映画レビュー 『ゴダールと映画史: 「永遠」を撮った男の神話と実像』

Nor shall Death brag thou wander’st in his shade

When in eternal lines to time thou grow’st:

——“Sonnet 18”, William Shakespeare


Elle est retrouvée.

Quoi ? – L’Eternité.

—Arthur Rimbaud

 都内のミニシアターで上映されているドキュメンタリー映画『ゴダールと映画史: 「永遠」を撮った男の神話と実像』を鑑賞してきた。

 周知の通り、ゴダールは1950年代にフランスの映画運動ヌーヴェル・バーグの旗手として活動して以来、現在まで精力的に活動を続けている映画史を代表するといっても過言ではない人物である。本作はこの巨匠のフィルモグラフィー、半生と作品を紹介しながら、同時に現在に至る映画史の記述も試みた意欲的なドキュメンタリーとなっている。以下にその映画の内容を要約しよう。

 1861年5月7日、ゴダールはインドのベンガル州カルカッタの名門に生を受けた。当時インドを植民地としていたイギリス流の教育を彼は受け、イギリス本土の大学への留学も経験した。しかし、青年期において彼が自分に最も馴染み深く感じられ営みとはインドにおける農村生活を詠いあげることであった。今日ではその映画で記憶されるパゾリーニ同様、ゴダールもまた若き日においては卓越した詩人であったが、しかもいたずらに技巧と修辞に走る詩人ではなく田園の自然と農村の日常の風景の中にインド社会のみならず世界と人類の縮図をも見出すことのできる具眼の詩人であった。

 ゴダールの人生あるいは人類の芸術史を一変せしめたのは1895年12月29日の夜であった。その晩、彼はたまたま旅行でフランスに滞在しており、フランスの行政上の首都である以上にヨーロッパの文化の首都であったパリのキャプシーヌの通りの一角にいた。そこで彼は自分に勢いよく向かってくる暴走機関車を目の当たりにする。彼は恐怖し、間を置かずしてそれが一つの幻影に過ぎなかったことを知るのであった。

 この年、彼の芸術表現に一大手段の可能性が与えられたわけだが、その後この衝撃を懐中に温めながらもゴダールは一度インドへ帰国し田園生活に戻る。教育活動にも携わりながら詩作に勤しみ、ノーベル文学賞を受賞するなどしていたゴダールに新たな霊感を与えた決定的転機は1930年にもたらされた。

 訪欧旅行の一貫でベルリンにアインシュタインを訪ねたゴダールは、この稀代の物理学者との対話から哲学的洞察を得る。人間の営為とは独立して物理の法則は存在し、天体も流転すると語るアインシュタインに対してゴダールは反駁する。そのような客観的真理は実在しない。たとえば物理法則が人間の観察を通じて導かれる時、それはどこに存在するのか? 人間の精神世界の内部に他ならないだろう。したがって、物理法則や「客観的真理」を実在せしめるのは人間であるか、あるいは——ゴダールはさらに一歩進め、こう言った——芸術、とりわけても映画である。

副島(187)

 たとえばシェイクスピアの眼前に立ち、その容貌を太陽と比べられた美青年は、無論、20世紀の今となってはウェストミンスターの鐘の音を虚しうする塵芥となっている。しかし、このシェイクスピアのソネットを読んだ人間にとって、確かにその青年——というよりもその青年の美というものは、確かに今も存在するのだ。だがソネットを読んでいない人間にとってはその青年とその美はいかなる意味においても存在していない。このことは宇宙の恐るべき多元性をどんな複雑な数式よりも雄弁に、そして鮮やかに示している。そして映画は、詩人の視覚を詩以上の切実性をもってして見る者を襲う。これは恐るべきことだ。そう言って、ゴダールは天を仰いだ。

 この対話は創作の実践とは異なる角度から彼の芸術の方法論を定式化するに大いに与った。この年の12月3日、ゴダールは映画を新たな創作手段として取ることを決意し、この日を新たな自己の誕生になぞらえ第二の誕生日とした。「映画=映像+音」と定式化したことが知られるゴダールだが、奇しくもこの年アメリカで生まれたトーキーがフランスをはじめとしヨーロッパに本格的に普及し始めていた。

 そして映画はこの後のゴダールの芸術的活躍を伝記的に描く。しかし、これはもはや周知の通りであるから語る必要もないだろう。『勝手にしやがれ』にはじまりソニマージュの作品群を経て『イメージの本』に至る一連の作品紹介の後、ドキュメンタリー映画のナレーターが以下のように語る。

 ゴダールを評価するにあたって最も重要であるのは、その真の意味での国際性、すなわち比類なく洗練された芸術的普遍性である。彼はインドの映画の英雄である以前に、世界の映画の英雄である。これは彼と同時代を生きたサタジット・レイといったインドの巨匠についての批評や研究とゴダールに関するそれを比較してみれば一目瞭然である。

 サタジット・レイの優れた映画に対し「インド的」といった形容詞を、オリエンタリズムの謗りを受けることを承知の上でもなお使わずにはいられないというのは、批評家の語彙の貧困ばかりによるのではあるまい。少なくともサタジット・レイの映画作品には彼を育んだインドの風土と社会が描かれているのだから。
 
 その一方、ゴダールの映画に関して生成されてきた言説において「インド的」という形容詞が用いられたものをご存知の方がいるだろうか? ゴダールに関する言説は天文学的に膨大であるにもかかわらず、我々はついぞ彼を「インド的」とする評価を一度も目にしたことがないのだ。

 既に生誕から長い時が経った今日における極東のこの国でも絶えずその人生と作品に関する言説が生成され続ける裏腹にある、この不可解なパラドックスにこそゴダールという映画人の神秘的ともいうべき普遍性の根源がある。

 サタジット・レイが国際的でないのではない。ゴダールが余りにも国際的に過ぎるのだ。

 ナレーションがこのように語ると、カメラは2021年現在スイスに住まい老いてなお創作意欲を滾らせて次作の構想を練りながら湖畔を散策するゴダールの後ろ姿を捉える。


 ここでフィルムは途切れ、映画館に灯りがついた。ある者は席を立って、長い間縮こめていた体を伸ばしていたし、ある者は目を閉じて座席に深く腰掛けていた。

 しかしながら、稀代の巨匠の人生の残響と余韻、つまり喜ばしく快い疲労感にひたっていたということは、客の全員に間違いなく共通していた。

 そして会場のアナウンスがつげた。

 «本上映はこれよりインターミッションに入ります。上映再開は十分後となります»


 十分後は2025年。実験精神に富んだゴダールはカメラとフィルムを携え自らを宇宙へ射出した。そして悠久の時が流れた。

 地球は遂にかつて生命を産み育んだ、慈愛と滋養に富んだその環境を失って、代わりに人の子と見れば食らいつきその命を奪って尚省みることのない鬼子母神のような過酷な荒地と化して、人胤は死に絶えたのかもしれなかった。

 あるいは、環境破壊や戦争という問題を、人類は過ちを繰り返しながら、ちょうど時に転げ落ちながらも螺旋階段をのぼるかのように時間をかけ、とうとう克服してみせたのかもしれなかった。人類全員が、これまで永く理念に過ぎなかった「希望」と「平和」が本当の意味で実現されたことを噛み締め、生まれも言葉も肌も性も考え方もまるっきり違う相手を対等な同胞と認め、互いに抱きしめあい讃えあったまさにその晩に、予測もされなかった隕石がチェーホフの嫌ったライフル銃さながらに地球を撃ち抜いて、人間悲喜劇に唐突に幕を下ろしたのかもしれなかった。

 もしかしたら時を遡ってしまったかもしれない。癩を病む賎民であると同時に聖者としてパリの貧民街の蕁麻の上に坐した男が、なお眼前にエルサレムの丘を見た。あるいはドイツはスワビアの平野に野営を明かす一兵卒は中世の戦場で雄叫びをあげていたのかもしれない。果たして、その野蛮は野火の如く広がって地球を包み込んでしまったのか。

 ただ一つ確実であったのは、太陽系を脱出したゴダールが一人、地球を望遠カメラで捉えその終焉の際を観察しフィルムに収めていたということだ。青い地球が赤くなり、やがて深い黒へと染まってゆき、宇宙へ吸い込まれていく。破滅。
 その瞬間を見つめるゴダールの背にある、やはり漆黒の虚空の中には、一条の閃光が在った。それは新たな惑星の誕生を告げる光なのだろうか? しかし、それは映写機の光にも似ていた。そしてゴダールはこう呟いた。

 «見つけた、何を?永遠を。»

参考文献

副島隆彦『ハリウッド映画で読む世界覇権国アメリカ』講談社、下巻、2004




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