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【GENT'S STYLE】W. ユージン・スミスの『THE JAZZ LOFT』から『MINAMATA』の間、フォトジャーナリズムとはなにか。

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報道写真家 W.ユージン・スミスに関する映画が日本で相次いで公開された。ひとつはジョニー・デップ主演のハリウッド映画『MINAMATA』、もうひとつは水俣へ行く前の半生を描いたドキュメンタリー映画『THE JAZZ LOFT』である。
(映画の予告編ではユージンの代表作が掲載されている)。

『THE JAZZ LOFT』は10月15日に公開されたので、これを書いている10月20日現在、日本では双方の映画を劇場で観ることができるはずだ。

 この二つの映画の間に横たわるもの、1940年代半ばからフォトジャーナリズムを確立した報道写真家W.ユージン・スミスが、生涯を通して描きたかったものは何であったのか。
しばしば写真は、撮影された背景と作者の意図を知ることで一枚の写真が持つ意味が全く違って見えることがある。その背景には何があったのか。

 これから映画を観る方のために、そして既に映画を観た方のために、写真表現を愛する私なりの考察と映画に描かれていない史実についても書いてみようと思う。

 本稿はぜひウィスキーと、セロニアス・モンクの「Little Rootie Tootie」「Straight, No Chaser」「Monk’s Mood」そして「Round Midnight」を傍に読んでもらいたい。ユージンが見出したような救済がウィスキーとジャズにはあるはずだから。
 
 まずは二つのまるで異なるアプローチの映画から語ろう。
 映画『MINAMATA』は2020年2月にベルリン国際映画祭で初公開された。1970年、当時51歳だったユージンがスタンフォード大学の学生であった20歳のアイリーン・スプレイグ(後のアイリーン・美緒子・スミス)とニューヨークで出会い、水俣に移り住み、結婚し、水俣病の実情を撮影した後半生が描かれている。

 そして『THE JAZZ LOFT』(原題The Jazz Loft According to W. Eugene Smith)は水俣に行く前の1957年から1965年にかけて、マンハッタンのジャズミュージシャンが集まった伝説のロフトで、ユージンによって撮影された映像と写真をもとに、前半ではユージンの写真の創作の秘密、後半はセロニアス・モンクやズート・シムズらによるモダンジャズの黎明期を描いたドキュメンタリーだ。

 ユージンが録音したジャズセッションのテープは4千時間、撮影画像は4万枚に及ぶ。サラ・フィシュコ監督がスミスの息子を始め、関係者に丁寧なインタビューを行い、このインタビューと合わせて、膨大な記録画像と共に編集し、完成したのがこの映画だ。

 この映画を観た後はセロニアス・モンクの「Little Rootie Tootie」が聴きたくなるだろう。モンクは1947年にビパップ誕生の礎を築いたチャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピーの『バード&デイズ』に参加。1950年代から60年代にかけて活躍し、1970年代には表舞台から姿を消した。この録画は、彼の最盛期と重なっているだけに貴重なものだと思う。彼の強烈な個性に基づいた独創的なジャズの一端に触れることができる。
(1988年公開のクリント・イーストウッド製作のモンクのドキュメンタリー、「Stragiht,No Chaser」も忘れがたい。)

 ところで、なぜスミスは水俣へ行かなければならなかったのか。
『THE JAZZ LOFT』から『MINAMATA』までの間に何があったのか。
 
 1918年カンザス州ウィチタに生まれたW.ユージン・スミスは第二次世界対戦中に報道写真家として活躍。1945年の沖縄戦で手投げ弾を浴び、瀕死の重傷を負った。顔面、特に上顎の損傷は酷く、32回もの手術を受け、2年の闘病生活を経て自宅へ戻った。シャッターを切ることさえ危うい状態だった。この時の怪我が原因で総入れ歯となり、固形物を咀嚼することができず、毎日500mlのウィスキー一本、牛乳やオレンジジュースに卵を混ぜたものとビタミン剤、大量の鎮静剤と向精神薬で生きていたらしい。食への楽しみはおろか、肉体的かつ精神的な後遺症による痛みと戦う中でスミスを救ったのが音楽だった。
 
 戦争写真家として戦場に戻ることはできず、一般的な暮らしにも馴染めない。妻と4人の子供の養育費も生活費も払えない状態で、おまけに愛人との間に隠し子もいた。経済的に困窮し、生活の糧を得るためにも安全な戦場に身を置く必要があった。それがジャズロフトだった。彼には何かインスピレーションを得るものが必要だったのだろう。

 W.ユージン・スミスといえば、ふたりの子供が光の中へ歩み出す様子を切り取った「楽園への歩み」(1946年)や、水俣病の悲惨と親子の慈愛を同時に描いた「入浴する智子と母」が脳裏に浮かぶ。完璧な構図、光と影のコントラストの美しさ、絵画のようにも見える彼の写真はリアリズムとは何かを観る者に問う。

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