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上善如水

「上善如水」”じょうぜんみずのごとし”という名前のお酒がある。
むかーし飲んだことがあるけれど、本当に、水を飲んでいるかのように、スイスイ飲めてしまう、癖のないお酒なのである。


元々は『老子』からの言葉で、水を”最上の善”と例えていて、万物に恵みを与えながらも争うことなく、器に従って形を変える柔軟さなどを持つ「水」の性質を「上善」=最高の善と表している。


私は、赤川次郎氏の本を読んでいるといつも頭に浮かぶのが、この言葉だ。

その昔、まだ私が中学生の頃に赤川次郎氏の推理小説が流行り、角川文庫から小説が出るたびに映画化されるという社会現象にもなっていたあの頃。

「セーラー服と機関銃」や「晴れ、ときどき殺人」「探偵物語」など、薬師丸ひろ子さんや原田知世ちゃんがヒロインを演じ主題歌を歌うという流れが出来上がっていたあの頃。


あの頃、高校受験前までは、本当に馬鹿みたいに推理小説を読み続けていた。
特に赤川次郎氏の本は、まさに一度手に取ったら最後、読み終わるまで途中で止められるものではなかった。

受験勉強をしているフリをしながら良く読んだものだ。
だからこそ、最初狙った高校には行けず、ワンランク下げることになってしまったけれど、後悔はしていない。
だって、あの時読みたかったんだもの。


そんなに好きだった赤川次郎氏の小説も、社会人になった頃から、私の中では「赤川次郎はもう卒業」と、他の小説家の本へと移って行った。

そして他のたくさんの人がそうであるように、仕事に追われ、スケジュールに追われ、昔読んでいた本を手に取る暇もなく、慌ただしい日々に忙殺されていった。


いつだっただろうか…。
ふと、本棚にある赤川次郎氏の小説を、何気なく読み返してみた。

もちろん、内容は知っているけれど、やはり読んでいてすーーっと、砂に染み渡る水のように入ってくる。
とにかくスッキリしていて、無理・無駄がないのである。

読み終わって、そのラストの一言がとても沁みる。
その一言の為に読んでいるようなものだもの。


読み終わった時に思ったのは、赤川先生ごめんなさい、だった。
こんなに面白くてすんなり入ってくる小説を書くのは、逆に難しいことなのだと、言葉をたくさん使えばいいものではなく、無駄なくスッキリしている文体だからこそ、すーーーっと入ってくるこの文体。

何を偉そうに卒業などと、言っていたのだろう。
若気の至りです、ほんとにすみません。

ということで、10年程ブランクが空いてしまったけれど、離れてみて赤川先生の偉大さが余計にわかったという、無駄ではなかった読書小休止だった。


このnoteで、たくさんの方の文章や詩などを読ませていただくのだけれど、やはり、すっきりとして、すんなり入ってくる文章が読みやすく、好ましいと思う。

私もどちらかと言えば、だらだらと長く自分の思いを書いてしまう方だけれど、読む側としたらそう思ってしまう。笑


ちなみに、私がラストを知っていても、そのラストを読みたいがために、最初から気持ちをそこへ向けて読むその小説は「静かなる良人」という。

もしまだ読まれてない方がいらっしゃったら、是非ともお手に取って貰えたらと思う、おススメ本。




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