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大学の授業中に号泣、先生とバトルした話。


今回は、
ふと思い出した、大学3回生の頃のお話をひとつ。


もう3年も前のお話ですが。笑


教員免許の取得

私は、大学において教員免許を取得した。

学校の先生になりたい!
から、取得しようと思ったのではない。


私は学校が嫌いだった。


でも、生徒視点だけで学校をみただけで、
それだけで、学校というものを批判し続けるのは

なんか違うな。

そう思って、

学校というものがどのように形作られているのかを
教員免許取得を通してみてみようと思ったのだった。


教員になるつもりのない者は、
教員免許を取得するな。


大学ではこのようなことをよく言われた。
(大学側から)


たしかに教員免許取得においては、
複数の実習先の、複数の方々が関与してくださる。


その方々の労力を無駄にするのか!

とまぁ、大学側はそのような考え。


けれども、
私は私の考えのもと、自分の将来のためにもなると思ったし、
教員になることだけが、教育に寄与することでもないとも思っていた。


というわけで、諦めずに取得のための勉強を進めました。



数学を選択

私の所属していた学科では、
音楽、美術、体育の中高一種免許しか取得できないことになっていた。


他学科に授業を受けに行って、
他の科目の免許を取得することは禁止されてはいないものの、


時間割の都合上、取得の可否については保証できないと言われていた。

しかも、私はその学科の1期生だったので、先例もなく、、。


取得できるかどうかは、ある意味自分の工夫次第だった。

音楽も好きだから選択肢の一つとしてはあったが、

けど、、、
数学がとりたかった!笑


関心が移ったから文系学部に所属することにしたものの、
元々得意で大好きだった数学にもう少し触れたいと思っていた。

というような感じで、
免許に必要な授業だけを抜粋して数学系の授業を受けることにした。


本当に必要な単位だけの履修だったので、
本来その前段階で勉強すべきことがすっぽり抜けた状態ではあったが、

なんとか補いながら進めていった。
(結局、本人のやる気次第だなぁと)


先生だったら出来て当たり前


数学は好きだったから、
授業も楽しいものが多かった。

が、

その中で、忘れられない出来事が一つある。


ある授業で一つ課題が出された。
来週までにやってくること。というもの。


期限も、内容も、覚えていた。
けれど、やるべきプリントが見つからなくて、

無くした?もしくは、もしかして配られていない?
とも思いつつ、

別の紙に課題を進め、次の授業に持参した。


そして、授業の際、先生に事情を説明した。


すると、


「当たり前にすべきことが当たり前にできないのであれば、教師になるべきではない」


先生からそのように言われたのであった。


そして、その先生は全員の前で、

当たり前に従うこと、
当たり前のことが当たり前にできることが教師にとって大切なことだ


という内容をコンコンと話し始めたのであった。


確かに、私が課題をきちんとこなせなかったことは改善すべき事柄である。


けれども、
果たして本当に教師は、
疑問をもたず、当たり前に従い、その上で完璧であらねばならないのだろうか?


もしそうであるならば、
どれだけ気をつけても不注意などでミスをしてしまう私は教育者には向いていないということになる。


当たり前が難しいことを改めて突きつけられたショック

教員養成課程でこのようなことを言われる現実

絶望で涙が止まらなくなった。

そんな私を放置して授業は進行していく。


私は耐えられなくなって、先生に声をかけて教室を出た。


授業後、先生と話すことになったのだが、

先生の主張は、

そういう人がいることは分かるが、
でも教師はそうあってはならない。

であった。


私ももう先生と話すことを諦め、
テキトーに話をまとめた記憶がある。



理想を追い求める/求められる先生たち

教師になる多くの人たちは、

学校が好きだった。楽しかった。

という人が多い。

そしてその人たちは、学校をより良いものにしよう、
自分は完璧にならないといけない


と、理想を追い求める傾向にあると周りを見ていて思う。

けれども、先生だって1人の人間だ。


完璧なんてムリだし、
間違うことも失敗することもある。


完璧な姿をみせることより、
そういう、不完全さも含めて見せていくことが、
すこし先を歩く人間として求めれることなのではないだろうか?(個人的意見)


私の一番の先生。

ちなみに、私がこれまで出会ってきた中で、
1番好きな先生は、

パチンコばっかり行ってるし、
遅刻常習犯だし、
朝部活に行ったら、牛丼食べに行こうぜ!とか言ってくる
無茶苦茶な人。

子どもの頃は、先生なのにもっとちゃんとしなよ!
って思っていたけれど、

とは言いつつも、なぜか憎めなくて、

今思うとそれはきっと、
良くも悪くも嘘偽りない姿を見せてくれて、
その上で対等な人間として関わってくれたから。

大人によく垣間見ていた、ずる賢さを全く感じなかったから。


その先生とは今も仲良し。


さすがに先生も少し大人になって、
ヤバい行動は減ってきているように感じるが、

根本は変わっておらず、

関わっていて安心できる人だ。


とまぁ、私の場合はこの先生がすごくあっていたというか、
スキだったというか。


結局、生徒も多様なのだから、
先生、教師も多様であるべき。


そんな社会になっていけばいいな。





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それでは!

あみ。



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