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極論と中庸

おはようございます。今日は睡眠を10時間程取ることができました。睡眠時間を犠牲にして踏ん張るべきときもあれば、最高のパフォーマンスを出すために睡眠時間をしっかり確保しておくべきときもあります。沢山眠ることもよいことですし、締切が迫る仕事を成し遂げるために睡眠時間を削ることもまた必要なことであると思います。ここのバランス、中庸的な生活を心がけていくと、より人生が豊かになっていくのではないかと、考えたりしました。

最近、私がハマっているポッドキャスターの慎泰俊さん「五常・アンド・カンパニーCEO」の放送内容を聞いて、哲学系の本などに手を付け学ぶようにしております。

前回読んだ本は、アリストテレスの「ニコマコス倫理学」という本でした。
大きな話の流れとしてはこんな感じでした。

善とは何か

幸福であるとは何か

徳・卓越性とはなにか

中庸とは何か

どのように中庸的な選択を繰り返していけるか

なのでまとめると、善とは幸福であることであり、幸福であるためには、徳や卓越性を体現する必要があり、そのためには中庸的な選択を繰り返す必要がある、というのがこの本の内容でした。ポイントとなるのは、やはり中庸的な選択をすること、つまり極端にならず場に応じて、最適解を常に選ぼうとする状態をつくる必要があるということです。

昨今は、話し方が9割、伝え方が◯割、などなどわかりやすい極論を打ち出してキャッチをつかもうとするような情報が溢れかえっています。なぜなら、単純でそうした簡単なものに人は集まっていくからです。そしてそうした簡単なものは、実は悪いことではなく人々をより良い未来に導くための行動のきっかけとなります。故にそうした情報自体に価値がないとは言い切ることができません。

しかし実のところ、本当の問題解決を行う上では、やはりアリストテレスの言うように解決策らしいものというのは、中庸的な選択に帰着するのです。20代は貯蓄せず経験だけに投資しろという考え方を最近学びました。それもある意味、中庸的な回答でして、「20代」「貯蓄しない」「経験投資」というある意味、20代に限定した内容です。これが30代以降になるとまた話は別になってくる、という観点において、年代別にやるべきことを仕分けていますよね。

ただもっと具体的に掘り下げてみれば、例えば20~25歳は経験にフル投資して、25~27は少しずつ貯蓄や資産運用を始め、28~30までには、収入の何割くらいは貯蓄・資産運用に回したほうがよいという、年代⇛年齢という区切りで内容が展開されていくと、より中庸的な選択であると言えるかもしれません。つまり、より具体的に掘り下げていくことによって、中庸的な選択を見つけていくことができるのです。

世の中の極論は、きっかけにすぎない。極論を皮切りに、中庸的な選択を見つけていくこと

私も20代前半の頃は、極論に影響されることが本当に多く、話し方が9割だ!と思って、とにかく自分の話し方を改善しようと試みていました。ところが話し方の改善をしていったところで、9割のやり取りが改善されたかと言われれば、そんなことはありません。実際は、もっと改善が必要でした。例えば、人への理解を示したうえで、自分の話すターンをもらってから話すなどです。他にもたくさんあります。なのでこうした経験を経て、私は極論には本当の正解はなく、その場その場で自分の頭を使って中庸的な選択を選んでいく必要があるのだということに気付かされました。学習という観点では、極論は人の興味を引き、学びの入り口に立たせてくれるので、決して悪ではありませんが、実際は極論には正解らしきものは見つからなかったりします。

以上のことから、このニコマコス倫理学、アリストテレスの書いた本は抽象的ではありましたが非常に学びのある本だったと思います。皆さんも是非ご興味があれば読んでみてください。

それでは。

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