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わたしが思う、子育ての醍醐味

子育ては息の長いプロセスである。

そのほとんどは日々のルーティンであって、これが楽しくてしかたないとかいう類のものではない。

でも、反復を繰り返すその過程で、あるとき、子どもがぱぁっと光を放つ瞬間がある。それを目撃することが、子育ての醍醐味だとわたしは思っている。

今朝、スクールバスのバス停まで子どもたちを送っていったとき、近所に住むケイトが自転車で現れた。ケイトは、娘のクラスメイトでもある。

いつものように、バス停付近で自転車を乗り回している娘の姿を見つけて、ケイトは満面の笑顔で近づいていった。

少し遅れて歩いてきたケイトのママに、

「自転車、すっかり乗れるようになったみたいね」

と声をかけた。彼女は、そうなのよ、と興奮気味に言った。

「この週末は本当に自転車三昧だったわ。寝るか食べるか自転車かってくらい」

その顔は、とても嬉しそうだった。

ケイトは、この週末に補助輪を外して自転車に乗れるようになった。正確にいうと、少し前から断片的に乗れるようにはなっていたらしい。でも、まだゆらゆらして、転びそうになる怖さがあって、乗るのを敬遠していたんだとか。

2週間ほど前、うちの娘が自転車に乗れるようになった。それからというもの、娘は毎朝バス停まで自転車に乗っていくようになった。バスがきて、もう行かなきゃいけないという最後の瞬間まで、自転車を降りようとしない。

そして、夕方わたしが迎えにいくときには、必ず自転車をもって来てくれとせがむ。バス停から自宅までの道のりを、毎日自転車に乗って帰る。家に着いてからも、家の前の道で、同じところを何度も何度も、飽きもせずに延々と行ったりきたりを繰り返す。こんなにストイックだったっけ、と言いたくなるくらい、ひたすらにペダルを漕ぎ続ける。

娘は、このとき、光を放っていたのだ。わたしには、その光が、これでもかというほど眩しかった。

そんな友達の変化を間近で目撃して、ケイトもなにかを感じたらしかった。

この前の週末、わたしたちは家族で近所を散歩した。娘は自転車に乗り、息子は買ってもらったばかりのスケートボードで。ケイトの家の前を通りかかると、ケイトは家の前でキックボードに乗って遊んでいた。

ケイトは、わたしたちをガレージに呼んで、新しいおもちゃを見せてくれた。子どもたちはしばらくそのおもちゃで遊んでいたのだが、なにかのきっかけで、ケイトはおもむろに自分の自転車にまたがった。補助輪がついていない自転車だった。

それをみた娘が、勢いよくケイトに声をかけた。

「ケイト、一緒に自転車に乗ろうよ!」

子どもたちが、わーっと駆け出していった。娘はケイトを待たずに、一人でぴゅーっと漕ぎ出していった。

残されたケイトは自転車にまたがった。なにかを覚悟したみたいに、顔が真剣だった。ママに支えてもらいながら、ぐっとペダルを踏み込んだ。

すると、少し頼りなげにふらふらっと左右に振れながらも、その自転車は自走し始めた。ケイトが全神経を集中させて、懸命にバランスをとっているのが横で見ていてわかった。

少しいっては足をつき、またママに支えてもらって漕ぎ出す。ひたすらそれを繰り返す。

ママの話によれば、こういうとき、すぐに「もうやめる」と言い出すのが常だったらしい。

でも、この日は違った。すいすいと進んでいく友達に追いつきたかったのか、自分にもできるという自信が湧いたのか、今日がその日だという確信があったのか。いずれにしても、この日のケイトは、前だけを見つめていた。

こうしてケイトは、この日、自転車に乗れるようになった。

「今朝もね、ベッドから起きだしてすぐ、自転車に乗るっていうのよ。もう頭の中が自転車でいっぱいみたい」

ケイトのママが、目を細めて言う。わたしは、この話を聞きながら、ああ、いまケイトは光を放っている、と思った。

(おわり)


読んでくださってありがとうございます。

《育児について書いた記事》


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