歩き続けるのは前に進みたいからではない。ただ止まれないから。それだけなのに。デビューから10年 。進化し続ける著者の最高到達点。死んでしまいたい、と思うとき、そこに明確な理由はな…
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#試し読み
どうしても生きてる|七分二十四秒めへ 1|朝井リョウ
谷沢依里子(やざわよりこ)はハサミを差し出しながら、木之下佳恵(きのしたよしえ)のことを思い出していた。
「えっ、あ、ありがとうございます」
隣のデスクの永野明日美(ながのあすみ)は、戸惑いながらもそのハサミを受け取った。自分が探していたものがどうしてバレているのか、不思議に思っているのだろう。
「左利き用のって、備品にないんだよね」
依里子は、指先に残るハサミの刃の冷たさを擦り取り
どうしても生きてる|七分二十四秒めへ 2|朝井リョウ
自動車教習の学校に通っていたころ、教官と折り合いが悪く、卒業試験で不合格を言い渡されたことがある。そのときは、町を歩きながら、目に映る人間を自動的に二つのグループに分けていた。
あの人は車を運転しているから免許を持っている、あの人は学生服姿だからきっと免許を持っていない。そんな基準で人を振り分けたことはそれまでなかったので、自分の中の変化に、依里子は当時とても驚いた。
「あの、谷沢さん」
どうしても生きてる|七分二十四秒めへ 3|朝井リョウ
「谷沢さん」
すべての片付けを終え、会社を出ようとしたとき、明日美から声をかけられた。
「ありがとうございました」
明日美はそう言うと、依里子に小さな袋を渡した。「ちょっとの間でしたけど、お礼です」取り出すと、中に入っていたのは、携帯電話のモバイルバッテリーだった。
「実は私、行きの電車、最近ずっと同じで」
思わぬ告白に、依里子は一瞬、動揺する。
「谷沢さん、いつも、動画観てます