![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/88199320/rectangle_large_type_2_2e9c741e9f6d019c13b8ccb8af83c54a.png?width=800)
鋼メンタルなのは、自分が嫌いだからだよって話
![](https://assets.st-note.com/img/1664783292941-7jLWJ9df4x.jpg?width=800)
自分の誕生日もこの中にあってクソワロタって話(爆)
実際、他人から正にそのまんま「〇〇さんはメンタル強いですよね!」て言われたこともある。
し、自分でも「メンタル強いよなぁ」と思うときもある。
「他の人が同じ状況だったら、死んでんじゃないのw」て思うこともある。
(自分すげー!とかじゃなく、自分の悲惨な状況が笑えるってだけ)
でも、確かに自分でもメンタル強いと思うけれど、
ちっとも健全な強さじゃないよなぁと思う。
自分の“メンタルが強い”のは、ひとえに自分のことがむちゃくちゃ嫌いだから(爆)
自分のことが嫌いすぎて、他人とかそういう、
外的要因からのストレスに構うだけの余力がないというか…。
自分のことでいっぱいいっぱい、
何とか自分のことを今よりは嫌いにならないように、
耐えて耐えて踏ん張ることに精一杯なので、
外的な要因からくるストレスには、確かになかなかに強いかなとは思う。
でも、それって全然ストレスフリーでも何でもないっていう。
むしろむちゃくちゃキツい。
これがただ嫌いな他人であれば、距離を置いてしまえばいいけど、
大嫌いなのが“自分自身”となると、当然そうもいかないわけで。
24時間365日、大嫌いな奴と一緒にいなきゃならないって、ほんとにキツイ。
それで、どうにかこうにか自己肯定感を上げようと、
例えば資格を取るとか、
そういう何かしら目に見える形の成果を得てみたりもするけれど、
結局、根っこの部分の自己肯定感って、
そんなもんじゃどうにもならないんだなぁと、しみじみ思う。
ドラマにもなった漫画『ミステリと言う勿れ』の中で、
主人公の整くんが女の子に対して、
「あなたはまだ大丈夫、コンクリートが固まり切ってないから」的なことを言うシーンがあって、
あぁ、本当にその通りだなぁと思った。
逆にいえば、大人になってコンクリートが固まり切ってしまったら、
もうそれ以降は、ある程度誤魔化せはしても、
根本的な部分を変えることは出来ないんだなと思う。
一番健全な“自己肯定感”は、何はなくとも、
「自分はありのままで生きているだけで、十分に愛されるに値する人間だ」
ていう風に思う心持ちだと思うのだけど、
それって、子供時分でのみ醸成され得るものだと思う。
だから、その基盤が作られないまま成長し切ってしまった自分は、
趣味でも仕事でも、どんなことをやり遂げようが、
「私はありのままでも十分」なんて思う時は来ないんだろうなと思う。
仕事でも趣味でも、何かをやり遂げて“自信がつく”ことはあっても、
そういう、“底”の”底”の自己肯定感、
「何者でもない自分でも大丈夫」っていう安心感みたいなものは、
それによっては得られないだろうなと思う。
もちろんこの世の中には犯罪者とかもいるわけで、
「この世界中で一番嫌いなのは自分」なんてことはないです。
フツーに自分よりクズな人間なんて、全然ザラにいるとは思ってます(笑)
でも、「自分のことを世界で一番嫌い」なのは“自分”だなぁと、日々思います。
自分がゲロでも吐いちゃったりしようもんなら、
もうトラウマ級に「汚!!!」て思うけど、
(だから、そんな状況になることは徹底的に避ける)
大好きなお友達の吐しゃ物なら、それなりに片付けられるやろうな~と、常々思ってます←
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?