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母方の実家

母方の実家を出て、少し離れた町に土地を買い、家を建て家族4人で暮らしていたが、妹が生まれたタイミングで祖母が越してきたらしい。
(私の記憶にはないから、らしい。)

祖父と曽祖母は母方の実家に残り暮らしていた。
たまに2人に会いに母方の実家へ遊びに行った記憶がある。
この頃の祖父はまだ元気で、土方仕事をしながら農業もしていた。
野菜も米もたくさん作っていた。

曽祖母はいつ会いに行っても、居間の座椅子に座っている印象。
もうあまり動けなくなっていたのかも。
私は曽祖母の事を、好きでも嫌いでもなかった気がする。
妹は曽祖母に懐いていて、膝の上に座ったりしていた。
曽祖母に会いに行くといつも決まって謎の激甘でカラフルな飴をくれた。
妹はその飴を喜んで食べていたと思う。
私はその飴が全然好きではなかった。

母方の実家には、囲炉裏があって、妹とよく灰で遊んでいた。
焼けて灰になった木炭を火箸でつつき、崩れる様を楽しんでいた。

ちなみにトイレはボットン便所。
お風呂は五右衛門風呂。
嘘みたいだけど本当なのです。ここに関して記憶ははっきり。

本物のマムシ入りのマムシ酒も置いてあった。
生前に曽祖父が捕まえたんだったか、祖父が捕まえたのだったか、定かではない。

母方の実家に遊びに行っても、大体は1階で過ごすか外で遊ぶ事が多く、
2階には滅多に上がらなかった。
上がったとしても、入っていいのは母と母の妹が使っていた1部屋だけ。
むしろ2階はその部屋以外、人が暮らせる状態ではなかった気がする。

階段を上がると、1階とは全く別の家のようだった。
今思うと不思議。
私が遊びに行っていた頃は、祖父も曽祖母もあの家で暮らしていたのに、生活感がまるでなかった。

今、これを書きながら思い出そうとしても、真っ暗で床もボロボロで汚くて、何年も誰も手をつけていないき家のようで、母と母の妹の部屋だけがかろうじて部屋として成立していた。


子供の私が怖がりすぎて、記憶が多少脚色されているかもしれないけど。

なお、大人になって本当にここ最近知ったが、曽祖父は2階で首吊り自殺を図ったらしい。


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