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小説:狐

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『狐』 ジブラルタル峻 作 2024年2月6日、30投稿にて完結。
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#私の作品紹介

小説:狐005「古びたジャージ」(576文字)

「カズミちゃんだって暇じゃないですよ。そう都合良く来るはずないですから」  マニさんが分かったような、知ったようなことを言って諭そうとする。スミさんは口を尖らせて下を向く。明らかにマニさんのほうが若いだろうに、スミさんよりも大人びた物言いだ。いやマニさんは元々少し背伸びしたことを言おうとしがちで、それに加えてどこかスミさんのことを下に見ているふしがある。  確かにスミさんはいつもお決まりの古びたジャージを来ているし、言動もがさつだ。外見やふるまいから、品格のようなものを感じ

小説:狐006「前衛芸術」(647文字)

 仕事で信じられないミスをして落ち込んだ日の『狐』にて。 「ナリさんよぉ。病人みてーな顔すんなや。人生なんてあっという間だぞ。悩む暇があんなら笑えや。苦しむ暇があんなら踊れよ」  スミさんはそう言って、ぎこちなくも陽気な盆踊りに似たステップを踏んでみせた。それは盆踊りとは明らかに異なるふるまいで、憤怒と歓喜を同時に表現したような前衛芸術を思わせるものではあるものの、決して前衛芸術などではなかった。その狂気を存分に吸い込んだ珍奇さと滑稽さに満ちた舞いは、私の胸に突き刺さり、心の

小説:狐007「ヒトエさんとタロウさん」(830文字)

「ナスは闇でしょ」  ひときわ大きな声が響いた。その声の主はタロウさんだ。 「いや、どう考えても光属性じゃない?」  そう応じるのは、ヒトエさん。 「またお前らか。ったく仲がいいねえ」  とスミさん。  タロウさんは日本最高ランクの大学を目指す浪人生だ。『多浪』中らしいので、みんなからタロウさんと呼ばれる。ただ『狐』にちょくちょく来ているところを見ると、合格には程遠いのではないかと思われる。本人も実は本気ではないのかもしれない。  ライターの仕事をしていて何とかそれで暮らせ

小説:狐008「エロウさん」(693文字)

 また私は来た。いや帰ってきたのかもしれない、この『狐』に。ここもまた私の家であり、巣なのだから。 「コミコングの客がガンガン書き込みするからじゃないかな」  エロウさんが喋っている。 「でもどうだろう。上の階だよね。そんなことで表示されなくなんのか」  アーマーさんは太い腕を組む。  いきさつは分からないのだが、『狐』はインターネット上の地図に表示されない。都内でも有数の大都市、それも駅近に店を構えてはいるのだが。その表示されないことを議論しているようだ。  エロウさん

小説:狐009「来店客」(998文字)

 開きつつある扉。誰だろうか? 時刻は、20:45。あらゆる可能性が押し寄せる。  スミさん説 「おう! ナリさん。調子はどうだ? お、今日は飲みもんにタコワサついてくんのか! おいら好物なんだよなあ。マスターいつものー」  きっとこんな調子だろう。尚、このたこわさびは私が注文したものであって、自動的についてくるものではない。  マニさん説 「ナリさんこんばんは。先日学園祭で来場者参加型のクイズ大会やっていましてね、優勝してきました」  だいたいそんな感じだろう。はい。よ

小説:狐017「シンジさん」(621文字)

「マスター、久しぶりー。カルーアちょうだい」  その声を聞いてマニさんが分厚い本から視線を上げる。 「シンジさんじゃないですか」 「やあマニさん、みんな! あとそっちのお嬢さんたちは新顔だねー」  シンジさんはいつも外向的だ。ハンチング帽を被っている。年齢的にはスミさんよりも上だと思う。年金暮らしで旅行が趣味らしい。それ以上のことは知らない。その点では常連客の中ではかなり疎遠な方だと言える。  お嬢さんたち、と呼ばれた二人の“非”常連客は軽く会釈をする。赤いセルフレームメガネ

小説:狐018「怪談とマニさん」(545文字)

「フン! くだらないですよ」  シンジさんが帰ったのをいいことに、マニさんが顔をしかめて語る。 「陀田トンネルに限らず、だいたいの心霊スポットなら、“いないはずの女性の叫び声が聞こえる”なんて、よくある話じゃないですか。これは知っているとか知らないとかそういうレベルの案件じゃありませんよ!」  マニさんが感情を露わにする。“陀田トンネルでは、いないはずの女性の叫び声が聞こえるという噂がある”というところまで押さえていなかった自分に腹を立てているのだろうか? 彼は知性、いや知識

小説:狐020「本当の怖さ」(708文字)

「シンジさんの話だけどさぁ」  エロウさんがレッドアイを飲みつつ喋る。 「定食屋のエピソードのほうが怖かったな。アタシにとっては」  シンジさんとしてはどうでもいい話だったのだろうが、確かに気になる。だいたいこんな話だった。  *  その定食屋に入るシンジさん。常連と思しき中年男性が一人、カウンターで肉野菜炒め定食を食べている。彼がシンジさんに語りかける。 中年男性「あんた、見慣れないねえ。東京から来た? あ、そう。あのね、新しい時代に入ってるからね」 シンジさん「新し

小説:狐021「ヘチマ」(972文字)

「ウリ科の一年草。インド原産です。ちなみにヘチマという和名は、まあ諸説ありますが、漢字の糸瓜に由来します。いとうり。これが縮んで、“とうり”。このと、は、いろはにほへ“と”ちりぬるを、で分かるように“へとちの間”にありますよね。だからヘチマ。この説が有力ですね。  ちなみに、ヘチマの花言葉は“悠々自適”で……」  その後もマニさんの蘊蓄は続いた。私は2杯目のビールに突入していた。球体の氷がカラリと音を立てた。  一通り喋り終えてスッキリするマニさん。そこでエロウさんが、 「

小説:狐022「リスティーさん01」(857文字)

「リスティー先生、こんばんは!」  そう切り出したのはアーマーさんだった。 「ハイ。こんばんは、アーマー先生。ハイ」  とリスティーさんがにこやかに応じる。  先生? アーマーさんも先生なのか? 互いが互いを先生と呼んでいる? 「ハイ、皆さん。最近痩せたと思いませんか? ええ、アーマー先生にいわゆるパーソナルトレーニングを施してもらってます」  と笑みを浮かべるリスティーさん。ハイ、という口癖が今日も気になる。聞いている側としては無くてもいいものだが、話者としては必要なバッフ

小説:狐023「リスティーさん02」(908文字)

「ハイ。いいですか? まずですね、人はランダムな行動の総体なんです。  “自分のことは自分が1番分かっていて、自分を自分がきっちり制御している”  多くの人はこのように思っていますが、それは誤りです。  この得体の知れない“自分”の中を分析していきましょう。するとどうでしょう?  ハイ。カオスです。カオスなんですよね」  ここでリスティーさんはライムサワーを飲む。なぜかライムサワーである。アルコールを知り始めた大学生が飲みがちなものとしてのライムサワー。あるいは、とりあえず

小説:狐026「たこ、いか」(1026文字)

「で、結局のところたこですよね、たこわさびって。わさびではなくたこ。たこがメインでわさびがサブと。メイン→サブの順」  タロウさんがハイボールを飲みながら身振り手振りを交えて力説する。  すかさず、スミさんが、 「それがどうしたんだ? タコわさうめぇよな。おいらの大好物! それだけだな。  あ、思い出した。昔ラズマタズってバンドあったけど、あれの愛称はラズマタ、だったよな。ズだけ略すんだ。一文字だけ縮めるってところがミソでな。タコわさもそういうこった」  と言い放つ。 「

【完結】小説:狐030「狐」(1318文字)

「実は造形のアートスクールに入学しました。一昨日のことです。  何かきっかけがあったわけじゃないんです。ここでみんなの話を訊いていて、少しずつ自分が内的に動いていたんだと思います。自分でも自覚できないような速度で。気づかぬ程の力で。  もしきっかけがあったとすれば、それはもうずいぶん前のことですから」 「その遠足んときの、“なにものでもないもの”みたいな作品に出くわしたことだな」とスミさん。 「『何かであって何かでないもの』。作者は扇 榴弾。日本現代美術の巨匠」とマニさんが