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書き続けていたら、読みたくなった本

毎日書いていると、読書の時間が減ってしまう。

毎日投稿にありがちの悩みです。わたしも、そんな悩みを抱える一人。最近は読書量がぐんと減っています。

東京で毎日オフィスに通っていた頃を思えば、いまは比較にならないくらい時間があるはずなのに、読書の時間が取れないなんていうのは、ただの甘えにしか聞こえません。

まあ、ほかにやりたいことがあれこれあるからなんですが。幸せなことです。なにかをしたいという気力がどんどん湧いてくることは、幸せな証拠です。

でも、一日の時間は限られています。毎日投稿は、いかに時間を効率的に使うかも問われているように感じます。

時間の使い方も気になるトピックではありますが、今日書きたいのは、それではなくて、いま読みたい本の話です。

春先に始めた毎日投稿が、先日、100日めを過ぎました。書き続けていると、文章一本で突き抜けている人の書き方や、もっとよく書けるようになるための方法を知りたくなります。なんらかのヒントを求めて、本を手に取るようになります。

今日は、毎日投稿100日あたりのわたしが、書き続けているうちに読みたくなった本をご紹介します。


『三行で撃つ』近藤康太郎

今年の初めにキンドル版で読んだのですが、部分的に何度も読み返しています。読み返すには紙の本の方がいいなと思って、一時帰国したときに買いなおしました。もう一回、通して読むつもりです。

初めてこの本を読んだとき、文字どおり衝撃を受けました。『三行で撃つ』に、三秒で撃たれました。まだ撃たれていない人は、撃たれた方がいいです。自分の書き方を根本から見直して、より良いものが書きたくなります。

ずっと手元に置いておきたい本です。

『書けないんじゃない、考えていないだけ』かんそう

一時帰国中、アメリカに戻るフライトの数時間前に滑りこんだ本屋さんで、これでもかというほど平積みされていたので、迷わずカゴに入れた本です。

最初の数ページを読んで、この人の言語化はすごいなと圧倒されました。『三行で撃つ』に書いてあることを実践している!目の前の事象や心の動きに目を凝らして、唯一無二の表現を生み出している。面白いことを「面白い」と書かずに、面白いことが伝わるように表現するってこういうことを言うんだな。

でも、読み進めていくうちに、これは賛否両論あるんじゃないかという気がしてきました。

独特で個性的な表現にあふれ、強い感情が乗って文章に勢いがあります。でも、わたしの感覚だと、言葉のインフレーションというか、いつも感情が振り切れている感じが、読んでいて疲れます。たぶん、単独の記事として読む分には大丈夫だけど、本としてこのエネルギーに触れ続けると、わたしにはちょっと強すぎます。

そういう理由で、いまいったん休憩しています。でも、書いているメソッドはおおいに学びがあるので、またそのうち再開して、読み終えるつもりです。

『文章で伝えるときいちばん大切なものは、感情である』pato

キンドル版を購入したのは、もう数か月前です。少し読み進めて、書くことと絶望の相性について言及された冒頭部分なんて、わかり過ぎて、ギュンっと引き込まれました。

ただ、キンドル版が恐ろしく読みにくいの、なんとかならないかなあと思いながら、時間が過ぎてしまいました。日本で紙の本を買おうと思っていたのですが、チャンスを逃しました。

多くの人がおススメしている本なので、なんとか読み終えたい。気力で読みます。

『神・文章術』フミコフミオ

わたしが文章術の本についてつぶやきを投稿したときに、ヤス(ウエダヤスシ)さんがおススメしてくださった本です。ちなみに、一つ前の『文章で伝えるとき…』も一緒に勧めてくださいました。

あのヤスさんの推薦本なら、まちがいなし!大船に乗ったつもりで、シャンペン片手に読みます。ありがとうございます。

『罪と罰』ドストエフスキー

言わずもがなの名作。恥ずかしながら、ドストエフスキーの本は、いままでひとつとして読んだことがありません。題名と著者名を一致して覚えているだけで満足してしまっていました。

それを、なぜいま手に取っているかというと、『三行で撃つ』のせいです。近藤康太郎氏はこの本の中で、こう書いています。

ライターにとっての「書く」は、広い意味で「読む」も含まれている。書くことと読むことは、引き手と押し手だ。
(中略)
「どれだけ読むか」ということには、最低ラインというものがある。
(中略)
……「課題図書」を読まなければならない。課題とは、具体的には四つのジャンルのことだ。
①日本文学
②海外文学
③社会科学あるいは自然科学
④詩集

『三行で撃つ』より

ああ、そうか。ものを書いて生きている人は、より良く書けるようになるために、こんな努力をしているのか。わたしは、ド直球に影響を受けて、いまこうして世界の名著、つまり「課題図書」の「②海外文学」に挑んでいるわけです。

ちなみに、少し前に、同じ動機から、『オデュッセイア』を読みました。夫に、「なんでそんなの読んでるの」といぶかしがられました。最初は、読んでいても頭に入ってるんだか入っていないんだか、ただ義務的に字面を追うだけの日々でした。

でも、続けていると、あるときから続きが気になるようになり、そこからはストーリーを追いかけて読むようになりました。今日に至るまで、名が廃れずに残る意味は、確かにある。そう感じました。

『正義と微笑』太宰治

太宰治といえば、『斜陽』、『人間失格』は読んだことがあります。そういえば、『斜陽』で読書感想文を書いたこともありました。

『正義と微笑』を読みたいと思ったのは、わたしが勝手に文章のお手本にさせてもらっているKaoriさんが、どなたかにおススメされているのを見かけたからです。

日本語と真剣に向き合ってこられたKaoriさんが、「何度も読み返している」というこの本の魅力を、わたしも知りたくなりました。

まだ読み始めていません。期待が膨らみます。


ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

《書くことについて書いた記事》


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