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『翠子さんの日常は何かおかしい』第33話 玉藻前の世界(その2)

 仄白く光る九角形の床に三人は転移した。一辺に一基の鳥居が立ち、全てが黒い。
 女性はゆっくりと周囲を見て回る。立ち止まって暗がりの奥に顔を突っ込んだ。
「何も見えないぞ。奥に道があるのかもわからんな」
「姉御、ここは本当に野外なのでしょうか」
 竜司は空を見て言った。月は出ていない。星の瞬きもなく、濃淡のない黒が広がっていた。
「どうだろう。当て物じゃないけど、どの鳥居がアタリなのかな。全部がハズレは……さすがにないよね?」
 翠子の問いに即答する者はいなかった。女性はドカッと腰を下ろす。立てた膝に腕を載せた。
「あの~、姉御。俺が鳥居の奥を見てきましょうか。亡霊は人間と違って死なないので」
「いや、死ぬぞ」
 女性は片方の口端を吊り上げて言い切った。竜司は即座に非難するような強い目を向ける。
「さっき、言ったじゃないですか。人間の癖を忘れたら」
「程度によるぞ。オレが軽く小突いた程度であれば問題ない。今の小僧の胆力だと確実に死ぬぞ。この場合は消滅だが」
「だから、どうして言い切れるんですか! 試してみないとわからないじゃないですか!」
「試したぞ」
 女性はショートの金髪を両手で掻き上げた。首には浅黒い締め痕が残されていた。引き攣れた皮膚の一部が破けて血が滲む。
「オレでなければ凄まじい呪力で首を落とされていたぞ」
 白い歯を見せて笑った瞬間、痛々しい痕は綺麗に消え去った。
「あんたが覗いた鳥居は除外するとしても、八分の一の確率はかなり厳しい」
「大博打になるぞ」
 他人事のように女性は言った。翠子は天使と見紛う微笑みを浮かべた。
「正攻法の場合ね。ほんの少し人の道を外れるけど、確実な方法があるわ」
「そうなのか? オレにはさっぱりわからんぞ」
 翠子は女性の胴体に右腕を回し、ひょいと抱えた。手足をぶらんとさせた状態で相手は溜息を吐いた。
「嫌な予感しかしないのだが」
「大丈夫よ。あんたの首は頑丈だから」
 翠子は鳥居の暗がりに女性の頭を突っ込んだ。全てを試して、どう? と聞いた。項垂れた首筋は複数の締め痕で黒と赤が混ざり合う。
「さすがに痛いぞ。残念なことに全部がハズレだ」
「なんでよ! 私達は招かれたのに!」
 怒りで燃え盛る双眸が竜司へと注がれる。
「ほ、本当に招待されたんですって! 姉御に招待状を渡したじゃないですか」
「このヒラヒラが、なんの役に立つのよ!」
 翠子は取り出した短冊を乱暴に振った。目にした女性は抱えられた状態でくるりと回って奪い取る。書かれた字に何度か頷いた。
「解呪の札ではないか」
「えっとー、どういうことなのかな」
 翠子は女性をそっと下ろした。取り繕ったような笑顔はどこか弱々しい。
「見せてやるぞ」
 首をゴキゴキと鳴らしながら女性は鳥居の柱に短冊を宛がう。特に変化は見られなかった。順々に試していくと、一基の鳥居が赤く染まった。奥に次々と朱塗りの鳥居が現れ、不規則なジグザグの道を完成させた。
「わー、すごーい。赤い鳥居がとても綺麗だね」
「言うことはそれだけか」
 女性は自らの肩を揉みながら冷やかな目を返す。
「……ごめんなさい」
「許してやるぞ」
 腕白な少年を思わせる顔で笑った。翠子は、どうも、と軽く頭を下げた。
「道が開けたことだし」
 翠子は赤い鳥居を潜った。他の二人も続いて歩き始める。
「それにしても、いくつ鳥居があるんだ?」
 徐に竜司は数え始めた。長くは続かない。三千を超えた辺りで口を噤んだ。溜息を吐く回数が急激に増えた。
「なんでこんなに長いのよ」
「試されているのかもしれないぞ」
 翠子の横に女性が並び、僅かに前に出た。
「なんのつもりよ」
 横目で睨んで抜き返す。女性は再び真横に付けてニヤリと笑った。
「ただ歩くだけではつまらない。そうだろう?」
「あんた、急ぎ過ぎて足を踏み外しても知らないわよ」
「油断しているのは翠子ではないのか」
 二人は横目で見ながら加速する。間もなく肩をぶつけ合って走り出した。
「待ってくださいよ!」
 急速に小さくなる二つの背中に竜司が叫ぶ。両腕を大きく振って追い掛けた。

 翠子と女性は鳥居の道を走破した。途端に横幅が広がる。道端には狛犬の狐の石像が等間隔で置かれていた。二人の接近に伴い、ゆっくりと動き出す。口から青白い炎を吐き出し、低い姿勢で一斉に身構えた。
 翠子は走る速度を上げた。女性は難なく付いてくる。
「今度は力勝負を仕掛けるみたいね」
「肩慣らしに持って来いだぞ」
 二人は視線を合わせて不敵な笑みを作る。数秒後、蹴りや拳が矢継ぎ早に繰り出され、破砕音が辺りに鳴り響いた。
 かなり遅れて竜司が鳥居を抜けた。
「な、なんだ、これは!?」
 粉々に砕かれた狐の石像が一帯に散乱していた。避けるようにして奥へと向かう。
 前方に巨大な鳥居が見える。白塗りで神々しい印象を与えた。その手前に翠子と女性が笑顔で待っていた。
「やっときたよ」
「小僧、待ちくたびれたぞ」
「すみません! お待たせしました!」
 三人が揃った。翠子を中心にして横並びとなった。
「じゃあ、行きますか」
 翠子の声に二人が同意の笑みを浮かべる。

 鳥居を潜った瞬間、三人は煌びやかな光と喧騒に包まれた。


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