プレゼンテーション1

僕も‟人生五十年…”の心境で今日を過ごそう!

おはようございます!

事務所でゆっくりとお昼時間を取れるようになると、サラダチキン×R-1生活にプラスして、どうしてもカップラーメンの呪縛にとらわれてしまう 講内です(寒い時はカレー一択!笑)。

体重のコントロールは以前よりもうまくいっているという余裕がどこかに生まれてしまっているのでしょうか……お昼をゆっくりと休むということが本質的に向いていないのでしょうか……こう考えると自転車生活というのも悪くないですね!

今日は一日自転車の日ですので、お昼は一択!山あり谷ありのコントロールを繰り返して、徐々に右肩下がりになれば本望です……ただ、ホットスナックコーナーが最近また充実してきやがっています。サラダチキンから、ホットスナックのチキンに変更したくなる自分を毎日戦っています(無駄な労力……笑


クライマックス、きたーーー!

『明智光秀(著:早乙女貢)』

光秀目線から描く、この時代というのも、結構面白いですね。こういう史実というのはどこにあるのでしょうか。少なくとも、今まで僕は‟織田信長”や‟豊臣秀吉”の目線、いわゆる戦国のヒーローとされてきた目線でしかこの時代を見ていませんでした。

時代を調査する人や描く人の思想や史観というものを大いに受けて、残っていくものなのかもしれません。結局は勝ち残ったものが歴史となるのでしょう。

全然関係ないけど、SEKAI NO OWARIの『Dragon Night』の歌詞が頭の中でループしました。

‟人はそれぞれ「正義」があって、争いあうのは仕方ないのかもしれない だけど、僕の嫌いな「彼」も彼なりの理由があるとおもうんだ”

まさに、光秀が聞いていたら、どんな感情になったのでしょうか。

粉骨砕身に、天下泰平のために、信長のために尽くし、母の非業の死も受け入れた光秀でしたが、あの有名な‟家康の接待”のシーンが描かれます。この小説の中では、本当に信長や蘭丸は嫌な役に描かれますね。この一件の後、光秀は本能寺に向けて兵を進めることとなります。

‟敵は本能寺にあり”

乱世の覇者として名を轟かせた信長でしたが、本能寺を取り囲まれ、攻めてきたのが光秀だとわかったときには、‟もう逃げられない”と悟ったといわれています。それは、光秀の築城を含む知識、戦術が誰よりも優れていることを知っていたから。

よく有名な‟人生五十年……”とありますが、幸若舞の『敦盛』の有名な一説ですね。有名なのは、桶狭間の戦いの際に舞ったといわれています。

‟人生五十年 下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。一度生を得て滅せぬ者のあるべきか……”

よく、誤解されるのが、この時の平均寿命が50年だったのではというところですが、一説によるとこれは否定されています。

人間五十年を知る鍵は、‟下天”で、仏教用語にて、欲に応じて六段階に分けた六欲天(ろくよくてん)の一番下の世界を指します。下天では一日が人間世界の50年に相当するということです。

このような大きな世界の話の前では、今日の出来事は大したことではないという意味でしょうか(翻訳が雑!)。

乱世に生きた信長の最後でした。


いやー、本当に面白いけど、これまだ中盤??本当にこの小説大丈夫??


ではでは、今日も最高の笑顔で、いってらっしゃーい!

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講内 源太

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