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「ボクたちはみんな大人になれなかった」≒般若心経である、ということについて

ブラピやアンジーには多分刺さらない、そんな映画について語りたい。

この秋は観たい映画が沢山あり、不朽の迷作・砂の惑星のリメイクにダニエル・クレイグ最後の007もまだ観ていない僕としては、周りの方々が「観たよ!」とSNSに映画ポスターの写真を載せてドヤる度にモヤるわけです。

ましてや007の衝撃的なオチを無配慮にSNSに載せたウマシカな方々に関しては、それこそ風邪をこじらせ咳のしすぎで肋骨を剥離骨折すればいいのにと、密かに強く願うのは僕の勝手でしょうか、いえ因果応報です。

そもそも音楽や小説や映画に共感できるか、それとも全くできないかは、極めて私的な人生体験の積み重ねに拠るところが大きい。

故に、映画評論家でもなんでもない僕がSNSに映画の感想を載せることに果たしてなんの意味があるのかと自問しつつも、11月5日から全世界に向けて公開された「ボクたちはみんな大人になれなかった」については、僕と少しでも関わりのある方にも少しも関わりのない方にも「騙されたと思って」観てほしいのであります。

ただ先に言っておくと、貴方がもし学級委員や生徒会長、ミスター慶應やミス聖心、一部上場企業の社長や藤原紀香、年商10億のカリスマパティシエやコルドンブルー帰りのショコラティエ、芥川賞やノーベル賞作家、オリンピックアスリートやハイパーメディアクリエイター、ジョージ・クルーニーやサンドラ・ブロックだったら、1ミクロンも刺さらない可能性があります。

僕はというと、一時期は独身に貫かれて、独身のための独身による独身ネタをひたすらつぶやいていたドクモ(典型的なモデル的独身者)をやりながら、IBMを辞めてピアニストとして音楽という茨の道を楽観的に歩み始め、後ろ指さされながら「売れないジャズミュージシャンやってんの」とディスられつつ余裕で独りで生きていけるくらいには料理の腕を磨き、いつの間にか結婚し育児休暇も取り赤ちゃんを空に放り投げてSNS映え写真を投稿しているのは、結局過去の無念を成仏させるための念仏なのです。南無。

黒歴史を遡ればきりがなく、神奈川の片田舎にある田奈小学校に転校したら数カ月後にイギリスに転勤するというだけで「ロンドン」とあだ名を付けられて投石から逃げて田んぼの泥水に膝まで浸かり、イギリスの現地校では眼鏡の日本人だというだけで"Sushi"とあだ名をつけられ頭から粉々になったフィッシュアンドチップスのポテチを振りかけられ、アメリカでは敗戦国から来ただけで"Kamikaze"と呼ばれるあんばい。

お前らマジいい加減にしろよ短絡的すぎるだろそんなんだからアメリカンジョークは世界レベルでつまらない扱いなんだよ、という想像力の欠如したあだ名をつけられ"Remember Pearl Harbor"とばかりにレスリングのリングでバチボコにやられ「HiroshimaとNagasakiも忘れんなよ!」と頭突きで反撃(反則)し、

もう海外はいいやと這々の体で親元離れて帰国した先に織田裕二のトレンディドラマばりにお洒落でインカレサークルとコンパまみれの学生生活を期待したものの、行きついたのは北関東訛りが聞き取れない茨城の片田舎で、6年通っても合コンなど皆無。

(記憶ではもっと汚く壁一面にカビが生えベッドは茶色いシミだらけ)

風呂トイレ共同(9割が和式便器)の猛烈にカビ臭い4.5畳のの学生寮に、授業をサボって稼いだバイト代で電子ピアノを買い、スピッツやミスチルを男女混合バンドでラブラブカバーする軽音部(軽音の軽は軽薄の軽)の彼奴らをよそ目に、マニアックど真ん中なジャズピアノの泥臭さに胸まで浸かり、転勤族で国ガチャ根無し草だった自分のアイデンティティを探していたのです。

見ての通りなんか全てが
ダサい、ダサすぎる(十万石まんじゅう)。

ここまで読んでいただけたら、ステージ演奏するときは白亜の宮殿のふりしているミュージシャンの多くが、基礎は姉歯建築士も真っ青な耐震偽装なことはなんとなく想像がつくと思いますが、やっと本題に入れます。

映画「ボクたちは大人になれなかった」は、2017年に新潮社から出版された原作本があり、更に遡ると2016年にケイクスというウェブメディアのネット連載が元となっています。

Cakes連載: ボクたちはみんな大人になれなかった
https://cakes.mu/series/3635

2016年まで生き延びた42歳のオッサンであるところの、ボク。1999年、ド底辺のお先真っ暗な二十代のガキであるところの、ボク。どっちもしょうもないけど、なんでだかあの頃が、最強に輝いて思える。夢もない、希望もない、ノーフューチャーなリアルに「最愛のブス」がいただけなのに――

作者は「燃え殻」さんという、ペンネームからして哀愁ただようパートタイム作家で、彼の本業は光吸収率99.965%なベンタブラックがライトグレーに見えるような超絶ブラック職場に務める、テレビ制作会社の美術担当。

作中では、バブルの興奮を引きずった90年代後半に記憶を遡り、華やかなテレビ業界の日陰で、何者にもなれていない主人公と「最愛のブス」との短い春がときに暖かくそして冷淡に綴られます。

俗っぽく「エモい」と評された彼の私小説はTwitterとサブカル界隈を中心に人気が高まり、本を読まない、小説を買わない世代にもじわじわと広がり重版に次ぐ重版、そして気付いたら「燃え殻」さんの名をメインストリーム寄りなメディアで見ない月はないくらいに、かつてのサブカルの旗手はじわじわと表のカルチャーの梯子を上りました。

(この事象の起点を記した田中泰延さんによる特別寄稿「小説家の誕生」もとても興味深いので参照されたい → https://www.machikado-creative.jp/planning/58020/ )

そこに来て、「イカゲーム」で過去最多視聴に沸くNetflix制作で、主演は森山未來さんでの映画化が全世界公開、そして日本全国30以上の映画館でも同時公開。

もうね、
エモい、エモすぎる(十万石まんじゅう)。

サブカル界隈から広まった燃え殻さんの作品が、5年半の時を経て全世界デビューをした。

長年の黒歴史のおかげか流行りに乗るのが苦手で、クリスピー・クリーム日本上陸の開店行列に並ぶくらいなら死んだ方がましと思うくらいにメインストリームに価値を感じなかった僕にとって、作品の広がりは他人事とは思えないくらいに嬉しい出来事です。

電話回線も引いてないしみったれたアパートから始まり、仕事も軌道に乗り少しずつ中流なマンションへと生活をステップアップしながらもレゾンデートルを自問する作中の主人公と、自分自身のベンタブラックな25年間を否が応でも重ね合わせてしまうのです。


(ベンタブラック黒すぎ)

…などという、えてして気持ち悪くなりがちな40代後半の自分語りは一旦置いておいて、「ボクたちは大人になれなかった」は、泣く子も黙る日本映画界の般若心経です。

般若心経の有名なフレーズを、ひとつ。

「色即是空 空即是色」

わかりますか?
わかりませんね。

では、説明しましょう。
色は即ち空を是とし、空は即ち色を是とする。

わかりますか?
わかりませんね。

僕もわかりません。


でも「 しきそくぜくう、くうそくぜしき」という響きから何か感じるものがあればいいんです。それは絶望の淵を歩いている者への導きであり、蓋をした過去の記憶の扉を開く鍵であり、とっくに電池も切れサービスも停止してても捨てられないPHSをコンマリするための引導です。

ありがとう、フリップ式PHS。ありがとうパルディオあの短いアンテナを引っ張りだす意味、あったんか?ありがとう藤原紀香さん、ありがとうJ-Phone、そして写メール。J-PhoneがVodafoneになりVodafoneがソフトバンクになってもついつい「写メ送って」って言っちゃうよ。どんなにGoogle Pixelのカメラ性能が素晴らしくても、10万画素で撮った粗い画質のエモさを忘れないよ。

そもそも、エモいってなんなんだ。インスタグラムが流行り始めた頃はみんなあえて汚いフィルターかけてましたよね。最新のスマホで数千万画素かけて綺麗に撮った画像を投稿前に汚してましたよね。

そういうことです。

わかりますか?
わかりませんね。
僕もわかりません。

ただ、映画が終わりエンドロールが流れるバックの曲中で、とある単語、あるいは固有名詞を聞いた時に、今ここに生きてて良かったし、色々とあったけど全ては正しい方向に進んでいるんだ、と思えたんだ。

それをエモいというか、成仏したというか、いい映画の証だとするか。

あるいはこの作品の世界観が、音楽が、主人公の葛藤が、そして切なさが少しも刺さらなければ、喜んでください。それはきっと、貴方が少しも屈折することなく、幸せにつぐ幸せな人生を生きてきた証かもしれませんから。

南無阿弥陀仏。


Mini Compoシリーズ
 (90年代前半の文具・実家書斎の引き出しで発掘)




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