「空」を恐れるな
「空」
”そら”
ではなく、
”くう”
のお話。
子供の頃からじっと座っているのが嫌いで、法事が大の苦手。
決して故人を軽んじている訳ではなく、
故人へ思いを馳せて供養するのは日々できること。
わざわざ長時間暑さ寒さに耐えながら座っている必要はない。
故人だってそんなこと望んでいない。
そんな風に都合よく捉えてしまう人間である。
木魚は楽器でお経は歌、お坊さんのお召し物は衣裳。
退屈な時間も、楽器と歌と衣裳のおかげでなんとか乗り切るのだ。
大変失敬
ただ、この儀式自体には興味がある。 特に「般若心経」は非常に耳障りが良い。 「しきそくぜーくーくーそくぜーしき」
「ぎゃーてーぎゃーてーはーらーぎゃーてー」
先日、そう言えばどういう意味なんだと思い、大変遅ればせながら調べてみた。
ふむふむ、なるほど
………ん?なるほど!?いや、分からない。難しい。
「色即是空空即是色」が特に難しい。
ただ、意味を何度も読み返して、ふと、これか?と思ったのが
物質的なものへの執着
薄っぺらい理解なのかもしれない。
でも、大人になるにつれてどんどんなくなっているものである。
先日、意を決して断捨離をした。
なぜか、物質的なものに執着していては変われないと思ったのだ。
(但し縁を感じられないものに限る)
断捨離はよく、物を減らすことで時間や心にも余裕ができると言われている。
確かに時間や心は実体がない。しかも、使い方によって、あらゆるものを創り出せる。
やっと腑に落ちた。
仏教の教えは身近にある。
今はもう実際に会うことは叶わないけれども、故人はきっと見守ってくれていると感じることも、「色即是空空即是色」なのかもしれない。
全文を理解した訳では無いし、薄っぺらいかも知れないが、これが今の、30歳の私の解釈。
今後変わっていくのか、はたまた変わらないのか?
楽しみだ。
クシコの小話
無形のものを中医学では「陰」に分類し、有形のものよりも偉大と考えます。
生命活動の源である物質「気・血・水」を分類すると「気」は無形、「血・水」は有形です。
トラックである「気」が滞ったり不足すれば、その貨物である「血・水」も共倒れすることからも、無形に価値が置かれるのも納得ですね。
それにしても、「気」ってなんだか実体がなくてイメージしづらいと思います。
ただ、「気」は普段の生活に度々登場しているのです。
”元気、勇気、やる気、正気、負けん気、勝ち気、覇気、病気、殺気、気分、気質、気難しい、気まぐれ、気後れ、気晴らし、気楽、呑気…”
挙げ出したらキリがない程。
そして、人間らしい生活を送る上で、上記はどれも身近なものです。
「気」をあなどるなかれ。
これから梅雨に入ってなんだが気が晴れないな…という日も増えるかと思います。
「気」に目を向けて、労ってあげて下さいね。
以上、クシコでした!
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