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あいうえお短文

あした
いのちが
うしなわれても
ええくらいのきょうだったかと
おとなになったじぶんにといたい。

あしたも
いちにち
うまれて
えかったといえる
おとなにじぶんはなりたい。

どちらも、『え』の行が無理矢理かな。(笑)

あしたがあたりまえにくるかは誰にもわかりません。確かなのは今があること。今を楽しめない人が明日を楽しめるのかって、誰かが言ってて、その言葉が、自分の胸に、ぐっと刺さりました。

大人は、子どもの将来を心配して、今苦しくても努力したほうがいいってよく言いますよね。苦しみの先に本当に喜びがあると、いったい誰が約束してくれるんでしょう。もし、大人が言うことが正しいなら、努力した人はみんな幸せになっているはずです。しかし、現実には、個人の努力では抗えない、社会の仕組みや世界情勢によって生きる力を失う人々が存在しています。そして、それは子どもたちも例外ではないという悲しい現実。

子どもたちの『生きる力の木』を育てる前に、『生きる力の芽』を大人が摘み取っていないか、自問自答しながら、社会のあり方を大きく変える時が来ていると思います。

子どもの今が、笑顔で溢れているなら、そのつみ重ねで、未来も明るく照らされていく、そう私は思います。

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