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躁鬱人の『働くことと休日』

いつも、ご覧頂きありがとうございます。

 窓から、夕日が差し込む時間。
また、今日も同じ景色だったと振り返る。
私は今、仕事を休んでおり、11日目になる。
病休で会社を休んでいるが、働いてた時とは違う。仕事をした充実感、満足感が休日の楽しみを倍増させているが、今はこれがない。
 そのうちに日がおち、雨戸を閉め、寝床の用意をする。 
 同じ繰り返し、と感じてしまう。 
 なぜだろう。
 頭の中に余裕があり、色々と感じてしまうのだろうか。うつから脱して、躁へやや入りかけている感じがする。正直、自分の現在地はつかめていない。ただ、悪くはないことだけはわかる。
 あと、3日で再出勤することになっている。
そこに生活リズムを合わせ、今は過ごしている。
 この余裕のある時に考えたのだが、働くことは、単にお金を稼ぐだけではなく、知力、体力、精神力を使っている。
 そして、脳や体や神経を使うことによって、自然と休みが欲しくなる。休みの日の意義が出てくる。
 一日中、家でゴロゴロ過ごす。
 朝、散歩をする。
 家でまったりとコーヒーを飲見ながら、本を読む。
 サイクリングに出かけ、リフレッシュする。
 休日は、このように働いていると繰り返し、同じ景色にはならない。
 働くことは『動』で、休日は『静』と言えます。
 躁うつの場合だと、躁が『動』、うつが『静』となり、もしも、働くことが躁で、休日がうつならば、心にとって、楽、かもしれません。

ここまで、読んで下さりありがとうございます。

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