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映画「アメリ」

フランス映画「アメリ」の主人公はうら若き女性である。ショートヘアが似合う彼女はどこか大竹しのぶさんにも似ているように思えた。

一風変わった両親に育てられ、同世代の友人と遊ぶという経験すら無いままに成長したアメリは、人付き合いが得意ではなく、空想癖のある少し変わった大人になる。

彼女はカフェで働きながら一人暮らしをしているのだが、その周りには何かと問題を抱えた人々が登場する。そんな彼らとの関わりを描きながら物語は進行していく。

アメリの暮らすアパートの管理人は憂鬱な気分で日々を過ごしている。彼女の夫は何十年も前に浮気をした挙げ句、国外へと移り住み、そこで亡くなった。彼女は彼のことを未だに引きずって生きている。

同じアパートに住むとある老人は、骨が弱いということを理由に自室にこもり、誰とも関わりを持たないまま、ただひたすらルノワールの絵画「舟遊びをする人々の昼食」を毎年1枚ずつ模写することに専念している。

またある男はアメリの同僚に振られてから毎日のようにカフェに通い、常にその元彼女を見張ってはその行動をテープレコーダーに吹き込み記録している。

この映画の主軸は運命的な出会いから始まる彼女の恋愛(観)でもあるのだが、これら精神的に病んだ人々との関わりもメインテーマとなっている。今回は後者について書いてみたい。

アメリは異端な女性である。上でもあげた特徴に加え、物の考え方も特殊だ。自分の存在が周りと不釣り合いであるという事実は彼女自身も悟っている(アメリはこの異端さを共有できる相手を潜在的に探し求めており、それが恋のお相手となるのだが)。言葉を選ばずに言うと、彼女はとても子供っぽいのだ。良く言えば純粋であるが、悪く言えば幼稚だ。

しかし、劇中ではそんな彼女の発想から生まれる解決策が周りの人々を救っていく。バカと天才は紙一重だという言葉があるが、幼稚と老練もまた、紙一重なのかもしれないと思わされる。

アパートの管理人は外国にいた夫から送られてきた古い手紙を後生大事に戸棚にしまい込んでいた。アメリはそれらの手紙から単語をハサミで切りとり、のりで紙に貼り付け、新たな手紙を作り出し管理人へと送る。届いた手紙を見た管理人は涙を流して喜び、夫のことでメソメソすることはなくなった。そこには夫から彼女への愛を語る文章が書かれていたのだ。

ルノワールを描く老人には、ビデオを送った。それはアメリの部屋のテレビに流れた映像がぶつ切りに録画されたもので、ツール・ド・フランスに馬が乱入した場面や、生まれながらに義足の男がタップダンスを踊る映像など、おそらくはアメリの中で何かときめきを感じたのであろう瞬間が羅列されいた。
老人は一つ一つの映像に見入り、心を踊らせているようだった。そして彼はある日、絵を描きたいという青年を弟子にし、部屋で指導をし始めた。最初はその青年の描く絵を否定していた。しかし次第にその絵に触発され、ただルノワールの模写をするのではなく、自分なりのタッチで絵を描くようになった。

カフェに通って元彼女を監視する男には、新たな恋を用意した。いつも男が座る席の向かい側でタバコを売っている従業員だ。両方ともに相手があなたに興味があるようだと吹き込み、その気にさせた。二人は互いに意識し合うようになり、交際がスタート。元彼女の行動をテープレコーダーに吹き込むという男の習慣もなくなった。

アメリは、陰湿で回りくどく見えるやり方でしか人に干渉していこうとはしない。しかし、彼女は彼女なりに物事の、また、人間の本質を読み取っている。そして、いかに嘘、というか、思い込みというものが人を操っているかを見抜いている。

管理人に送った夫からの手紙は嘘である。ビデオの映像にしても、外の世界がいつもそのように目を見張るものばかりでは無いという意味では、嘘だ。カフェでの新たな恋仲に関しても完全なでっち上げから始まっている。

幼い頃から空想の中に生き、そこから得られるアイデアに従って生きてきたアメリ。きっと彼女は誰よりも、人間の頭の中だけで起こっていることの力強さを理解していたのではないだろうか。

しかしながら、カフェでの新たな恋愛は再び破局に終わるようだった。ただそれでも、アメリの作戦が事態を一歩前に進めたということには変わりない。良いのではないかと思う。対処療法の連続で生きていくのも。


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