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第3話: 明石の鯛はなぜ美味いのか?

ジオリブ研究所所長、ジオ・アクティビストの巽です。

お魚は和食には欠かせない食材です。中でもマダイは、縁起物として日本の食文化を特徴づける存在です。高級魚の代表格でもあるマダイは、日本列島の沿岸域に広く生息し、全国各地に名産地があります。しかしなんと言っても圧倒的なブランド力を誇るのは、兵庫県明石海峡周辺の6漁協で水揚げされる「明石鯛」でしょう。

今回は、この明石鯛のヒミツに迫ります。

さあ、ジオリブしましょ!

明石鯛:その美味さを科学する

700以上もの島が浮かぶ瀬戸内海は「天然の生賓」と称されるように、400種以上もの魚介類が生息する豊かな海です。そしてタイ、タコ、アナゴ、アイナメ、サワラ、フグ、タイラギなど、食通を魅了する食材の宝庫です。その中でも明石鯛はいわば別格でしょう。ブルーのアイシャドウをつけた1.5~2キロの桜鯛の身はほんのりと飴色を呈し、たわやかな旨味が秀逸です。また脂の乗り始める紅葉鯛のしゃぶには艶やかさがあります。

明石鯛がこれほどまでに美味いのは、旨味成分が多いからです。念のために復習しておくと、旨味とは単に感覚的な美味さとは違って科学的なものです。出汁の真髄とも言える昆布の旨味成分はグルタミン酸です。そして魚に含まれる旨味成分が「イノシン酸」なのですが、これはもともと魚に含まれている訳ではありません。身に含まれるATP(アデノシン三リン酸)から次のような代謝・分解反応で作られのです:

ATPサイクル

魚の活動は、ATPがADPに変化する際にエネルギーが作られ、ADPが呼吸によって再びATP へ戻るというサイクルで支えられています。魚が死んでATPが無くなると死後硬直が始まり、 ADPが分解し、AMPを経て旨味成分であるイノシン酸へと変化、そしてその後腐敗していきます。この一連の反応から、食材としての魚には次の3点が重要であることが分かります:
 ① ATPを多く含む魚であること、
 ② 死後もATPを枯渇させない、つまり死後硬直を遅らせること、
 ③ 適度な熟成を行うこと。

潮の流れが早い明石海峡を泳ぐ鯛はいわば筋肉質で、ATPを多く蓄えています。これは、「立って歩く」と言われる明石蛸にも言えることです。さらに明石では「活け〆」をすることで悶絶死によるATPの枯渇を防ぎ、さらに「神経〆」によって死後生体反応によるATPの減少をも抑えています。このように丁寧な前処理を施して届けられた明石鯛を一晩ほど熟成させると、旨味たっぷりの食材へと進化するのです。好みはありましょうが、釣りたてや、いわゆる「活け造り」と呼ばれる類は死後硬直の魚を食しているもので、 歯ごたえはともかく、 旨さとは無縁のものなのです。

瀬戸内海には明石海峡と同様に潮の流れが速い「瀬戸」と呼ばれる場所がいくつもあります(図1)。渦潮で有名な鳴門海峡、備讃瀬戸、それに来島海峡、豊予海峡など、いずれも旨い魚の産地として知られている所です。

図1_瀬戸内海潮流

なぜ瀬戸では潮の流れが速いのか? 

瀬戸内海の速い潮の流れは、 瀬戸内海特有の地形と地球の潮汐現象によって生み出されます。 地球潮汐とは1日に1~2度起きるゆっくりした海面の昇降運動で、固体地球と海水に働く月と太陽の力と地球の自転によって生じます。この潮汐が瀬戸内海の潮流に与える影響を考えてみましょう。

瀬戸内海の人り口、 つまり太平洋側の紀伊水道や豊後水道では、地球潮汐によってほぼ同時に満潮となります(図1)。この満潮に伴う海水面の高まりは、大きな波となって瀬戸内海へと押し寄せるます。 しかし、 淡路島や佐多岬半島がダムのようにこれを堰き止めるために、 満潮が瀬戸内海の内部へ伝わるには時間がかかってしまいます。 実際大阪湾や伊予灘では、太平洋側より2時間ほど遅れることになります。この遅れた潮位の高い波が内海の奥にある明石海峡や芸予諸島などの「瀬戸」を通り抜けるにはさらに時間を要して、 その後ようやく瀬戸内海内部へと伝わってゆくのです。その結果、播磨灘や備後灘周辺の満潮時刻は、太平洋側より5時間も遅れてしまうのです(図1)。

さてこの時太平洋側では、すでに満潮は過ぎて海面は低下しており、その低い潮位はすでに紀伊水道や大阪湾にまで及んでいます。 その結果、例えば明石海峡や鳴門海峡の両側では、海水面に大きな段差が生じることになり、 大阪湾と紀伊水道に向かって勢いよく海水が流れ込むために高速潮流が発生するのです。 そして次に太平洋側が満潮となり紀伊水道や大阪湾の水位が上がった時には、 まだ播磨灘の海水面は低い状態にあり、 再び強い潮流が瀬戸内海の内部へ流れ込みます。

このように、瀬戸で潮流が速くなるのは、瀬戸内海が瀬戸と灘が繰り返す地形を有するために、太平洋からの潮の満干の波が遅れて伝わることが原因なのです。

「海の穀倉地帯」と呼ばれる鹿の瀬

さて、 瀬戸内の極上の鯛にはその特有の地形がもたらす高速潮流が不可欠であることはご理解いただけたでしょうか?「明石鯛」には、これに加えてもう1つその美味を支える原因があります。 それは明石海峡の西に位羅する「鹿の瀬」と呼ばれる浅瀬です(図2)。 干潮時に鹿が小豆島や淡路島へ歩いて渡ったとの言い伝えから名付けられたこの浅瀬は、 最も浅い所で水深は2m、 船舶にとってはまさに「危険水域」です。

鹿の瀬は、明石海峡を通り抜ける高速潮流が運んできた砂が堆積した海底台地です。 この砂は陸域に広がる六甲山塊の花岡岩が風化したもので、 この岩石の主体をなす「石英」は硬くて風化されにくく、 そのために粗い砂になります。 このような粗く隙間の多い砂地では、 内部まで十分に酸素が行き渡り、 プランクトンが大量に発生します。これを目指して甲殻類やイカナゴが集まるのです。そしてこれらはまた、 タイやタコの大好物なのです。明石鯛にしか見られないブルーのアイシャドウは、 甲殻類の殻に含まれる虹色素胞に由来すると言われています。

図2_大阪湾播磨灘海底地形

次回は、 このような美味なる魚介類を生み出す瀬戸内海の誕生について、ジオリブすることにしましょう。

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