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複雑性PTSDな私の職業適性ってなんだろう
同じところに長く勤めていることがしんどい。そうハッキリと自覚するようになったのは、ごく最近のことかもしれない。勤めているのが、というのは、業務内容云々を指してはいない。私は、同じ人間関係の中に長く留まり続けることが難しいのだと思う。
複雑性PTSDと診断されたのはつい2週間前のことだ。なんとなくそんなような性質があるのだろうと自覚はしていたが、改めて診断名をつけられるとそれはそれで複雑な気持ちになった。やはり自分は普通ではない環境で育った普通ではない人間なんだという絶望感と、もう無理をして普通のフリをしなくて良いんだという安堵感と、それじゃあこれからの人生をどうしていこうかという不安と期待とが、今は入り混じっている。
これまで、国家資格を活かした医療従事者として、正社員で長く勤めることを目標に働いてきた。が、一所で長くもって3年半だった。どこに勤めても私は、人間関係の機微に苛まれ、ストレスを溜めては体調を崩して欠勤し、いずれ限界を感じて退職するというルーティンから抜け出せずにいた。
合わない場に無理して留まることはないと開き直って転職を繰り返してきたが、片や新卒から10年以上同じ職場で活躍してキャリアを積んでいる友人を前にすると、自分が社会不適合者に思えて溜息が出た。どんな風に慰められても劣等感は拭い去れなかった。
人と接していると、どうあっても虐待のトラウマが想起される。どんなに良好に見える関係性の中にも、些細な違和感を見つけようとしてしまう。一瞬眉間に皺が寄ったとか視線が逸されたとか声のトーンが変わったとか、不機嫌そうに見える欠片を敏感に拾い集めることで暴力から逃れようと努力して生きてきた術が、染み着いてしまってどうやっても離れない。優しく親切な友人と過ごす穏やかな時間にさえ、辛い過去の面影を探し出そうとしてしまう。そういう風に作られてしまった。
一方で、自分自身を理解することは強みにもなる。
私は決して仕事ができない人間ではない。物事には真面目に誠実に取り組むことでき、試行錯誤や問題解決の能力も持ち併せている。マイペースに物事に取り組みたいが故に急かされることへの苦手さはあるものの、危機管理能力に関しては持ち前の性質からずば抜けて高いように思う。業務におけるミスはほとんど起こしたことがない。とにかくネックになるのは継続的な人間関係から生じるストレスであり、そこから二次的に繰り返し起こる体調不良だ。
そうなれば、私の適職というのは自ずと絞られてくる。短期的な契約で労働環境がリセットでき、他者との協働が極力少なくて済むものだ。あるいは、完全に自立して行えるような在宅ワークであれば長期間就業も可能かもしれないが、残念ながら私にその類の能力や経験はない。それに最近は、自然豊かな環境に身を置くことに強く心が惹かれる。人間関係のしがらみから解放されて、心の赴くままに風を感じ大地を感じて生きていく人生に憧れてやまないのだ。
昨日、退職願を提出した。数ヶ月続く体調不良と早くおさらばできることを祈っている。いや、数ヶ月というのは一旦ここ最近に区切った表現であって、この不調自体は幼い頃からずっと私と共にあるものだが、それはまた別の話。
今度退職したら、二度と医療従事者には戻らないつもりでいる。数ヶ月程度の期間限定リゾートバイトをしながら各地を転々として、自然を感じながら自由に生きてみたいと思う。根無草のような生き方は不安定かもしれないが、どこに居たって自分をストレンジャーだと感じてしまうパーソナリティを誤魔化すためには、むしろ自らストレンジャーになりにいくのが得策のような気が今はしている。
仮にこれから1年ずつ47都道府県を回ると想定して、60歳までに全国を回り切ることはもうできない。私はもっと広い世界を知り、何より自分を認めてあげられる生き方を探しながら、残りの人生を送りたいと思う。
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