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鋼メンタルなのは、自分が嫌いだからだよって話

自分の誕生日もこの中にあってクソワロタって話(爆)

実際、他人から正にそのまんま「〇〇さんはメンタル強いですよね!」て言われたこともある。
し、自分でも「メンタル強いよなぁ」と思うときもある。
「他の人が同じ状況だったら、死んでんじゃないのw」て思うこともある。
(自分すげー!とかじゃなく、自分の悲惨な状況が笑えるってだけ)

でも、確かに自分でもメンタル強いと思うけれど、
ちっとも健全な強さじゃないよなぁと思う。
自分の“メンタルが強い”のは、ひとえに自分のことがむちゃくちゃ嫌いだから(爆)

自分のことが嫌いすぎて、他人とかそういう、
外的要因からのストレスに構うだけの余力がないというか…。

自分のことでいっぱいいっぱい、
何とか自分のことを今よりは嫌いにならないように、
耐えて耐えて踏ん張ることに精一杯なので、
外的な要因からくるストレスには、確かになかなかに強いかなとは思う。

でも、それって全然ストレスフリーでも何でもないっていう。
むしろむちゃくちゃキツい。
これがただ嫌いな他人であれば、距離を置いてしまえばいいけど、
大嫌いなのが“自分自身”となると、当然そうもいかないわけで。
24時間365日、大嫌いな奴と一緒にいなきゃならないって、ほんとにキツイ。


それで、どうにかこうにか自己肯定感を上げようと、
例えば資格を取るとか、
そういう何かしら目に見える形の成果を得てみたりもするけれど、
結局、根っこの部分の自己肯定感って、
そんなもんじゃどうにもならないんだなぁと、しみじみ思う。

ドラマにもなった漫画『ミステリと言う勿れ』の中で、
主人公の整くんが女の子に対して、
「あなたはまだ大丈夫、コンクリートが固まり切ってないから」的なことを言うシーンがあって、
あぁ、本当にその通りだなぁと思った。

逆にいえば、大人になってコンクリートが固まり切ってしまったら、
もうそれ以降は、ある程度誤魔化せはしても、
根本的な部分を変えることは出来ないんだなと思う。

一番健全な“自己肯定感”は、何はなくとも、
「自分はありのままで生きているだけで、十分に愛されるに値する人間だ」
ていう風に思う心持ちだと思うのだけど、
それって、子供時分でのみ醸成され得るものだと思う。

だから、その基盤が作られないまま成長し切ってしまった自分は、
趣味でも仕事でも、どんなことをやり遂げようが、
「私はありのままでも十分」なんて思う時は来ないんだろうなと思う。

仕事でも趣味でも、何かをやり遂げて“自信がつく”ことはあっても、
そういう、“底”の”底”の自己肯定感、
「何者でもない自分でも大丈夫」っていう安心感みたいなものは、
それによっては得られないだろうなと思う。


もちろんこの世の中には犯罪者とかもいるわけで、
「この世界中で一番嫌いなのは自分」なんてことはないです。
フツーに自分よりクズな人間なんて、全然ザラにいるとは思ってます(笑)

でも、「自分のことを世界で一番嫌い」なのは“自分”だなぁと、日々思います。

自分がゲロでも吐いちゃったりしようもんなら、
もうトラウマ級に「汚!!!」て思うけど、
(だから、そんな状況になることは徹底的に避ける)
大好きなお友達の吐しゃ物なら、それなりに片付けられるやろうな~と、常々思ってます←

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