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子どもに日本語を話せるようになってほしいと願うのは、親のエゴですか?

わたしはアメリカに住んでいて、日本とアメリカの混血の子どもを育てています。子どもには、日本語も話せるように育ってほしいと願っていて、親としても悩み、試行錯誤をする日々です。

いまから書くのは、一年前に我が家に起こっていた出来事です。息子が6歳で迎えた春に、息子を日本語学校に通わせ始めたときのこと。いくつかの記事に分けて書きます。

入学までの道のりもいろいろありました。詳しくはこの記事に書いています。



「日本語学校に行きたくない」

日本語学校が始まってからたったの数週間で、土曜の朝は、わたしたちにとって憂鬱な時間に変わっていった

ある日の朝。8時が近づき、まだベッドで眠っている息子に声をかけた。

「そろそろ起きる時間よ。」

息子はぱちっと目を開け、今日は何曜日かと問う。土曜日だと言うと、とたんに息子は表情を曇らせ、憎らし気な一瞥を私に投げかけたかと思うと、布団をかぶってまたベッドに倒れこんだ。息子は、私に向けた小さな背中で、静かに、でも精一杯の迫力をもって、抵抗と抗議の意思を見せた。

もう背中で語れるようになったのね、という変な感心をしながらも、心の中で「はあ…」と深いため息が漏れる。息子は日本語学校に行きたくないのだ。毎週土曜の朝にきまって繰り返されるこの攻防。なんとかならないものか。

この日はまだこの程度で済んだが、その日の気分によっては、行きたくないと涙を流すときもある。どうして日本語学校に申し込んだのだと、必死の抵抗を見せることもある。フラストレーションがたまっているからか、ふとした一言に激しく反応して、強い言葉で言い返してきて口論になることも。

行きたくない理由は?

学校に行きたくない理由を探ろうと、何度も息子と話をした。理由をまとめるとこういうことだ。

① 授業中、じっと座って先生の話を聞くのが退屈。
② 自由に遊べる時間がほとんどない。
③ 算数が簡単すぎてつまらない。

一言でいうと、「楽しくない」。

でも、一つわかったことは、日本語をやりたくないわけではないらしいこと。

どうやら、日本語を学ぶことに付随する、日本式の教育スタイルが起因しているらしい。そして、どの項目も、アメリカの現地校と比較しながら、日本語学校は面白くない、という結論に至っているようである。

上に挙げた理由を一つずつ見てみる。

① 授業中、じっと座って先生の話を聞くのが退屈

現地校では、授業中、ずっと椅子に座って先生の話を聞くということは非常に稀だ。授業の中にはなにかしら動きが多い。もちろん、先生によって教え方の違いはあると思うが、私がこれまでに見たところでは、子どもたちはカーペットに座り、先生の話を聞きながらノートに自分で書いてみたり、グループごとにテーブルに座って一つのプロジェクトに一緒に取り組んだり。

そんな現地校のスタイルに慣れていた息子には、50分間の授業中、ずっと座ったままで、先生の話を聞いたり、書いたり考えたりするのは、わたしが想像する以上に苦痛に感じているようだった。日本語だからなおさら、という部分もあっただろう。

② 自由に遊べる時間がほとんどない

日本語学校では、授業の合間に5分ほどの休憩時間が、昼食後には30分ほどの昼休みがある。昼休みには、外に出て遊具で遊ぶようだが、授業の合間の休憩時間には、トイレに行ったり、教科書などを出し入れしている間に終わってしまい、友達同士で遊ぶようなこともあまりないらしい

この点、現地校では、休憩時間(recess)のほかに、授業の一環として、教室内で自由に遊ぶ時間が一日の中にちょこちょこある。教室内には、本やブロックや知育系のおもちゃなどが棚いっぱいに置かれていて、子どもたちは好きなものを選んで好きなように時間を過ごす。

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友達と一緒に遊んでもいいし、一人で本を読んでもいい。子どもたちの集中力が長時間続かないことを見越して、一旦遊ばせてから、また授業を再開するのである。

③ 算数が簡単すぎてつまらない

算数の問題については、学年の開始時期が日米で7か月ほどずれるために起こっている。アメリカのキンダーガーテンで習った7か月分を、ゆっくり消化していく時間がしばらく続く。数字をなぞったり、数字と同じ数のイラストに絵を塗ったり、簡単な一桁の足し算をしたり。息子にしてみれば、ずいぶん前に習ったことをもう一度やるために、貴重な土曜の時間を90分も使うなんて!というところだろう。

ただ、このプロセスを「日本語で」やることにポイントを置けば、意味がないとは思わない。数字が「大きい」、「小さい」、「前から何番目」、「足す」、「引く」など、算数を習いながら、日本語を習っている。だが、そもそも日本語を学ぶ必要性をさほど感じていない息子には、そこはまったく響かない。

嫌がる子どもを前に、悩みが膨らむ

嫌々ながらも通い続けるうちに、日本語能力がついてきて、授業が今より楽しくなるのではないか。
そのうち仲良しの友達ができて、友達に会うために学校に行きたいという気持ちが芽生えるのではないか。

最初の頃、わたしは「いまは我慢の時期」ととらえて、少し先の未来を楽観視していた。数か月後にやってくる夏休みに日本へ行く予定にしていたので、日本や日本語に対する姿勢が積極的な方向へシフトすることも期待していた。

でも、毎週毎週、全力で抵抗する息子と対峙しながら、さすがのわたしも精神的に堪えるようになってきた。それ以上に、息子との親子関係が崩れるのではないかと心配になった。自分のやっていることが果たして正しいのか。自信が持てなくなり、悩みは膨らんでいった。

わたしは、ただ、我が子に日本語を話せるようになってほしいだけ。そう願うことは、親のエゴなんだろうか。

(続く)


ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
海外バイリンガル育児について、過去に書いた記事を紹介します。


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