見出し画像

#4 引き戸

 父は、勤め人ではなかった。

 周りの家庭の多くが、電車で都心の会社に通勤するのに対し、父親は小さなトラックに部品を詰めこんで毎朝作業場に向かった。新興のニュータウンでは、個人事業主は少数派に違いなかった。

 幼稚園には母が自家用車で送り迎えしてくれたが、車検だとか何らかの都合で車が出せない時、父のトラックで迎えに来てくれることがあった。

 みんなは格好いいセダンで迎えに来てもらえるのに、どうしてうちだけが泥のはねたトラックなのか。トラックの屋根が見えると、誰にも見つからないように一目散に駆けていった。その場から一刻も早くいなくなりたかった。

 同じくらい恥ずかしかったのが、家の引き戸である。

 小学校に上がって、同級生の家に遊びに行くことが増えると、玄関が自分の家とは異なることに気づいた。ほとんどのお宅が洋風で、片開きのドアなのである。

 多くの玄関が、金属でできた格子状ないし木製の門扉から、数段ステップを踏んでポーチに連なる。ポーチ下には植木鉢や傘立てが並び、その奥に片開きのドアが鎮座する。

 ドアは茶色や白のペンキに塗られている。取手は金属製で、お向かいのお宅は植物を模した装飾が施されていた。

 自分の家はといえば、木製の格子にすりガラスのはまった引き戸なのである。格好いい取手も鍵穴もない、開閉のたびにガタガタと不細工な音を立てる引き戸なのだ。

 二枚の引き戸が重なる部分に鍵が取りつけられていたが、何度も壊れてしまい役には立たなかった。結局、一枚をはめ殺しにし、もう一枚と壁が接する部分に後付の鍵をつけていた。それが更に劣等感を募らせた。

 中学生になるころには、父のトラックも、家の引き戸も気にならなくなっていた。それでも、スーツを着て電車通勤し、洋風のマンションに住むことに漠然と憧れた。

 あの家を他人に引き渡してもう二十年近くになる。

 幼心になじんだ庭の南天や雪の下は刈りとられ、六月には大輪を咲かせた牡丹は株ごと取り去られてしまった。






この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?