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子どもの中学受験に伴走した経験から思うのは、学校での勉強とかけ離れ、断トツに難しいので、できないことがあまりに多くなって、親も子も自信を失いやすいということ。

子どもは、難しい漢字や表現がわかるようになったり、今までできなかった複雑な計算ができるようになったりと日々進化しているのですが、親子でずっと走り続けている感じで、その変化になかなか気づきにくいです。

毎月の塾のテストでいやおうなく点数や偏差値が突きつけられました。

本来は、同じ子どもの中で「できるようになったこと」に注目して「垂直比較」するのがあるべき姿ですが、「偏差値」という、相対的な「他者比較」の世界に入り込みました。

「偏差値」は点数とは異なり、自分の力ではどうにもならないところがあります。

テストの「平均点」も「ばらつき」も本人の努力とは全く関係ないところで決まってしまうのでコントロールできません。

本人の中では確実に力がついて進歩しているのに、たまたま平均点が高かったり、ばらつきが大きかったりして偏差値が低く出ると、「伸びていない」と思ってしまいます。

塾という集団の中で、全員が走っているので、その中にいると我が子が伸びてないように「見えるだけ」かもしれません。

「同じクラスの○○君は頑張っているぞ」なんていう声掛けは最悪です。

「頑張っていない」と言っているのに等しいです。

だいいち「ヨソの子が頑張っているか」どうかなんて関係ありません。

受験では、以前よりもレベルアップすることを続けていって最終的に志望校の合格点に達すればいいのです。

塾の中での立ち位置を上げるために勉強しているわけではありません。

日々努力を続けるプロセスこそが大事で、その成果は、偏差値に反映されるかも知れないし、反映されないかも知れない。

偏差値にこだわりすぎると、努力の過程が見えにくくなります。

偏差値が上がらない=努力していない、あるいは努力が無駄だった ということではないはずなんです。

受験は、最終的にハッキリ結果が出る世界ですが、スポーツの試合のように競争相手と直接戦うわけではありません。

学校が出す入試問題との直接対決は、自分自身との戦いでもあります。

だから、本人がどうしたら目指す学校の合格点を超えることができるかに集中した方が得策です。

我が子は負けず嫌いで、身近にいるライバルを意識することが本人のモチベーションに繋がった面はありました。

でも、顔の見えない偏差値とは戦いようがないと思います。

あとは親として、いかに子どもを導いていくか、動機付けるか。

ヨソの家がどうしているかは気になるものですが、ヨソはヨソ、ウチはウチ。

子どもの勉強に伴走するやり方はどこかに正解があるわけではないので、それを探しにいこうとするよりも、目の前の我が子をよく見るしかないと思います。

他の子や他の親(家庭)と比べてもしょうがない!

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