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これからもアメリカで生きていく子どもに、日本語を学ばせる理由

我が家は、アメリカ人の夫と日本人の私の国際結婚家庭で、アメリカに住んでいる。二人の子どもたちには、日本語と英語のバイリンガルになってほしいと母としては頑張っているつもりだが、正直に言うとあまりうまくいっていない。日本語の方が、である。

最近、6歳の息子に日本語を学ばせるため、土曜だけの日本語学校に通わせることにした。その学校の入学に先立ち、充分な日本語が身についているかを審査するための面接が先日行われた。

面接当日。そろそろ家を出る時間になり、息子に声をかけると、息子の顔がさっと曇った。「行きたくない。行かない。」と私を睨みつけるような目をして言う。

この学校へは、息子が行きたいと言ったから行かせるのではない。私が親として決めた。これまで、家庭での日本語教育にはずっと取り組んできたけれど、最近、息子は日本語で会話することを嫌がるようになっていた。親が教える形はうまく機能しなくなり、今後、継続して学習させるには、学校に入れるしかないと考えたのだ。

もちろん、日本語学校へ通うことについては、息子と何度も事前に話をした。

「いま通っている英語の学校は好きでしょう?新しいお友達がたくさんできて、一緒に遊んだり勉強するのは楽しいよね?日本語学校でも同じだよ。ただ、それを日本語でやるだけだよ。」

そう言って聞かせても、息子には全然響かなかった。息子は、「日本語でやる」という部分が嫌なのだ。もっというと、英語以外の言語を学ぶことが嫌なのだ。平日通っている現地校では、スペイン語の授業があるのだが、それも、最初は新しい単語を覚えては私に教えてくれていたのに、最近は難しくなってきたのか、スペイン語がある日は学校に行きたくないと言うようになった。授業で先生の言うことがよくわからないという状況が、とても心地悪いらしい。

「君は英語はよくわかるよね?それは毎日たくさん練習しているからだよ。日本語も毎日練習していたら、英語みたいによくわかるようになるよ。」

そういっても、息子は、そもそも「練習したくない」のである。全然埒があかない。事前に話をしても、ネガティブな気持ちを増幅させるだけのような気がして、もう面接当日になんとか連れて行くしかないと思っていた。

そして迎えた面接当日である。息子は泣いて訴えた。

「どうして、頼んでもいないのに日本語学校なんかに申し込んだの!」

「君にとって、パパやママにとっても、君が日本語を学ぶことはとても大事なことだからよ。」

「日本語なんかやりたくない!」

横から、夫が言った。

「日本語は難しいよね。でも、難しいことに挑戦することは大事なことだ。本当に面白いことは、いつだって最初は難しいんだよ。」

息子は、大粒の涙をぽろぽろ流しながら、私の膝の上でこう言った。

なんで日本語を勉強しなきゃいけないの。どうして英語だけじゃダメなの。」

結局そこなんだ。私は思った。この問いこそが、息子の日本語学習を進める上での根幹で、この問いに答えてやらないと息子は先に進めない。でもどう説明したらいいのだろう。

「パパはアメリカ人で、ママは日本人でしょう。君はパパとママからその両方を受け継いでるの。いまはアメリカに住んでいて、日本で過ごした記憶がないからよくわからないかもしれないけど、ママの方の家族はみんな日本人で、君もその一員なのよ。」

いや、違う。こんな説明ではきっと響かない。アイデンティティは、言葉で説明してわからせるものではない。体験して、自分で感じないと育たたない。息子には、この部分が欠けていると感じた。息子にとって、日本はママの国だけど、自分の国ではない。外国なのだ。

「ママは、君にママやママの家族とは日本語で話せるようになってほしいな。」

突き詰めると、結局のところ、自分の子どもに自分と同じように日本語が話せるようになってほしいという、親のエゴなんじゃないかという気がして、自分がいまやっていることが正しいのか間違っているのか、よくわからなくなってしまった。

私は一呼吸置いてから、歯を食いしばるように泣いている息子に向かって、こう言った。

「じゃあ、こうしよう。今日は、先生ともうお約束しているから、ママと一緒に学校までは行こう。先生とお話するときに、日本語で話すか、英語で話すか、それともじっと黙ったまま何も答えないかは、君が自分で決めなさい。」

息子は、黙ってうなずいた。

面接までは、少し時間に余裕があったので、学校の近くのラーメン屋さんに寄って、軽いお昼ご飯を食べた。

「日本に行ったら、ラーメン屋さんも、お寿司やさんもいっぱいあるから、夏に行くのが楽しみだね。」

息子は、日本語は嫌がっているが、食べ物、ポケモン、トトロなどを含めた日本そのものは大好きなのだ。私はなるべく息子の意識が、ポジティブな方向へ向かうように話を振った。

息子の機嫌は、ラーメンと夏に日本へ行く計画の話ですっかり持ち直したようだった。夫が、「このレストランの中では、パパも含めて、みんな日本語で話すことにしよう。」と提案すると、さっきまでの涙の会話が嘘のように、息子も日本語で話し始めた。

そして、面接会場へ。受付を済ませると、すぐに名前を呼ばれて、面接官2名の前に用意された椅子に、息子と並んで座った。

「お名前を教えてください。」

面接官に聞かれて、息子は少し照れくさそうにしながら答えた。日本語で続く質問にも、全て日本語で答えたのだ。同年齢の日本の子どもたちに比べれば、たどたどしいものだったろうし、語尾に「です」も「ます」もつかない、ほとんどは単語だけでの受け答えだった。それでも、自分の知っている日本語を駆使して、なんとか答えようとしている息子を横で見守りながら、私は涙が滲むのを必死でこらえていた。

あっという間に面接は終わり、息子と一緒に会場を後にした。私は、息子の目線までしゃがんで、息子の名を呼びながら、ぎゅっと抱きしめた。

「君が全部日本語で答えたから、ママはびっくりしちゃった。」

「とっても簡単だったー。」

息子もほっとしたのだろう、安心した笑顔をつくっている。

夫と合流し、面接の様子を息子が話して聞かせた。「全部日本語で答えられたんだよね。」と私が言うと、息子はどこか誇らしげだ。夫が言った。

「君が行く学校なんだ。だから、この学校に行くかどうかは、パパとママだけで決めるんじゃなくて、君と一緒に決めたい。どうする?この学校に行ってみる?」

息子は、躊躇なく、「うん、行く。」と答えた。私は、助手席で静かに泣いた。

***

私たち家族は、これからもずっとアメリカで暮らしていくつもりなので、子どもたちは日本語ができなくても、生きてはいける。どうして日本語を学ばせるのかという部分は、私自身も自問してきた。

ひとつには、息子にも言ったとおり、これからも、私や日本にいる家族と日本語で会話ができるように育ってほしい。私にとってはこれが一番大きい。息子や娘と英語でしか会話できなくなったら困るのだ。私の英語力の問題ではない。日本語で話したいし、聞きたいのだ。親子の意思疎通は、母国語でやりたい。これをエゴというなら、エゴなのだろう。でも、私にとってはとても大切なことで、今回日本語学校へ入れることにこだわった理由も、ここにある。

もう一つは、日本語と英語のバイリンガルに育てることで、息子の将来の可能性を増やしてやれるのではないかということ。でも、これは私がそう考えているだけであって、息子の成長にしたがって、決定権は徐々に息子に移していくべきものだとも思う。それは、どの程度のバイリンガルを目指すかという問題でもある。

これが、子どもになぜ日本語を学ばせるのかという問いに対する、今のところの私の答えである。

さっき、「何書いてるの?」とパソコンを覗きこんできた夫に、この話をしたら、夫は、口を歪めてニヤリと悪そうに笑いながら、こう言った。

「日本語を学ばせる理由?そんなの、将来日本人のワイフを見つけるためでしょ?」

「は?」と一瞬止まった私に、夫は畳みかける。

「それ以外に理由なんてあるの?」

こんな夫と二人三脚を組みながら、これからも先の長いバイリンガル育児を頑張っていこうと思う。


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