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民族大移動とポルトガル(1)ゲルマン系部族の移動

00.はじめに
ここでは、ポルトガルの歴史についてお話しした際のメモ書きを公開しています。今回はゲルマン系部族の移動がポルトガルに与えた影響について扱った部分です。なお、メモ書きは、アンソニー・ディズニー著『ポルトガルとポルトガル帝国の歴史』に基づいて作ってあります(ほぼ翻訳になってしまっていて、反省ですが)。関心のある方は、Anthony Disney, A History of Portugal and the Portuguese Empire(2009)をご覧ください。

ローマ帝国の支配が続いたのち、イベリア半島西部を押さえたのはゲルマン系部族でした。今回はゲルマン系部族によるイベリア半島西部の支配についてみていきます。

01.ゲルマン系部族とローマ

ゲルマン系部族はスカンジナビア半島やバルト海周辺に居住していたといいます。紀元前からゲルマン系部族はローマ帝国と接触し、ときには戦争をしました。カエサルもまたガリア遠征でゲルマン系部族と戦っています。

ゲルマン系部族
Por Helene Guerber - Story of the Romans - Helene Guerber, Domínio público, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=32722367

ゲルマン系部族はその後、ローマ領などに移住してくることがありましたが、いわゆるゲルマン系部族の大移動と呼ばれるのは、375年以降となります。一般的には、東方にいたフン族と呼ばれる部族が黒海周辺にいたゲルマン系部族のゴート族を征服したことが契機となったといわれています。フン族の征服から逃れたゴート人がローマ帝国に大量に逃げてきたのです。現代的な意味では、ゴート族は難民だったのです。

最初に逃れてきたゴート族は西ゴート族と呼ばれている人々です。かれらは紆余曲折を経て、最初現在のルーマニアあたりに定住しましたが、5世紀の初めにイタリア半島に移動して、ローマで略奪などを働いただけなく、ローマ帝国の支配者になろうとしました。しかし、その後ローマ帝国の説得に応じて、現在のフランスを治めることになりました。この時できたのが、「西ゴート王国」です。

民族移動
By User:MapMaster - Own work, CC BY-SA 2.5, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1234669

また、ゴート族のうち東ゴート族は、一時フン族に支配されていましたが、5世紀半ばから独立して、現在クロアチアに移住しました。その後、ローマ帝国と同盟関係を結び、軍事力を供与しました。傭兵隊長としてローマ帝国で名をあげるものもいました。そのうち、オドアケルと呼ばれる人物は、西ローマ皇帝を廃位し、帝国を滅亡させてしまいます。その後、東ローマ帝国からオドアケル討伐を要請されたおなじ東ゴート族のテオドリックは、イタリア半島にとどまり、東ゴート王国をつくりました。

いわゆる大移動のなかで、ゴート族以外にも多くの部族がローマ帝国領に侵入し、各地へ移動していきます。なかでも、ヴァンダル族は長距離移動したことで知られます。ヴァンダル族は、ローマ帝国領を移動して、イベリア半島を縦断し、やがてアフリカに移り、ヴァンダル王国を建国しました

そのほかにも、アラン族スエヴィ族などさまざまな民族がローマ帝国領を移動・移住しました。

02.イベリア半島西部の情勢

以上のようなゲルマン系部族の大移動は、やがて現在ポルトガルと呼ばれている地域にも波及してきました。

409年、ヴァンダル族、スエヴィ族そしてアラン族のゆるやか連合が、ピレネー山脈から、ガリア地方(現在のフランス)へ、そしてイベリア半島へと侵入してきたのです

ヴァンダル族やスエヴィ族、アラン族などは、406年にライン川からガリア地方に入って、同地を破壊していったとされます。そして、その次に目標とされたのが、イベリア半島でした。このとき、ゲルマン系諸族連合はまったく抵抗を受けずに、イベリア半島に入ったといわれます。

5世紀の年代記によれば、ヴァンダル族などは、ポルトガル北部のガラエキアと中部のルシタニアを往来して、略奪を働き、殺人、破壊を繰り返していたといいます。

やがて、411年までには、スペイン北部の属州タラコネンシス以外がすべて、ヨーロッパを移動してきた部族の影響下に置かれました。ヴァンダル族らはイベリア半島を征服地とみなして、土地を分配してしまいました。

そして、アラン族がルシタニア(ポルトガル中央部)とカルタギネンシ(スペイン中央部)スエヴィ族とハスディンギ(アスディンギ)・ヴァンダル族Hasding Vandalがガラエキア(スペイン北西部とポルトガル北部)シリンギ・ヴァンダル族Siling Vandalがバエティカ(ポルトガル南部とスペイン南部)を統治することにしました。


分割されたヒスパニア
Por Raffranca - Obra do próprio, CC BY-SA 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=49179548

ゲルマン系諸族連合によるイベリア半島の分割は、一時的に平和をもたらしたと言われています。

現代のヨーロッパ人の視点からはこうしたゲルマン系民族は野蛮な人々というイメージですが、当時の記録では、ゲルマン系民族が武力ではなく、統治に力をいれるようになったことを指摘しています。当時の歴史書などでも、分割後、軍事活動に関する記述が全くなくなったのも統治が始まったことを意味していると考えられます。

03.イベリア半島で移動するゲルマン系部族

しかしながら、その小康状態は短く、今度は西ゴート族がイベリア半島に侵入してきます。ローマ帝国が西ゴート族を誘導したのです。西ゴート族は当時、ガリア南部に定住していましたが、ローマは西ゴート族に食料を提供して、アラン族やシリング・ヴァンダル族に攻撃させようとしました。

ゴート族のワリアWallia王は、この誘いに乗って、イベリア半島に侵入し、すぐにアラン族とシリング・ヴァンダル族と衝突し、その王らを殺害し、カルタギネンシス(スペイン中部)とバエティカ(スペイン南部とポルトガル南部)からかれらを追い出してしまいました。そうすると、西ゴート族はガリアに戻っていきました(418年)。


ワリア王
Mariana, Juan de (1536-1624) Historia general de España - Biblioteca Nacional de España, Madrid, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=6350574による

続いて、スペイン北西部を割り当てられたハスディンギ・ヴァンダル族も、イベリア半島の南部へ移動し始めました。スペイン北西部のガラエキアの山岳で険峻な土地が、不毛だと考えたようです。ハスディンギ・ヴァンダル族は、まずガラエキア南部、つまりポルトガル北部を割り当てられていたスエヴィ族の領土に侵入します。ハスディンギ・ヴァンダル族はスエヴィ族がそれに加わらせようとしたのですが、うまくいかなったようです。ハスディンギ・ヴァンダル族はすぐにスエヴィ族と戦闘を始めました

こうしたなかで、ローマ帝国がイベリア半島に軍を送り込みました。419年から420年にローマ帝国軍は、ガラエキアに進軍しますが、力を発揮できなかったようです。

そのまま、ハスディンギ・ヴァンダル族は、ブラガ(現在、ポルトガル北部の都市ブラガ)周辺で破壊しつくしてから、ポルトガル中部と南部へ向かいます。かれらはそこででも破壊行為を繰り返し、ついに429年、北アフリカに移動しました。ハスディンギ・ヴァンダル族は、アフリカに定住し、時折ポルトガル中部まで略奪にやってきましたが、再びイベリア半島で定住することはありませんでした

こうしたなかで、最初にイベリア半島にやってきたゲルマン系諸族のうち、わずかに残ったのは、スエヴィ族のみになってしまいました。

民族大移動とポルトガル(2)へつづく

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