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「空」を恐れるな

「空」
”そら”
ではなく、
”くう”
のお話。

子供の頃からじっと座っているのが嫌いで、法事が大の苦手。
決して故人を軽んじている訳ではなく、
故人へ思いを馳せて供養するのは日々できること。
わざわざ長時間暑さ寒さに耐えながら座っている必要はない。
故人だってそんなこと望んでいない。
そんな風に都合よく捉えてしまう人間である。

木魚は楽器でお経は歌、お坊さんのお召し物は衣裳。
退屈な時間も、楽器と歌と衣裳のおかげでなんとか乗り切るのだ。

大変失敬

ただ、この儀式自体には興味がある。 特に「般若心経」は非常に耳障りが良い。 「しきそくぜーくーくーそくぜーしき」
「ぎゃーてーぎゃーてーはーらーぎゃーてー」

先日、そう言えばどういう意味なんだと思い、大変遅ればせながら調べてみた。

「色即是空空即是色」
"この世の形あるもの全てには実体がなく、実体がないからこそあらゆる形を得ることができる。"

「羯帝羯帝波羅羯帝波羅僧羯諦菩提薩婆訶」
"往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、さとりよ、幸あれ"

https://y-osohshiki.com/column/150

ふむふむ、なるほど
………ん?なるほど!?いや、分からない。難しい。
「色即是空空即是色」が特に難しい。

ただ、意味を何度も読み返して、ふと、これか?と思ったのが

物質的なものへの執着

薄っぺらい理解なのかもしれない。
でも、大人になるにつれてどんどんなくなっているものである。

先日、意を決して断捨離をした。
なぜか、物質的なものに執着していては変われないと思ったのだ。
(但し縁を感じられないものに限る)
断捨離はよく、物を減らすことで時間や心にも余裕ができると言われている。

確かに時間や心は実体がない。しかも、使い方によって、あらゆるものを創り出せる。

やっと腑に落ちた。
仏教の教えは身近にある。
今はもう実際に会うことは叶わないけれども、故人はきっと見守ってくれていると感じることも、「色即是空空即是色」なのかもしれない。

物質的には無くても、それは「無」ではなく「空」であって、恐れる必要はない。
「空」と捉えれば、何でもできるし、何にでもなれる。

クシコ

全文を理解した訳では無いし、薄っぺらいかも知れないが、これが今の、30歳の私の解釈。
今後変わっていくのか、はたまた変わらないのか?
楽しみだ。

クシコの小話

無形のものを中医学では「陰」に分類し、有形のものよりも偉大と考えます。
生命活動の源である物質「気・血・水」を分類すると「気」は無形、「血・水」は有形です。
トラックである「気」が滞ったり不足すれば、その貨物である「血・水」も共倒れすることからも、無形に価値が置かれるのも納得ですね。

それにしても、「気」ってなんだか実体がなくてイメージしづらいと思います。
ただ、「気」は普段の生活に度々登場しているのです。
”元気、勇気、やる気、正気、負けん気、勝ち気、覇気、病気、殺気、気分、気質、気難しい、気まぐれ、気後れ、気晴らし、気楽、呑気…”
挙げ出したらキリがない程。

そして、人間らしい生活を送る上で、上記はどれも身近なものです。
「気」をあなどるなかれ。

これから梅雨に入ってなんだが気が晴れないな…という日も増えるかと思います。
「気」に目を向けて、労ってあげて下さいね。

以上、クシコでした!


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