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私という人 〜想い〜

後輩は父親と

会話が一切ないようだ。

自分の気持ちを

理解してはくれず

嫌いだと話している。

そして

言ってはいけない言葉まで

口にする。

理由は何であれ

年頃の女の子は

父親を苦手とする傾向にある。

もちろん全ての女の子とは

言わない。

後輩は私も同じ気持ちだと

思っているだろう。

しかし

そこに関しては同調しない。

私は父と喧嘩が出来ない。

会話をしたくても出来ない。

なぜなら

この世にいないのだから。

病気でもなければ

事故でもない

桜が咲く季節

自らの手で

人生を終えてしまっていた

父自身の部屋で。

遺書は書かれていなかった。

愛人はおらず

借金もなく

誰かに恨まれていたような

話も聞かない。

親子関係も

一般的に見れば比較的

良い方だったと思う。

普段と変わる様子は

一切なかった。

何に悩んでいたのだろう。

いつも笑っていたのに

何故だろう。

考えれば考えるほど

何もない。

残された私たち家族は

笑顔というものを

思い出すまでに

どのくらいの月日を

かけただろうか。

突然の出来事に

気持ちが追いつかなかった。

いまは気持ちの

コントロールが

出来るけれど

あの頃は

壊れてしまっていた。

桜の季節は

大嫌いだった。

周りが花見と騒ぐ中

何年も泣いていたが

父は桜の花となり

私の成長を

見てくれていると

考えるようになった。

春は私が父に

会える季節と

感じられた時

桜の花を見ても

涙が流れることは

なくなった。

後輩は私の話を

涙を流しながら

黙って聞いている。

私は自分の父の話を終え

後輩へ

言いたいことを言わずに

後悔だけはするなと

伝えた。

後輩の親子関係について

あれこれ言う事はない。

頭の良い子なのだから

私が言っている事を

きちんと理解をして

受け止めてくれるだろう。

後輩は何も言わずに

頷くだけだった。

それから

数日後のこと

外出先からの帰り道

1台の車が私を追い越し

数メートル先で止まった。

降りてきたのは

後輩と後輩の父親だ。

互いに気持ちを伝え合い

親子関係が修復されたようだ。

後輩の父親は

事故の話を聞いた時

一番年上であった私が

出掛けることを

止めなかったから

事故に遭った

全ての責任は

私にあると言い、

親の育て方が悪いと

私の母を罵り

怒鳴ってしまったと

話し謝罪している。

後輩の父親と私の母の間で

そんな話がされていた事は

知らなかった。

そして

後輩は父親と一緒に

ありがとうございました

と言いながら

頭を下げていた。

母に伝えると

「そう」と一言だけ。

どんな親子関係であっても

親は子供の事が心配。

世間様に恥ずかしと

思う気持ちがあっても

子を思う心の方が勝ってたのだ。

後輩が

後悔をしてしまう人生を

歩む事にならなくて

良かった。

いまからでも遅くはない

これから深い親子関係を

築いていける事だろう。


・・・・・・・・続く











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