子育てエッセイ : 子どもに普通というものを教えるのは難しい(普通という言葉ほど曖昧な言葉はないと思う)

僕はふたりの娘を育てていろんな思い出がある。
娘たちから質問されて、正直答えられないこともあった。
そういう場合は、娘たちに宿題にさせてもらい、
後日改めて答えた。

結局、答えられないこともあった。
そのひとつが、普通って何? という質問だ。

普通という言葉ほど曖昧な言葉はないと思う。
普通と言えば普通だとしか言いようのない言葉でもある。

普通というのは、ちょうど中間あたりだと言う人がいるが、普通=平均値ではない。
例えば平均年収を600万円だとした場合、
ある人は600万円を高いと思い
ある人は600万円を安いと思い
ある人は600万円を、そんなものだろうと思う。
この場合、平均年収600万円を普通だと思うのは
そんなものだろうと思う人だけだ。

普通の生活と言う人がいるが
ある人は一戸建ての家に住んでいるのが普通の生活 
ある人は賃貸マンションに住んでいても普通の生活だと思っている
一戸建ての他に別荘を持っていないと普通の生活ではないと思っている人もいるかもしれない。

つまり、人それぞれが思う普通というものがあるのであって、社会全般でこれが普通ですというものは 
存在しないような気がする。

僕は娘たちからのこの質問に困り、
当時小学校の教師をしていた従姉弟に聞くと、
こんな答えが帰って来た。

確かに子どもは普通が分からない。
実は教師も子どもたちに普通を教えることが出来ない。
それは、子どもたちに教えるための普通というものの定義がないから。
子どもたちは成長するに従い、自然とその子の普通という感覚が生まれて来る。
それに任せるしかない。

結局、娘たちには、僕の従姉弟の説明をそのまま伝え、娘たちは、大きくなったら分かるんだね、と
納得してくれたので、僕はホッとした。
子どもからの素朴な質問にはハッとさせられることがある。




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