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卒業


8月1日。
あの日から、何かが大きく変わってしまった。



去年の12月から、宗教関係者に連絡をとっていた。
5年前に自殺したヒカリの話を聞くために。
毎月毎月、既読になるだけのメッセージを送った。
「ヒカリのことを教えてください」、「お返事お待ちしています」。


その日、いつものように文章を送ると、初めて返事が来た。
「ヒカリから、生前に誰にも言わないでとお願いされていたから、教えられない」と言われた。
もう話すことのできない人の秘密を勝手に暴いてしまうことに、強い罪悪感を覚えた。
それは死者への冒涜だということも、理解していた。

しかし、どうしても、知りたかった。
ヒカリは生前に何を思っていたのか。何に悩んでいたのか。

どうして死んでしまったのか。

彼女の死に、宗教は関係しているのか。

うつ病になり、死にたいという気持ちを理解できるようになった今なら、宗教から少し遠ざかった今なら、分かることがあるはずだと思った。
彼女の気持ちに、近づきたかった。

一度は断られたものの、粘りに粘って、25時に教会関係者と電話のやり取りをすることができた。




ここに詳しいことを書くわけにはいかないが、ヒカリはその人に、家庭環境について相談していたという。
1時間ほどの電話。
理解したのは、「5年前の私にできることは、何も無かった」ということだった。


例えば、タイムスリップができたとして。
死にたい気持ちを理解した「今の私」なら、駅のホームに立つ彼女の話し相手になることはできたかもしれない。
その苦しみを、共に背負うことはできたかもしれない。

だが、彼女とともに生きていたのは、何も知らない、自分のことで精一杯の「5年前の私」だった。
できたとしても、ヒカリの命をほんの少し、ほんの1日、繋ぐだけだっただろう。
どうしたって、「5年前の私」には彼女の自死を止めることは不可能だった。


それが、分かった。


なにか、肩に入っていた力が抜けたような気がした。
ずっと「私に何かできたはず」だと考え、何もできなかったことを悔いてきたからだ。
しかし、蓋を開けてみれば結果はこれだ。
ヒカリが自死を選ぶほど悩んでいたのは、家族のことだった。
軽率に踏み込んではいけない問題。「私」にはどうやっても解決することのできない問題だったのだ。


もちろん、ヒカリと一緒に合唱コンクールに出場して、ヒカリが高校を卒業し、ヒカリが成人式を迎えられたなら、私は彼女が死んでしまうよりずっと良かった。
それはもしかしたら、彼女に生き地獄を歩ませるだけだったかもしれないけれど。


「しょうがなかった」なんて思いたくない。
あなたと一緒に生きていたかった。
その気持ちは変わらない。



そして、その結果は同時に、私の心に大きな穴を開けた。


家庭内で天国を作りましょう。

散々聞かされてきた言葉。
私や彼女が信仰していた宗教が、大切にしていたもの。


その「家庭」に、ヒカリは殺された。
信仰に殺された。


なんで幸せを求める宗教の教えで人が死ぬの?
彼女が信じた神様ってなんだったの?
私の家族が信じている神様って、なんなの?
信者を救うどころか、自殺に追い込む宗教って、なに?


神様なんていないんだ。

いないものを信じていた私にも、今も信じている両親や姉にも、失望した。
そのために使われたお金も、これまでの人生も、全部全部、無意味だった。

支えにしてきたものが霧散していく感覚。
私の中にいるとされた神様は、砂へと変わり、風に吹かれて形もない。

虚構を信じる家族に、虚構に人生を狂わされた家族に、虚構に救われた家族に、私自身に、虚しさを感じた。


それから約2週間。
何をしても感情が動かない。身の回りの世話をしてもらっても、なんの罪悪感も湧かない。
全てがどうでもいい。
そうやってただ生きていた。

この期間に不安時の頓服を飲んだのは、片手で収まる回数だったと記憶している。

こうして私の中の神は死んでいった。
しかし、体を縛りつける鎖は、そう簡単に切れてはくれない。


魂が抜けたように日々を過ごす中で、少しずつ、ある考えが浮かんできた。

もうすぐお盆だ。
家族全員が揃う。その時に、みんなを殺して私も死んでしまおう。
包丁は通販サイトで買えば良い。私が開封しなければ、勝手に人の荷物を開ける人間は我が家にはいない。
みんなが寝静まったら、一人ずつ刺し殺して、私も死のう。


私たち一家が死ねば、この宗教の異常性を世に知らしめることができるかもしれない。

そう思った。

私の理性は、止めろと言ってくる。
人生で培ってきた倫理観や道徳心が、いけないことだと訴えてくる。


「だから何?」

それが私の気持ちだった。
みんなの未来も、喜びも幸せも、どうでもいい。
死んでくれ。私のために死んでくれ。


結局その計画は実行しなかったけれど、お盆が明けて兄が自宅へ帰った後、抑えていたものが爆発するように、自傷行為に及んだ。
家族を殺そうなんて考えてしまったことが、ショックだった。

大金を躊躇なくゲームに注ぎ込んだ。
左手に熱湯をかけ、火傷をさせた。
大きな引っ掻き傷を両腕に作り、半袖で外出できなくなった。


馬鹿なことをしたと、後からとても後悔した。
特に、自分のためだけによく考えもせず大金を使うなんて、おかしいとしか言いようがない。
家に入れる2ヶ月分のお金を、たったの数分で使い切ってしまった。
自己嫌悪が自己嫌悪を呼び、私は再び鬱の嵐の中へ放り出された。



この一件で、家にいることが嫌になった。

教祖の写真が置かれている祭壇。宗教に関連した本で埋められている棚。開けたことのない謎の箱。玄関に置かれている壺。

食事前の祈り。朝、祭壇に向かって土下座を繰り返す父。体の中の悪魔を外に出すための儀式へ向かう母と姉。日曜になると聞こえてくる礼拝の声。


心底気持ちが悪いと思うようになった。
もともと嫌悪感を抱いてはいたが、こんなにひどいのは初めてだった。

母と話したくない。父と一緒にいたくない。目も合わせられない。家族で食卓を囲みたくない。
1人でいたい。1人になりたい。


大好きだった。
父も母も私を愛してくれている。私もそうだった。
それなのに、今はそう思っていたことにすら気持ち悪さを感じる。

両親のことが嫌いになっていく。憎くなっていく。


思い出すのは、うつ病になって初めての冬。私は両親のどちらかと手を繋がないと、怖くて外へ出られなかった。
母の手はいつも温かい。父の手は小さいけれどプニプニしていて、触ると気持ちいい。

この手の感触を、温度を、一生忘れたくないと思った。
この病気が治って、いつか2人が助けを必要としていたら、私が絶対にその手を取る。
そう誓った、あの夜。


これ以上、父や母と一緒にいられない。
あの時の思いが、両親への愛が、全て憎しみへと変わってしまう。

そのことが悲しくてたまらなかった。
嫌いになりたくて嫌いになったんじゃない。憎みたくて憎んだんじゃない。
大好きなままでいたかった。


だけどもう無理だ。
彼らへの情が残っているうちにここを離れなければ、私は本当に壊れてしまう。
この家では生きていけない。


しかし、一人暮らしをするお金は無い。
うつの症状で何もできない。外出すら1人ではできない。

神奈川の兄には、自宅が事故物件になると困るからと断られた。
noteで知り合った方が2人、うちへ来て良いよと誘ってくださった。魅力的な話だったが、恐らく主治医からの許可が下りないだろう。それに、彼女たちに直接関わって死んでしまったら、きっと深い傷を負わせてしまう。


障害者手帳を取得してグループホームを利用することも考えた。
個室が与えられるものの、食事はホーム利用者と一緒に。レクリエーションも行うところが多いようだ。
そんなの、想像するだけで嫌だ。まるで過去に経験した宗教の合宿セミナーのような環境だ。
念のため主治医に相談すると、基本的に現在住む家がある人は、入居対象にならないらしい。


そうなると、もう入院しか考えられない。
1、2週間程度なら、貯金は無くなってしまうが自分で払えないほど入院費はかからないようだ。

こうして私は、真剣に精神科閉鎖病棟への入院を考え始めた。


今日、入院するか否か、相談員の方に報告をした。
散々考えていろんなことを調べて、入院はしないという結論を出した。
その経緯は、また別の記事にしようと思う。


こんなに死にたいのに、生きるためにどうするかを考えている。
私はどうしたいんだろう。死にたいのに。


ヒカリへ
落ち着いたら、あのホームへ花を供えに行きます。遅くなっちゃってごめんね。
あなたに会って、話がしたいな。勝手にあなたの秘密を聞き出したことも、ちゃんと謝りたい。
あの日にできなかった話を、今の私としてくれたら嬉しいな。そんなの意味ないよってあなたは怒るかもしれないけど…。
本当に、遅くなっちゃってごめんね。遅すぎたね。なにも間に合わなかったね。
あなたが暖かくて、明るくて、優しい場所にいることを、今日も願ってるよ。

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