かもめ食堂 2┃群ようこ
高校は食物科がある女子大の付属に通った。
その一方で、大学を卒業するまで、料理教室にも積極的に行った。フレンチ、イタリアン、和食、エスニックと興味があるものは、片っ端から行ってみた。
父は、
「行きたいのならしょうがない」
と月謝を出してくれた。
どの料理もそれなりにおいしかったが、やっぱり頭の隅にあるのは、亡き母が作ってくれた家庭料理であったり、父が作ってくれたおにぎりだった。
皿の上に絵を描くように、料理を盛りつけるのも、美しいとは思うけれども、どこか自分が持っている感覚とは違っていた。野菜の煮物を、
「臭くてださい」
といい、あの店のイタリアンはいい、フレンチはこの店だといっているクラスメートにも違和感を覚えていた。
「ああいうのもいいけど、本当に人が食べる毎日の食事って違う」
それがサチエのテーマになった。母が漬けていた糠味噌漬けもひきついだはいいが、どんどん味が悪くなっていって、あせった時期もあった。それでも試行錯誤して糠床に昆布を足したり、ときには魚の頭もいれたりして、何とか元に戻した。
「私、おいしい御飯とお新香とお味噌汁があれば、何もいらないな」
と学校でいったら、
「おばあさんみたい」
と笑われた。
サチエにとっての究極の食事はこれだった。
研究がてら、いろいろな店で食事をしても、素材を油や調味料でごまかしているものが多くて、サチエにとって濃い味付けが多かったが、クラスメートはそういう味の濃いものを、おいしいと喜んで食べていた。みんな薄味よりも濃い味のほうがずっと好きで、食物科に通っていながら、自分の食事はいつもカップ麵という子さえいた。
「華やかな盛りつけじゃなくていい。素朴でいいから、ちゃんとした食事を食べてもらえるような店を作りたい」
勉強をしていくうちに、だんだんサチエの夢はふくらんでいった。
そう友だちに話すと、
「あら、居酒屋でもやるの」
とか、
「ああ、自然食レストランみたいな」
などといわれ、自分のイメージが理解されない。
「流行ってるよね、そういうコンセプト」
などといわれて、どういう意味だよと、いいたくなったこともある。
お金を貯めて雑誌に紹介されている有名なレストランで食事をしても、
「この値段でこれか」
とあきれかえるような店も多かった。
だいたい店の応対する人間がなっていなかった。自分も若輩だが、人としてそれはまずいだろうといいたくなるような、客に対して慇懃無礼な人間も多かった。心の底では馬鹿にされているのに、表面的なおべんちゃらだけで、喜んでいる客も情けない。
自分が店をやったら、絶対に客にはそういわせない。大学を卒業するころには半分意地になっていたが、学生では先立つものもなく、父にもその話はしていなかった。
大手の食品会社に就職して、サチエが配属されたのは、弁当開発部だった。
弁当も同じメニューだとすぐに飽きられるので、毎年、春夏秋冬、謳い文句をつけて販売するのである。サチエがいちばん苦手とする、味付けの濃いおかずの類の開発は、なかなか辛いものがあった。
目新しいもの、目新しいものといわれるので、わけのわからない取り合わせのサラダとか、エスニックの調味料を駆使した箸休めとか、弁当の中は世界の料理大集合になっていった。
それでもサチエは、店の開店のため、お金を貯めるためと、ずっと我慢していた。まさに、
「人生すべて修行」
であった。
実家から通っている利点もあって、生活はなるべく切りつめた。会社では白衣を着ることが多いので、同じ服を着ていても、みんなにばれにくいのも幸いだった。家に帰ると、毎日、預金通帳を眺めていた。就職してから十年以上、
「早く増えますように」
と印字されている数字をこすってみたりした。
店のオーナーになった人の話が雑誌に掲載されていると、むさぼるように読んだ。でも自分が望んでいるような店はどこにもなかった。
昔の食堂みたいに近所の人がやってきて、楽しく過ごして、食べる物は素朴だけどおいしい。
表面だけお洒落で実のない店には絶対にしたくなかった。でも東京ではそんな店ばかりが多くなっていく傾向があり、雑誌に載っているとか、予約が取りにくいとか、そんなことが店の評価の基準になったりしていた。
「今の日本人って、味なんかわかってんのかなあ」
ベッドにひっくりかえって、そんなことも考えた。
すぐに目先の新しいものにとびついて、流行っていればいいものだと勘違いしてしまう。老舗の筋が通った和食店ではそういうことはないだろうが、自分は板前ではないし、作りたいのはそういう店ではない。
「そうか」
サチエはぴょこっと飛び起きた。
「外国で作ればいいじゃない。何が何でも日本でやる必要なんかないもん」
気分が明るくなってきた。幸い、各国の料理を習ったおかげで、どこへ行ってもそれなりの料理を作れる自信はある。
「そうか、そうか、あっはっは」
いったいどこの国がいいだろうかと、あれこれ思いを巡らした。アメリカ人は味がわからなそうだし、イギリスもピンとこないし、中国や韓国には入り込む隙間がないし、インドもアフリカ大陸も……と考えているうちに、ふと頭に浮かんだのは、フィンランドだった。
「フィンランドねえ」
サチエは腕組みをしてうなずいた。ずいぶん前になるが、父の道場にフィンランド人の青年が来ていた。サチエはティモさんと呼んでいた。
他の外国人のお弟子さんたちは、明らかに道場で闘いのモードに入っているのに、彼はどことなく違っていた。
無愛想なので怒っているのかと思うとそうではなく、サチエをかわいがってくれた優しいお兄さんだった。
その後、まだ母が生きているとき、家族三人でヘルシンキの武道場に行ったことがある。帰国する前、ティモさんが遠慮がちに、いつかヘルシンキの道場で指導して欲しいといったのを、父が、
「よし、わかった」
とほとんど謝礼なしで快諾したのだ。
今でもそのときに買ってもらった、ムーミンとミイのお人形を持っている。一週間の滞在だったが、どこかのんびりして、海沿いにはころっころに太ったかもめがたくさんいて、すぐ近くに森もあって、サチエはとても好きになった。
他の外国人のお弟子さんたちは覚えていないが、彼のことはよく覚えている。もしもそこで店を出すとなったら、知り合いがいたほうが都合はいい。
「よし、いいじゃないの、いいじゃないの」
サチエはだんだんうれしくなってきて、着々と準備をはじめた。
古い名簿を引っぱり出して、門弟の住所を調べて、彼にハガキを書いた。のっけから本題に入るのも何なので、お元気ですかというご機嫌伺いである。
もしかしたらそこにはいないかもしれない。
返送されて戻ってくるかもしれない。
自分でも唐突だと思ったが、そうせずにはいられなかった。出すほうがそうなのだから、もらったほうはもっとびっくりである。
これまで何の音沙汰もなかった、恩師の娘から突然のハガキをもらって、
「おろろきました」
とつたないひらがなで書いた返事が来た。
以前の住所には母だけが住んでいて、そこからハガキが転送されてきたことと、近況、彼のヘルシンキの現住所が書いてあった。
一本の糸がつながったことで、サチエの夢はがぜん、現実味を帯びてきた。
会社が終わってから、料理学校の夜間部に一年半通って、調理師免許をとった。フィンランド語をマスターするにも、とにかく時間がないので、構文を丸暗記である。
問題なのは開店資金だ。貯金はある程度あったけれども、料理学校の学費が百五十万ほどかかった。父に頼るのも嫌だし、そんなことをいったら反対されるに決まっている。
外国で店を出すとなったら、百万単位の貯金では不安だ。その上のランクでなるべくたくさんの貯金が欲しいとなったら、自力では無理なのは、サチエは十分わかっていた。となったらあとは他力にすがるしかない。
サチエはくじ運がよかった。幼稚園のときに、町内の福引きで温泉旅行を引き当ててから、家ではサチエがくじ引き担当だった。お年玉つき年賀はがきでも、何度二等を当てたかわからない。ある時期、あまりに当たるのが怖くてくじ引きをやめていたこともある。
くじ運がいいのは才能だ。最近は福引きもしていないし、小さなくじ運がたまって、大きなくじ運になっているかもしれない。
「やってみるか」
狙いはそれまで買ったことがなかった、宝くじである。
ギャンブルには興味がないサチエにとっては、一攫千金を狙うにはこれしかない。一度に買うのは三十枚。宝くじ長者の情報を調べ、千万単位の当たりくじが出た売店を徹底的に調査した。
いちばん最初のとき、売店に行くとたくさんの人が列を作っていた。それを見ただけで、当たりっこないと思って、気持ちが萎なえた。それでもこれで当たれば店が出せるのだと気を取り直して、列に並んだ。
結果は末尾だけが当たる、
「並んでご苦労様賞」
だけだった。
次は売り場を変えてみた。結果は同じだった。
さすが宝くじは手て強ごわいと思いながら、年末ジャンボ宝くじを控え、三度目の正直はあるかと、街を歩いていると、宝くじの売店があった。
そこも千万単位の当たりくじが出た場所という情報はあったが、サチエの購入リストの中にはいれていなかった。
ところが売っているおばさんに後光がさしている。他の人には見えなかったかもしれないが、明らかにサチエには見えたのである。引きつけられるように売店に歩み寄り、
「バラで。三十枚」
とおばさんに声をかけた。
大晦日、サチエはテレビのニュースで、年末ジャンボ宝くじの当せん番号を知った。電話の横のメモを破り、あわてて書きとめた。
「当たってるかな、当たってるかな」
学生時代から使っている、机の引き出しを開けて、宝くじを取り出し、椅子に座り、一枚ずつ見ていった。
「組が違う。うーん、これもだめだ。?」
目にとまったくじがあった。
「えっ……、これ。当たって……る?」
心臓がどきどきして、かーっと顔が熱くなってきた。
「23組 2084……あーっ!」
間違いない!
「あたあたあた……」
サチエは腰くだけになって椅子から転げ落ち、床に倒れ込んだ。まさか本当に宝くじが当たるとは。
「うーん」
そのまま床の上に横たわった。
「夢かもしれない。ただ夢の中で喜んでいるだけなのかもしれない」
試しに眠ってみた。しばらくして起きてみると、やっぱり枕元に宝くじがある。起きあがって調べてみると、
「当たってる!」
いちおくえーん! サチエの両目からだーっと涙が流れた。自分でもわからなかったが、涙が出てきたのであった。
「ありがとうございます。ありがとうございます」
サチエは何度も年末の太陽に向かって頭を下げた。こんなことが自分に起きていいんだろうか。もしかしたらこれで一生の運を使い果たし、明日死んでしまうのではないだろうかと、いいしれぬ恐怖にも襲われた。
外に出るときも、バッグの中に当たりくじをいれて、胸に抱えて歩いた。少しの物音にびくついたりして、余計に目立つ始末であった。正月の稽古にやってくる、父のお弟子さんたちにお汁粉をふるまいながら、サチエは休み中、ずっと心ここにあらずだった。
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