家族からの退職物語 4 諏訪大社で思ったこと 人が争う根本原因は所有という感覚だと思う

僕の住む家から車で30分位の所に全国の諏訪神社の総本山である諏訪大社がある。
諏訪大社には諏訪湖を挟んで諏訪市に諏訪大社上社
そして下諏訪町に諏訪大社下社がある。

諏訪大社上社に祀られている神様は健御名方命で
諏訪大社下社に祀られている神様は八坂刀売命という女性の神様だ。
健御名方命は出雲大社の大国主命の子どもの1人だ
天照大御神は出雲の国を気に入り、大国主命に対して出雲の国を天照大御神に献上するように伝える。
大国主命は自分の子どもたちに相談させて欲しいと言って一旦帰る。
他の子どもたちは天照大御神には逆らえないので
出雲の国を天照大御神に献上すべきだと言ったが
健御名方命だけは天照大御神の横暴許すまじと
天照大御神に抗議に行く。
天照大御神には誰も恐れをなして逆らえなかった 神様界一の力持ちの神様がいた。
健御名方命はその神様に1人で立ち向かうが右腕を
もぎ取られるという大怪我をして出雲の地から伴の
神様と一緒に出雲の国から逃げる。
健御名方命は水を司る神様でもあり、水のある所では物凄い力を発揮する。
結局、諏訪湖のある諏訪の地で暮らすこととなった

当時の諏訪の人たちは、偉い神様が来てくださったということで健御名方命のために諏訪大社を建てる
諏訪大社上社には本宮と前宮がある。
本宮には健御名方命、前宮にはお伴した神様が祀られている。
一方、諏訪の地には古来より諏訪の地を守り続けて来た八坂刀売命という農作物の恵みをもたらす女性の神様がいた。
諏訪の地に飢饉がなかったのは、この神様がお守りしてくださっていたからだとも言われている。
諏訪の人たちは、自分たちを守り続けて来てくれた
八坂刀売命も同じ様に大切にしようと諏訪大社下社を建てた。
諏訪大社下社には秋宮と春宮がある。
農作物が最も収穫されるのは秋と春。
八坂刀売命は秋から冬は秋宮に春から夏にかけては
春宮にいらっしゃる。

僕は住んでいた場所の関係から初詣も娘たちお宮参りも七五三も、あるいは自分の受験の合格祈願も全て諏訪大社下社で行って来た。
葬儀の会社に勤めている友人に、神社でお葬式をする人もいると聞いた。諏訪大社もお葬式を行ってくれると聞いた。
お坊さんではなく神主さんが葬儀を行なうらしい。
久しぶりに諏訪大社下社に行ってみた。
お参りの後、諏訪大社下社の境内で少し休憩した。

諏訪湖は冬になると全面結氷することがある。
そして御渡りという健御名方命が氷の上を歩き八坂刀売命に会いに行く時に出来るといわれている表面の氷が筋状に盛り上がる自然現象が現れる。
ロマンチックな伝説ではあるが・・
だが、八坂刀売命は元々農作物の恵みをもたらす神様、農作物は太陽の恵み無しでは実らない。
果たして太陽神である天照大御神に背いた健御名方命を素直に受け入れただろうか?
健御名方命も何も氷の上を歩かなくても八坂刀売命に会いに行くことは出来る。

諏訪大社は日本の奇祭と呼ばれる御柱祭が7年に1度行われる。
生前、岡本太郎さんはこの祭りに参加し、この祭りは、まさに縄文文化だと仰った。

縄文時代は狩猟社会だった。
獲物を獲り食べていた。当時冷蔵庫はなかったので 食料を貯蔵することは出来なかった。
獲って来た食料を食べ終わると、また狩りに出かけた。

食料を貯蔵する、何かを蓄えるということがないと 
所有という感覚は生まれないと聞いたことがある。
つまり、縄文時代はこの食料は自分の物、この女の人は自分の彼女、という感覚がなかった。 
つまり、獲って来た食料は全員で平等に分け合って食べていた。
自分の彼女という感覚がなかったため、夜は俗に言う乱交状態、産まれて来た子どもの父親が誰か分からなかったため、男は全員で協力して産まれて来た子どもの子育てに参加した。

弥生時代、正確に言うと農耕社会になり、食料を貯蔵出来る様になると、この食料は自分の物、この土地は自分の物、この女の人は自分の彼女という風に所有という感覚が生まれた、と聞いたことがある。

縄文時代には世界の他の国に引けを取らない位の文化が栄えていたという。縄文土器はその当時としては見事な芸術品だという。
そして、縄文時代には、これといって日本国内で大きな争いのあった形跡がないらしい。
日本国内で大きな争いが起きる様になったのは、
弥生時代以降だ。
巨大な前方後円墳等は沢山の富を所有した者のお墓だ。
誰の言葉か忘れてしまったが
戦争は誰の物でもない富によって引き起こされる
という言葉まである。

ジョンレノンの名曲イマジンにも 
想像してごらん、
所有というものがない世界のことを。
という歌詞もある。
世界平和を実現させるためには、世界中が日本の
縄文時代になるしかありません。 
などと言うと、奥様のオノヨーコさんに怒られそうだが、本当にそれしかない気がする。

僕は男だから尚更だが、また昭和生まれの男だから
自分の奥さん、娘たち、また家族というものに
所有という感覚を持っているのは明らかだ。

所有という感覚を無くして家族というものを考えてみたら? と思った。
僕は、自分が歳を取ったら住みたいと思っている
軽井沢の街に1人で出かけてみることにした。


つづく





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