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村上春樹 ねじまき鳥クロニクル
「街とその不確かな壁」を読み終わり、なんだかむっしょーに「ねじまき鳥クロニクル」を再読したくなった私は、電子書籍を衝動買いして貪るように一気読みしました。
村上春樹さんの書籍のなかで、私はこのねじまき鳥クロニクルが結構好きです。作品全体を通しての感想としては、掴みどころのない摩訶不思議な物語!って感じです。が、村上さんの作品には珍しく、登場人物の回想という形をとってはいるものの直接的な戦争の描写があるのです。しかも結構残虐なものです。
ノモンハン事件に先立っての、モンゴル国境付近での小規模作戦、終戦間近の旧満州国新京での中国人殺害、シベリア抑留のエピソードなどです。どうしてもそれらを再読したかったのです。そして、何度も読み返してしまいました。
なんでしょうね、…極限下で生死を分けるものはなんなのか、とか、そういったありきたりの感想ではなくて、
もしも天命やら運命やらそういったものが存在するならば、それは本人の意志とは関係なく手を変え品を変え本来あるべき道筋に無理矢理にでも引き戻そうとするものなのかなと思いました。
主人公岡田亨の妻、クミコの実家が贔屓にする占い師、本田さんと戦時中に作戦をともにした間宮少尉の昔話です。
彼は首を振りました。『わかることもあれば、わからないこともあります。しかしおそらく少尉殿は知らないでおられた方が良いでしょう。大学を出られた少尉殿に、自分のような人間がこういう偉そうなことを申し上げるのは僭越かもしれませんが、人間の運命というのはそれが通りすぎてしまったあとで振り返るものです。先回りして見るものではありません。自分はそれにある程度馴れております。しかし少尉殿は馴れておられません』
『でもとにかく私はここでは死なないんだな?』 彼は足元の砂をすくって指のあいだからさらさらと落としました。『これだけは言えます。この中国大陸で少尉殿が死ぬことはありません』
「人間の運命というものは先回りしてみるものではなく、それが通り過ぎてしまったあとに振り返るもの」
この台詞がすごく胸に響きました。運命なんてものがあるかどうかはわかりませんが、薄々感じている自分自身の人生の流れについて、点と点が繋がって線になったみたいにしっくりきました。(意味わからんですよね)
困った事に私は文学を感覚的にしかキャッチ出来ないところがあります。要するに論理的に整理して受け止められないんですね。
だから私は村上さんの魔法の文章を読むと妙なシンパシーが働いてしまうんですかねぇ。
でもそれは、とても素敵なことかもしれないですね。本は友達です。(?)
読んでいただきありがとうございます。
皆様の幸運をお祈り申し上げます。
Note創作大賞2023に応募しています。
ご一読いただけると幸いです。
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