恋愛エッセイ : 曖昧な関係というのもいいと思う(男女の友情は成立するか?という論議は止めにしていいと思う)

男女の友情は成立するか?という論議は、もう30年以上されている気がする。
なぜなら僕が結婚する前から言われているからだ。
ということは、昭和の時代から論議されていることになる。
平成を生き令和の時代になっても生きているということだ。

僕にとって本当に仲の良い異性の友達はひとりしかいない。その女性は僕の実家の隣の家の娘さんで、
所謂幼なじみ。しかもその女性とは、お互いにお互いが好みのタイプの異性ではない。同じ部屋にいてもお互いに何も感じない。
こういう例はごく僅かでしかないと思う。

男はなるべく多くの子孫を残そうとする本能を持っているから、女性と親しくなれば性欲が湧く。
性欲を持った時点で、少なくとも友情ではない。

そもそも、なぜ男女の友情は成立するか?
と白黒つけなくてはいけないのだろう?
白でもなく黒でもなく、どちらでもない状態を好む日本人にしては珍しいことだとも思う。

恋人なのか親友なのか分からないなら、分からないままの状態でいいと思う。そこで、友情か否か、
白黒させる必要などないと思う。 
恋人なのか親友なのか分からない曖昧な関係を楽しんでしまえばいいと思う。

曖昧な関係というのは、言葉は悪いかもしれないが
いつでもスリリングだと思う。いつ男女の関係が始まってもおかしくない状態でいるわけだから

でも、曖昧な関係というのは、どちらかが、その関係に耐えられなくなり、はっきりとさせようとした時点で終わりになる。
大抵先に耐えられなくなるのは、子孫をなるべく多く残そうという本能を持った男の方が多いような気がする。

男女の友情は成立するか?という論議はもう止めてもいいのではないだろうか?
そんな論議をするよりも、恋人なのか親友なのか分からない曖昧な関係を楽しんだ方がいいと思う
もしかしたら、そのまま結婚するかもしれない、
それとは逆に、どちらかが耐えられなくなり破綻する運命もかもしれない。
でも、それでいいのでは?と僕は思う。
男同士の友情だって、死ぬまで続くものは限られている。ましてや異性なのだから。

僕は曖昧な関係というのは、いい関係だと思っている。曖昧だからこそ素敵、曖昧だからこそ楽しい、
そして曖昧だからこそ幸せ、ということもあると
僕は思う。
曖昧な関係を、みんなもっと受け入れるべきだと思う。
多くの人が受け入れれば、全く違う価値観が生まれるかもしれない







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