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平和認知症

今年も終戦記念日が過ぎると、気持ちのうえでは、もう戦争の話題は終わりにしてもよいかなと思いますが、ウクライナで続く悲惨な戦争を思うと、そんなに簡単に終わらせてよいのかとも考えます。

今の日本にとっては、戦争は過去の出来事であっても、ウクライナの人々にとっては、日々、死の恐怖に怯える現実なのだと思うと、胸が痛みます。

誰もが戦争は避けるべき忌まわしい行為だと、理性でも感情でも否定しながら、それでもなぜ人類は戦争をやめないのか、本当に不思議でなりません。

心でいくら平和を願い、言葉で不戦を誓っても、戦争は起きてしまいます。

ではどうしたらよいのか、その答えは、おそらく誰も持っていないのではないでしょうか。

最近よく、「平和ぼけ」という言葉を耳にします。この言葉は、幸いにも、78年間という長い平和の時代を経験してきた日本人にとって、いまや平和は当たり前の話であり、今さら戦争に備える必要などないと考える風潮に対して、警鐘を鳴らす意味合いで使われているのでしょう。

ロシアのウクライナ侵略や隣国の軍備拡張を見るにつけ、もはや日本もいつ戦争に巻き込まれるかもしれないと恐怖心を抱くのは、無理からぬことだと思います。

「日本人は平和ぼけしている!」
と声高に叫ぶ人は、だから、日本人はいつまでも平和ぼけしていないで、迫り来る戦争にしっかりと備えるべきだと言いたいのでしょう。

最近の政府の防衛予算の増強は、こうした声を背景に、かなり強引に進められているように思います。

でも、本当にそれでよいのでしょうか。
他国からの脅威を煽り、国民の戦意昂揚を唱え、他国を侵略してでも日本を守るべきだと、国家総動員でまっしぐらに突き進んだのは、歴史的にはつい最近の出来事にしか過ぎません。
あの時代は異常だったと片付けるのは、まだ早すぎるのではないでしょうか。

先の戦争で、日本は、市民が駆り出された沖縄戦や、東京など主要都市への大規模空襲、広島、長崎への原爆投下等々、まさに重大な戦争犯罪と呼ぶべき、人類史上最悪の被害を被ったのと同時に、自衛のためと称し、大東亜共栄圏の名の下に、アジアの近隣諸国を侵略し、想像を絶する損害と塗炭の苦しみを味わわせてしまった事実をけっして忘れてはなりません。

そうした悲惨な経験をさせられたアジアの人々の目には、攻撃される前に攻撃するための武器を持とうとしている今の日本と日本人は、どのように映っているのでしょうか。

このさき、こうした事実を忘れ、国民が認知症に罹って、平和という言葉すら忘れてしまわないように、私は戦意を煽るための「平和ぼけ」ではなく、平和の尊さを訴えるための「平和認知症」こそが、今の時代にふさわしい言葉ではないかと思っています。

平和は願うだけでは守れません。
平和の尊さを忘れないための一人ひとりの国民の不断の努力と、近隣諸国との相互信頼を深めるための国同士の真剣な努力なしには、一日たりとて平和を守ることはできないと、私は思います。

戦争は起こってからでは遅すぎます!

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