者のイイタイコト」は何か、ということ。

説明文であれば、とくに重要なのは、「イイタイコト」が書かれた段落と、その「根拠」が書かれた段落。

あとは補足や具体例、筆者と反対の主張やそれに対する批判など、あまり重要でない部分になります。

物語文でも、主人公の「心情の変化」とそのきっかけとなった「出来事」(=原因)が最重要で、それ以外の細かな描写は全て背景や伏線といった、参考情報でしかありません。

物語文でも説明文でも、イイタイコトとかストーリーは、大抵、1文で言い表すことが可能です。

一読して「ああ、そういうことね」となれば読めています。

国語が苦手な子はここができていない可能性が高いです。

そこで、子どもにやらせていたのが、毎日1題、中学入試問題の「問題文を読む」こと。

「問題を解く」のではありません。

「読む」ことに集中し、問題は解かないのがポイント。

中学入試問題になっている文章は、数ある中から各学校の国語の先生が探してきて重要な場面を抜き出しています。

読めなければ解けない、でも読めれば解けるはず。

日々、様々なジャンルの文章に触れることは有意義だったと思います。

<国語の答えは一つじゃない?>

国語は人によって感じ方が異なるので、答えが一つに決まらない。

筆者の感性に合わないと正解できない。

そんなイメージがつきまといますが、決してそんなことはないと思います。

算数と同じように「解き方」があり、答えが一つに決まります。

読解問題では、問題文に書かれていること「だけ」から回答すればよく、受験生がどう受け止め、どう考えるかは問われていません。

「筆者の考えは筆者でなければわからない」とか、

「登場人物の気持ちなんてその人物でないからわかるはずがない」

と言う必要もありません。

筆者は自分の考えを、一定のルールに従って、「読者に伝えるため」に書いています。

読み手もそれに従って読むので、人によって書かれている内容が変わることはありません。

算数で式を書いたとき、人によって計算のしかたが変わらないのと同じ原理。

読み手によって内容が変わるような文章が入試で出題されることはありません。

あくまで、ルールに従って読めていますか?ということが問われています。

書かれている内容は変わらないものの、読み手の受け取り方が少しずつ異なることはあり得ますが、それでも答えは一つになります。

文章の前後関係で「意味づけ」されるため、それ以外には意味がとりようがないからです。

読解問題の答え(ヒント)は必ず本文中にあります。

子どもは国語が苦手でしたが、得意の算数と同じように一生懸命自分で答えを考えようとしていました。

自分で考えれば考えるほど、正解からどんどん遠ざかっていました。

<国語は復習しても意味がない?>

国語は二度と同じ問題は出ないので、算数と違って気合を入れて復習しなくていい。

最初の頃はそう思っていましたが、中学受験国語について研究していくと、決してそんなことはないと思いました。

むしろ算数と同じようにしっかり復習する必要があると思います。

国語には解法は存在しないという見方もありますが、そうは思いません。

算数と同じように正解は一つに決まり、それを導くプロセスが明確に存在します。

解法を身に付けるには反復練習が有効。

「どうしてその答えになるのか」

論理的に答えを導き出す科目ですので、答えに至るプロセスの検証が重要です。

その意味で算数と何ら変わりません。

答が合っていても、考え方が間違っていたら、形を変えて問われた場合、正解できなくなります。

丁寧に復習して理解を深めるのは、算数と全く同じ。

漫然と問題を解くだけでは力は付かないと思います。

子どもの受験に付き合って国語も算数も横で見てきましたが、この2つの科目は、全く異なる別の科目だとう気がしませんでした。

国語ができれば算数ができるはずですし、算数ができれば国語ができるはずだというのが持論です。

どちらかが出来て、どちらかが出来ないということは本来起き得ないと思うのですが、あるとしたら興味の有無の問題ではないかと思います。

<受験国語は道徳?>

中学受験で出題されている文章をかなり読みましたが、そこには一定の傾向がみられました。

ある専門家が、中学受験国語は「道徳」だと言っていたことが妙にしっくりきました。

問題文のテーマは例えば、

・親の子に対する愛
・友情と信頼
・相手の考えや立場の尊重
・自分と異なる境遇にある他者への理解
・登場人物の心の成長
・異文化に対する理解
・科学技術と自然の関係
・物質的な豊かさと心の豊かさ など…。

いろいろですが、どれも「道徳的な価値観」を前提としています。

社会常識
といってもいいかもしれません。

退廃的なもの、不条理、ニヒリズム的なものは一切ありません。

どこにも明示されていませんが、それがこの科目の「暗黙のルール」になっています。

大人だったら当たり前の、社会的な「常識」を知っている必要があります。

中学受験国語の問題文を読むとき、このことを知っているかどうかで戦い方が変わってくると思います。

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