煩悩を否定せず、ただ受け入れる?? -ブッダの考える感情処理-
おはようございます!
今週も木曜日という時の経つ速さに驚愕しつつ、月末にやる業務が終わっていないことに再度驚愕している今日この頃です。
#ポンコツ
#終わっていない
#負けられない戦い
さて、今日も読書メモの回です。
前回は、「良し悪しを判断しない」ということを体系的に学びました。ブッダの考える思考過程というのは、非常に興味深いと改めて感じさせてくれるものでした。
今回は、「マイナスの感情で損をしない」ということについて、観ていきましょう。
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マイナスの感情による2つの問題
ブッダは、マイナスの感情に伴う心の反応には2つの問題は生じていると説いています。一つは「感情に悩まされる」こと、もう一つは「相手とどうかかわるか」ということです。
【感情に悩まされる】
まず、反応をしないという前提に立ちます。相手を見据えて、理解するのみという合理的態度で臨むのです。
相手の反応は相手にゆだね、自分の反応とは分けるのです。「自分は正しい」と考え、「相手も同じ考えである」というのは、慢であり、妄想なのです。
具体的には、2つの心で見つめます。前の心と後ろの心です。
前を観る心とは、ただ相手を観ること、理解だけすることを行う心です。わからない場合、自身が「妄想に取りつかれていないか?」など、客観的に見る必要があるでしょう。
後ろを観る心とは、自分の心の反応を観ることであり、「不動心(心の動きを見続ける)」の努力をすることを指します。
後ろの心がぐらつくと、煩悩へ繋がります。
自分の心を失わずに、ただ、相手を理解するのです。
【相手とどう関わるか】
関わるというのは、相手にどのような心を向けるのかを指します。ブッダは、常に自分自身の心の持ち方や考え方を問うのです。
ブッダの教えの中で原理原則が5つあります。
① 「判断」をしない
相手への判断は、自分が正しいという承認欲、優越感から生じています。しなくて良い判断はしない方が良いのです。
② 過去は「忘れる」
過去に基づいて、相手を観ることは、相手ではなく、過去の「記憶」に反応をしているだけなのです。この段階での怒りなどの感情は、相手は関係なく、自身が過去に執着をしているのみです。
③ 相手がいつでも「初めてあった人」
人も、心も、無常なのです。自分も相手も、「昨日と同じ人物」ではないのです。相手の過去を含む判断、思い込みなどの「執着」を捨てることです。
④ その人と「一緒に理解」すること
反応をしないというのは、無関心や我慢を指しません。自分の怒りを抑えた状態であり、これに関しては、【感情】の対処をしましょう。
大切なのは、相手と理解を共有することであり、そのことを目的として、相手に伝えることです。受け止めるかどうかは、相手の領域なのです。
いつか、わかり合えるという楽観、信頼でOKなのです。
⑤ 仏教で考える「人生の方向性」
ブッダが目指すのは、常に方向性です。相手とどう関わるのかもその方向性の一つです。関りから苦しみが生まれているのであれば、「執着」が生み出しているのです。
お互いの幸せのために、関わっているということを認識しましょう。
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‟快”を大切にすること
感情の大原則は、快か、不快かです。
快は、喜びや楽しさの幸せを指し、‟楽”といいます。不快は怒りや恐れ、不満や不安の不幸を指し、‟苦”といいます。
これは、ブッダの教えというよりも人間の生存戦略に基づくものでしょう。
人間の心は常に、快か不快かの二者択一なのです。
ブッダは快の反応を大切にすることを勧めています。
欲求を素直に、否定することなく、満たしてあげることが何よりも近道なのです。そう考えると、承認欲も物欲も、あらゆる煩悩も「その人にとって」は快であるのです。
但し、条件があります。
欲が、焦りや不安、不満などの苦を生み出すのであれば、それは本来の満たし方ではありません。すっと、手放すということをブッダは説いています。
仏教というと、どうしても宗教というイメージが強く、禁欲や煩悩を消すなどが第一に出てきます。しかし、原始仏教、つまり、ブッダの教えでは、欲を否定することなく、それもその人の「方向性」の一つであると認めているのです。
そのために、苦ではなく、楽で満たすように、日々を過ごすことが求められてくるのでしょう。
ここにきっと、5感を研ぎ澄まし、今に集中をすることがつながってくるのかもしれません。
今日も学んだー!!
ではでは、今日もワクワクするような最高の笑顔で、いってらっしゃい!!
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