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息子が開成高校受験を通して人生が変わった瞬間

息子は、IQが146ある。
一般的に人のIQは、100〜110と言われている。東大生の平均IQが120だそうだ。だから、息子はIQが高いグループに入る。
IQが130以上の子供たちを、アメリカでは「ギフティッド」と呼ぶらしい。IQが高いということは、何でもできる秀才であることとは違う。ギフティッドと呼ばれる子供たちには、凹凸があるからだ。数学的な能力が優れているかと思うと、別な分野では同年齢の子供たちより劣る面もあり、アンバランスなことがある。通常の学級の中に収まることができず、環境に適応できないことで不登校になってしまう子も少なくない。決して、勉強ができる子ばかりでもない。周りと合わないことから、自己肯定感が低いこともある。そのため、最悪なケースは自らの死を選ぶ子もいるようだ。だから、本当はサポートが必要な子供たちなのだが、少数なためにサポートを受けられずにいる。

小学6年生の時に、学校生活に悩んでカウンセリングに通っていた息子は、知能検査をしてみることになった。その時に初めてIQが高いことがわかる。
ずっと子育てに悩んでいた私は、やっと息子が理解できた気がした。人と違うなら、皆と同じになろうとせず、輪の中にうまく入れなくてもそれでいい。ずっと親子で悩んでいたが、悩む必要がないということが分かって楽になった面もあった。

息子は、学校の勉強が嫌いだ。
答えがすでにわかっていて、知的好奇心が満たされないものを、我慢して学ばなければならないからだ。単純作業のドリル学習が何よりも嫌いだった。
だが、今まで一度だけ、本気で勉強を頑張ったことがある。
今年の2月に行われた、開成高校入試に向けてだ。息子にとって、入試問題を解くことは、知的好奇心が刺激されることだったのだろう。

「開成なんて、無理だから……」
その一言から受験生活が始まった。
何より数学が嫌いだった息子は、課題をたくさん抱えていた。中学3年生になると、塾で数学の難問を解き始める日々が始まる。ギフティッドは数学が得意だと聞くが、息子はそうでもなさそうだ。毎回の授業で問題を解くが分からない。私が働いている塾の職員室に来ては、数学の先生に質問ばかりしていた。数学の先生は、いつも息子が分かるまで根気強く教えてくれた。

部活を引退した頃から、息子の気持ちに変化が表れ始めた。
「開成高校を受けてみたい」
そう話すようになったのだ。無理と決めつけるのではなく、受けてみたいと憧れに変わった。だから、夏休みは毎日一人で勉強していた。勉強が嫌いな息子が一人で机に向かって集中している。寝ているのではないか? と何度か自習室を見に行くが、息子はいつも机に向かって勉強していた。一度集中すると止まらない性格も、ギフティッドの特性なのかもしれない。1日10時間は軽く勉強していた。苦手な数学の問題を夢中で解き、少しずつ力をつけていくようになる。

夏休みが終わり、秋になると、
「開成高校に受かりたい」
そう話すようになった。そのあたりからの勉強量はさらに増え、塾の授業が終わってから夜11時くらいまで、数学の先生に質問する日々が続くようになった。過去問題も15年分近く解き続け、開成高校の問題に触れるうちに、学びの楽しさを覚えるようになる。
「難しいけど、数学が楽しい」
息子が生き生きと学ぶ姿を初めて見た気がした。

そして入試当日を迎えた。
朝から冷たい雨が降っていた。当日雪になると言われていたから、雨でよかったとは思いながらも、晴れ男の息子らしくない天気だ。私には嫌な予感がした。息子を高校のグラウンドまで送り、消えていく姿を眺める。息子は険しい顔をして、集中モードで入試会場に入って行った。
入試が始まり、数学の問題が配られた。
問題を見ると、今までとは傾向が異なる。
15年分の過去問題の他に、数学の難問を2000題近く解いていた。それでも傾向の変化に対応できなかったようだ。その瞬間に息子の心に不合格がよぎる。
ここから、気持ちを立て直さないと……
うまくいかなかったショックを引きずらないために、息子は自分に言い聞かせた。昼食を済ませたあたりから気持ちを立て直したそうだ。

私は、駅のカフェで息子を待っていた。他のお母さんたちも、同じように一人で座って待っている。中学生がたくさん戻ってくる中、息子の帰ってきた姿を見た瞬間、うまくいかなかったことが分かった。あぁ、ダメだったか……そう心の中で思いながらも、息子に尋ねた。
「どうだった?」
「……ダメだったよ。数学の問題の傾向が変わってしまって、対応できなかった。あんなに解いたのに、あんなに勉強したのに、悔しい……」
駅のホームで列車を待つ間、悔しさが込み上げて涙を流し始めた。努力が報われない思いだったのだろう。疲れた脳を休めるために温かいココアを買いながら、息子の涙を隣で黙って見ていた。私は塾講師として、努力する息子を毎日見ていたからこそ、かける言葉が見つからなかったのだ。
「こんなに本気を出したことないんだけどなぁ。こんなに頑張ったのに、ダメだった。いつも頑張れば結果になったのに。先生たちに申し訳ない。あんなにしてもらったのに……」息子は、話しながら悔し涙を流し続けた。

入試結果はやはり不合格だった。
それでも発表を見た瞬間、言葉を失った。その後私と一緒に塾に行き、職員室に入る。そして、数学の先生に向かって
「すみませんでした……」
そう一言語ると、皆のいる前で悔し涙を流した。開成高校の受験は、ダメで当たり前……そう思う先生も生徒もいるが、息子は受かりたいと本気で思い、先生に吉報を届けたかったのだ。息子は受験勉強を一人で闘っていたわけではなく、先生と一緒に頑張っていたからだ。
息子は、滅多に人前で泣かない。どんなに辛くても我慢をする。その息子が、皆のいる職員室で涙を流す姿はよほどのことだと思い、見ている私も切なくなった。

「全力で頑張った先に、うまくいかないこともある」
息子は、経験を通して人生を深く学んだような気がする。

開成高校の不合格は、息子にはとても痛い経験だ。
私たち塾講師は、立場上、合格の結果しかパンフレットには掲載しない。だが、実際は、不合格にこそ学びがあると息子を見ていて感じる。
不合格だったという挫折感は、全力を出し切るほど、深く心に残るだろう。実際、息子はしばらくの間、魂が抜けたような状態になってしまったからだ。だが、絶望の中にこそ、希望がある気がしてならない。希望と絶望は、相反するものではないからだ。

息子が不合格に苦しみ、次の入試に向けて気持ちが立て直せなかった時、誰よりも黙って見ていた中学の校長先生が、息子にそっと語りかけたことがあった。
「挑戦した壁があまりにも高すぎて、打ちのめされて、打ちひしがれることを、挫折というんだよ。『挫折から、こんなことをしました!』と明るく楽しそうに言う人がいるが、そんな人はろくな仕事をしない。だから、苦しくても、挫折に向き合って徹底的に味わうといい」
燃え尽きてボロボロだった息子に、そう先生は語ってくれた。

小学6年生で中学受験をした時は、息子は努力ができず、勉強に向き合えなくて不合格だった。精一杯勉強せずにうまくいかなかった。その挫折感を拭いたい気持ちもあって、息子は全力で学び、開成高校を受験したのだ。3年後に成功をして美談となればよかったが、成功しなかったからこそ、もっと深いものが得られた気がする。

不合格の中にこそ、人生の学びがある気がしてならない。
本気で頑張ってもうまくいかない現実を受け入れる強さ、挫折した時に周りに心配してくれる人のいることのありがたさ、人に励まされることの温かみに気づくことができることのほうが、よほど人生を価値のあるものにするのではないだろうか。

高校生になった息子は、今、私の働く塾の高等部で毎日勉強している。先日、ある後輩が、息子に話しかけていた。
「◯◯中学校にいましたよね? A高校、B高校、C高校すべて合格でしたね!」
まるで息子のファンのように、息子の入試結果を全て暗記している。
息子は、少し驚きながらも、その言葉に一つ付け加えた。
「違うよ。開成高校、不合格もつけなきゃ。塾のパンフレットには載っていないかもしれないけど、僕の入試はそれが揃って全てなんだ……」
きっと息子は、合格よりももっと価値のあるものを不合格の中から得たのだろう。時間が経つごとに、それを実感しているはずだ。

不合格からもうすぐ1年が経とうとしている。
「やっと、最近かな? 先生に申し訳ないって思う気持ちがなくなったのは……あんなにしてもらったのに申し訳なかったと思ってしまって、ずっと辛かったんだ。でも、やっと最近、自分の不合格までの全てを受け止められるようになってきた気がするよ」
息子が穏やかに微笑みながら私に語るので、思わず涙を流してしまった。合格できなかった息子を哀れに思ったから涙が出たわけではない。不合格を通して、多くのことを得るまでの心の葛藤を思い、複雑な気持ちが込み上げたからだ。

絶望の中に自分が追いやられた時、その絶望を受け入れ、その中から希望を見出していくことこそが、「生きる」ということなのかもしれない。どんな絶望的な経験の中からでも、必ず希望となる光はあるはずなのだ。
全力を出し切った先の絶望の中を歩み続け、その中から、光となるような希望を見つけていけばいい。開成高校不合格の息子は、合格すること以上のものを得たようだ。

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