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沖縄のステーキ屋にこだまするロブスターの断末魔

沖縄という場所には、いわゆる本土とは違った文化が数多く存在しております。その一つがステーキ文化であります。

沖縄戦の痕跡は米軍基地及びそこに駐在する米兵やその家族の存在という形で見て取ることができるわけですが、ある一定数以上の人間が存在しているからには、彼らの文化もそこに続いてついてくるというのは必然の話でありまして、目出度いことがあると分厚い肉を焼いて食べようというのもその一つなのでございます。

誕生日になりますと予約を入れて、家族みんなで行くらしいですな。私の知り合いなんか、お産間近だってのに身重の体を引きずって、食べに行ったって話です。その次の日にお子さんがお生まれになったそうですから、この子も肉の匂いを嗅いで出てきたんだとしたら、幼稚園なんか通う頃にはすっかりこの文化に染まっているんじゃあないでしょうか。

さて、先日私もこの文化を体験しましたので、ぜひその話をさせてください。

大学時代の友人が沖縄から引っ越すというので、その当時の連れ合いで今一度集まろうという話になりまして、まあ数日間に渡って語り明かしたわけですが、ある日、ステーキ屋に行こうということになりました。

恥ずかしながら人生はじめてのステーキ屋、どんなものかと思ってドアをくぐると中はまるでテーマパークのような有様でした。この店のコンセプトがどうもアメリカ人が世界を船で開拓していくというイメージのようで、木造船のような内装の店内には所狭しと絵画、民芸品、お札など異国情緒に溢れるものが飾られておりました。

かつて行ったユニバーサル・スタジオ・ジャパンのアトラクションのようだと思いながら鉄板のついたテーブル席につくと、シェフが目の前で調理をはじめました。軽快なリズムで肉を切り、野菜を切り。大きなペッパーミルをリズムよく打ち鳴らすパフォーマンスで場を盛り上げました。

赤くて長いコック帽を傾け、シェフが別れの挨拶を済ませますと、脳みそからお腹に血が取られていることもありまして、少しぼうっとした瞬間が訪れました。

何とはなしに机の上を眺めておりますと、塩コショウ入れに目が止まりました。店の作り込みは細部にまで行き届いているのだということを、この容器はお客に訴えかけておりました。それはただの四角い入れ物などではなく、両脇に塩とコショウのボトルを抱えた真っ赤なロブスターの形だったのです。

私はこのロブスターに非常な違和感を覚えました。何だって生き物が人間のために調味料を持ってニコニコと突っ立っているんだろうか。そんなことはありえない。エゴだなあ。それは人間のエゴってやつだ。

大学で生物学を専攻してしまったのが運の尽き。生物と人間の関係性には人一倍敏感になっている私の思考はここで止まるということはなく、むしろどんどん脂が乗ってきました。

よく考えるとこのロブスター、真っ赤になっているってことは、これはお前さん、茹で上がっているってぇことじゃねぇか。
おらぁ昔聞いたことがある。ロブスターってのは味を損なわねえように生きたままグツグツと煮えたぎった大鍋に入れられて茹で殺されるそうじゃねえか。痛覚がある分可愛そうだってんで、動物愛護団体だか何だかが抗議活動をしてたんだってね。

そう考えると目の前にいるこのロブスター、相当肝が据わってるんじゃないかい。だってそうだろう。自らを生きたまま釜茹でにして地獄の苦しみを味合わされた人間の前にその身を堂々とさらけ出すだけでは飽き足らず、塩とコショウとどっちで食べるって、自慢のハサミで抱えて見せて、美味しい食べ方をこっちに選ばせようって、そんな姿に見えるんだ。

おらぁこれは皮肉だと思ったね。こいつがその人生をかけて、人間に一矢報いるための皮肉だね。ただそれは、世界一前向きで、覚悟の決まった皮肉だね。食べれてしまうのを待つんじゃあなくてね、寧ろこっちから食べられに行く。捕まって茹でられたんじゃあ、仕方がない。それじゃあいっそ潔く、生き方よりも、死に方を選んで、どうせ食べるなら美味しく頼むよと言わんばかりにテーブルの上に鎮座する。人間様はこのロブスターの思うがまま。塩を二振り、コショウを三振り。おいしいおいしいと食べるしかないってわけだ。こりゃあ、一本取られてる。

そんなことを考えていると、テーブルの端に同じロブスターがもう一個あるのを発見いたしました。それは向こうを向いていて、ちょうど背中の甲羅が見えておりした。

さっきも申しましたように、このロブスターは両の手を広げて二本のボトルを抱え込んでおりますので、後ろから見るとその姿はまるで十字架のようでもありました。

私は思わず、「ああ、十字架とはかような精神が体現されたところに自然と立ち現れるものなのだなあ」と感心したものでございます。「アメリカ文化は、肉の焼ける匂いと一緒に、十字架の意味もこの地に伝えたのだなあ」と感心したのでございます。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!