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今更に連載洩れたネタ惜しむ 5.7.5?

南信州新聞連載作品「満洲-お国を何百里-」。
まとめきれなくて盛り込むことを断念したネタがふたつございます。機会を改めてまとめようかと思いますが、これを読んで、使われちゃうかも知れません。まあ、それでもいいか。

ひとつめは、満洲に渡った新選組関係者というテーマにしたかった。
情報がどうにも不足してしまい、原田左之助の架空の息子を用いた人食い白熊とのバトル話をやったから、その他の新選組関係者は持て余してしまった。渡満の人で有名人は、こちら。

(大河ドラマ「新選組!」沖田みつ役:沢口靖子)

あまり知られていないですが、沖田総司の姉・みつは晩年を満洲で過ごし、そこで生涯を終えています。原田左之助の場合は、伝説であったり、だったらいいなという願望にも似た、一種空想かも知れないもの。しかし、みつは実際に満洲の土を踏んでいる。

戊辰戦争が終わった明治5年。沖田みつは東京に戻り、墨田区向島の梅屋敷に居住したと伝わる。夫・林太郎(井上源三郎家の分家から沖田家婿養子)は明治15年に58歳で亡くなった。長男・沖田芳次郎は仙台の塩釜で漁業をしていた。みつは芳次郎を頼るが、漁業は失敗。明治24年、芳次郎は39歳で亡くなる。その後、沖田みつは末子・卓吉ともども長女・いしの嫁ぎ先に身を寄せた。卓吉は成長し、南満州鉄道の技手となり旅順に赴任する。みつは沖田卓吉を頼って、明治39年、大連に渡る。
明治40年11月2日。満鉄の官舎にて、沖田みつは卓吉と嫁・ハルに看取られ天寿を全うする。享年75歳。
最後の1年。日露戦争後の大連は日本統治になったばかり。満鉄本社がある大都会。みつの目から見た大連のシティライフは、どうだっただろう。情報として、大連の都市情報はどうにかなっても、肝心のみつがどう過ごしたかという動向が読み取れず、断念した。
チャンスがあれば、描いてみたい。

ふたつめは、旧満洲の温泉紀行風に、誰か文人墨客を据えようと思ったけど、まとめられなかった。ご存じと思いますが、旧満洲にも温泉はあったのですよ。
湯崗子温泉(鞍山)
熊岳城温泉(営口)
五龍背温泉(丹東)
これらを「満洲三大温泉」と称し、内地でも大いに話題となっていた。
明治 42年に夏目漱石は熊岳城温泉と湯崗子温泉を訪ねています。兵士の療養小屋に毛の生えた程度の温泉宿の様子は『満韓ところどころ』に記されるので紹介する。
手拭てぬぐいを下げて風呂に行く。一町ばかり原の中を歩かなければならない。四方を石で畳上たたみあげた中へ段々を三つほど床ゆかから下へ降りると湯泉ゆに足が届く。軍政時代に軍人が建てたものだからかなり立派にできている代りにすこぶる殺風景である。入浴時間は十五分を超こゆべからずなどと云う布告ふこくめいたものがまだ入口に貼付けてある通りの構造である。   『満韓ところどころ』(夏目漱石)
大正になると、田山花袋の『温泉めぐり』『満鮮の行楽』などに、満洲三大温泉の滞在記が紹介される。
昭和に入ると、与謝野寛 ・晶子夫妻が湯嗣子温泉を訪れている。
湯処噺というのも面白そうだったのですが、むしろ単独で、いつかやってみたいネタにしようと思ったまでです。

どのみち満洲には、この世界情勢、おいそれと取材にも行けない場所です。

え、はじまったばかりだから、まだ追加の仕様があるのじゃないかって?
そうなんですがね。
今回の作品は、少し捻った構成にしているんです。
18のエピソードと、しめくくりに、相まみえることのないそれぞれの作品の、昭和20年8月7日を描くラストにしているんです。エピソードを増やすと、8月7日のパートも増えていって、混乱する。

奇抜なことをしようとすると、
自業自得で、
首を絞めてしまう (´;ω;`)ウゥゥ

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お題が、5.7.5調なのは、ご愛敬~♪