「for」 短編小説

あらすじに変えて

物語は音楽を軸に展開される。jazz 現代音楽 free improvisation

音楽に関する詳細な記述は人物の造形と物語を進める上での必要不可欠な記述である。

僕 
ピアノを弾く女の子 
音楽を介して二人は邂逅する。

その後女の子はフランスに行き

僕はサクソフォンを吹き始める。

物語はサドン・フィクション的恋愛小説と言えなくもないし、あるいはポストモダン文学の短編小説のフォーマットを擬態して進む。直接的ではないが、ある種のメディア・アート的発想にも基づいている、、、と言えなくもない。これはハッタリではなく幾人かの作家と接して得た経験上育まれた概念を根拠にしている。
 
少しでも読み始める手助けになれば。



                       
                        

           「For」 式濱原理

「ねえ、これ貸してあげる。モートン・フェルドマンのCD」彼女といつ頃仲良くなったのか、気付けばこんな会話がごく自然にできるようになっていた。彼女は幼い頃からピアノを習っていて、先生が現代音楽が専門(勿論レッスンは現代曲ではないそうだが)らしく僕にはまったくその存在すら知らない作曲家の作品を教えてくれたりする。現代音楽という言葉も彼女から教わった。ペンデレツキやブーレーズや、ジョン・ケージ、シュトックハウゼン、クセナキス、ウェーベルン、シェーンベルクを教えてくれたのも彼女だ。僕はただ、彼女の勧められるままにそれらの作曲家の作品を聴き、わからないなりに彼女のあの嬉しそうな顔を見るためだけにそれらの音楽を聴き続けた。当初はそんな動機で聴いていた音楽もいつしか自分の生活に取り込まれ、聴くうちになじみ、いつしか当たり前に僕の生活に同期するようになった。

 彼女と出会う前、僕が14歳の時、フリージャズに出会ってしまった。中上健次の「破壊せよとアイラーが言った」というエッセイが父の本棚にあって、「???」と読み始めたのが最初。当然父の膨大なCDの棚にはアルバート・アイラーの「ghost」があって、僕はやられてしまったのだ。そうしてあの白いジャケット(中上健次の本もあのデザインが装丁として使用されている)は僕の記憶の特別な場所に飾られることになった。

 

「ねえ、なに聴いてるの?」高校に入ってすぐ、春の風が心地よい昼休みに僕は体育館の入り口の階段に座ってヘッドフォンから流れるコルトレーンのアルバム「クレセント」を聴いていた。まだ友達と呼べる友達はなく、親しかった数人の中学の同級生もいない高校の昼の休み時間は少しだけ退屈で、手持ち無沙汰ではあったけれど、この数週間一人でいるのは結構気に入ってはいた、、、いい匂いがした。春の光を含んだ風が僕の鼻腔に彼女の香りを届けた。陰嚢がきゅっと音を立てたような確かな感触があったが、そんな素振りは微塵も気取られてはいけない。なにしろ思春期真っ只中、エロガッパなどと妙なあだ名をつけられた日には早くも3年間詰むことになる。「こ、コルトレーン、、、」「ふ〜ん」彼女はにっこりと微笑み、スカートを膝裏に折り目正しく収めて僕の隣に座った。昼下がりの体育館にかかる階段。始業式の後、クラスの教室に向かう二階の新校舎と旧校舎をつなぐ吹きさらしの廊下ですれ違う時、スラッとして体が薄くシュッと背筋を伸ばして歩いてくる姿はなかなか良かったなぁ、、、と思い出した。美しい日には何かがもたらされる。ただ油断はしてはならない。中学一年の時、今まで本当に仲良くしていた女子が急に僕を無視しだした。最初は気付かず、何か変な違和感だけでまさか無視され始めているとは思わなかった。今までそういう経験はなかったし、あまりにも幼すぎた僕は人をあまり疑うようには育っていなかった。結局その理由も最後までわからなかった。何か悪いことをしたのだろうか、、、一週間ほど悩まされただろうか。地獄のように長い一週間。中学1年の一週間は長い。何度も声をかけようかと
迷った。でも出来なかった。それが日がな一日頭の中を去ることはなかった。常に僕に纏わり付き僕を苦しめ続けた。大袈裟ではなく。
 ある授業中、久しぶりに僕の方を向いてその女が口だけのゼジェスチャーで僕に話しかけているように見えた。僕たちの席は最後列で授業中前の人の影に隠れて良く話していたのだった。やっぱり気のせいだったのだ!僕は嬉しくなり、けれども声を音に出さないように、その女に「何?どうしたの?」と今までそうだったように、僕も声を出さずゼスチャーで語りかけたが、その女は僕の方を向いて変わらず何かを話し続けている。、、、違和感があった。あれっ?おかしいぞ、、、女は僕を見ていなかった!振り返るとなんのことはない、僕を通り越し僕のすぐ隣の女の子と話しているだけだった。女の目線上には僕が話す姿がはっきりとあったはずだ。けれどそんな素振りは一切見せず、まるで僕の存在は無いものとして話し続けているその光景を見て、僕ははっきりとその女の悪意を見ることになった。今まではなんとなく無視されているような居心地の悪さが、はっきりとした悪意として決定的になった時、女のあまりに不条理で身勝手な、ひどく醜い面を見せられてしまったあの「感じ悪さ」は生涯忘れる事はない。他人をああも傷付けたまま、今もどこかにあの阿呆がいると思うと、、、幸いなことに僕はそれから急に身長も伸び、思春期にありがちな、少し暴力的な雰囲気も纏うようになったから、人に馬鹿にされることはなくなったし、それを許さなかった。その女は眼中に入らなくなっていき、廊下ですれ違う時は逆に睨みつけて威嚇することもあった。力の移動。そんな変化が生じ、あのなんとも言えない屈辱感に捉われることは無くなったけれども、未だにわからないその原因と、あの屈辱の瞬間を不意に思い出すぐらいには後味の悪い強い体験だった。癒えはするが一生刻まれたまま消えない傷。無知で無垢な期間に深く傷つけられた心は元に戻ることはない。クソッタレ!

「コルトレーンって誰?」
「ジャズの人」
「ジャズ、、、そうなんだ」
「そうジャズ」
「音楽好きなんだね」
「そうだよ」
「わたしも好き。ちょっと聴かせて」

 僕の耳から片方ヘッドフォンを奪い、まるで都合の良すぎる展開のドラマように、ごく当たり前に、恥ずかしげもなく、彼女は僕の横に当然のような顔をして座り耳を澄ませた。「ねえねえ、最初から聴かせて」僕は無言で曲を最初に戻す。「なにか今まで聴いたことがない感じのジャズね。わたしBGMでかかっているジャズ?ぐらいしか今まで意識したことないんだけど。これちょっと旋律が複雑ね、、、でもダークな、、、」「すごい!わかるの?録音が1964年でコルトレーンの晩年に差し掛かっている時だから。インパルスというレコードレーベルで、、、」「ふむふむ」彼女はコックリコックリ頷く。「そこからフリージャズっていうジャズに向かうんだけどその数年前の作品だよ」彼女は心持ち首を傾げ手のひらを頬に添えながら涼しげな瞳で僕を見つめ「何年に録音されたのかはとても大切ね。わたしピアノやってるんだけどその作品がいつ頃書かれたのかはとても重要なの。ジャズでもそう?」「うん。とても重要だね。特にこの時代の数年前ぐらいからコルトレーンは自分で書いた曲がほとんどなんだ。と言うのもね、ジャズにはスタンダードっていって、自分で作曲した曲ではない有りもの、、、コード進行をそのまま借りるんだけど、、、それをいかに自分の演奏に落とし込むか、、、というジャズを形成する大きな分野のひとつでもあるんだけど、それはそれで素晴らしいんだけどね、僕はコルトレーンはコルトレーンが書いた作曲作品が全てだと思う。その演奏がすごくシリアスなんだ、、、このアルバムはすべてコルトレーンが書いてる」「ふむふむ」コックリ。「ところでピアノってどんなの弾くの?」「ここはドリア旋法ね、、、ううん?わたしのピアノ?クラシックよ」「そうなんだ。クラシックは少ししか知らない。バッハのフーガの技法はよく聴けど。ベートーヴェンの大フーガは家でよく掛かってる。父が好きなんだ」「また渋いわね。あっそう言えばカプースチンって即興演奏であるジャズを完全に譜面というものに落とし込んだ作曲家ってタワーレコードのポップに書いてた。その時はふ〜んって思っただけだったけど、、、今度先生に聞いてみよう、、、」「カプースチン、そんな作曲家いるんだ。クラシックに。レコード屋さんにはよく行くの?」「当然よ」彼女は胸を張って自慢げに鼻の穴をすこし膨らませた。

世界はどうしたらぼくたちの味方になるのか、、、
 

  
 彼女は唐突にフランスに旅立った。音楽留学というやつだった。彼女の先生はその筋では有名なピアニストだったらしく、その先生の推薦でパリの音楽院に入学した。もっとも彼女だったらそうだろうな、、、とも思った。こうして変わらず近くにいるということは思い込みに過ぎないのだ。彼女のおかげで女性が底意地の悪いものだという考えはごく普通に暮らしている限りきれいに消えてしまったようだった。それまでの僕は祖母や、母という完全に安心できる存在の女性しか知らなかったから、同級生の女性から受けた愚劣な洗礼にはひどく傷つけられた。信用ならない存在としての異性。短い時間だけれど、彼女が与えてくれた気持ちの良い関係性は、そうか、むしろ彼女のような人が本当の女性であるのだという、なにか、自分の判断の中心の軸ができたようにも思う。かろやかで屈託のない微笑。ちょっとさわると傷ついてしまうような脆さもそこにはあって、そしてなにより振る舞いが優しかった。

 どこにでも偽物は潜んでいる。

 僕は彼女ともっと深い関係になりたかったのだろうか、、、コルトレーンの音楽を一緒に聴いてから僕たちは廊下ですれ違う時目と目で密かに挨拶し、放課後には一緒にレコードショップに行き、書店に行き、映画を見ることだってあった。けれど、それ以上深い理解につながるような段階には辿り着けなかった。そうはいっても僕はその時臆病になっていて、彼女でさえも完全には心をゆるすことを無意識で拒んでいた。今ならわかるが、それは致し方のないことだったと思う。時間が必要だったのだ。それに付随する段階的な経験も。
 
 一度彼女がピアノを弾いてくれたことがあった。夏の初め、青い空が青すぎるぐらい、雲ひとつない空が見られた日に。彼女と出会ってひと月経った頃、家に招待された。ピアノを聴いてみたいと僕が言った時、彼女は少しはにかんだような微笑を残してじゃあ今度ね、と自分の教室に戻って行った。それから数日は特にそのことをお互い話すこともなく、けれども変わらずシュトックハウゼンのことやエリック・ドルフィーのことなんかを休憩時間にはそれを聴きながらいつもの場所で話す。ドビュッシーのことを話していた時だろうか、、、「こういうのも弾けるの?」「うん」先生がフランスに行っていたからドビュッシーとか、サティとか、メシアンとかは教わるからとかなんとか。「メシアンの世の終わりの為の四重奏曲って知ってる?」「知らない」「メシアンが戦争中捕虜となっていた時に書かれたものらしいの」「だから世の終わりの?」「そうかもね」僕は少しドキドキしていた。あの時の青い空をこう鮮明に覚えているのは、自分でもはっきりわかるぐらいの、その胸の動悸を誤魔化すためにことさら感傷的に眺めようとしていたからだ。要はひとりで目一杯格好つけて歩いていた。口笛でも吹きたいぐらいだ。彼女の家の近くの駅に迎えに来てもらい、にっこりと手を振って迎えられた後、心持ち彼女もいつもよりは緊張しているような気がしながら、僕らは微妙な距離で歩いた。「ねえ、知ってる?こっちって本の発売日が1日遅いんだって。いつ頃からなのかなぁ。少し前までは他の地域と同じだったのに」「そうなの?初耳だよ。だからか。近頃発売日に買いに行ってもどこの本屋さんにもないぁ、、、と思ってったんだ」「やっぱり半島だからかな?」「知らない。でも多分そんなところなんじゃない?」とか。話に夢中になりながらも、たまに僕の腕と彼女の肩が服越しに軽く触れたような気がした時、、、実際には触れてもいないのだが、、、は心がさざなみを打った。頭が痺れた。彼女の私服を初めて見たけれど色の白い肌によく似合うシンプルだけど洗練されたデザインのネイビーと腰の装飾の太めの白のラインが特徴のAラインのワンピースで、今まで見てきたことのないような女の子だったんだなと改めて思った。昔の武家屋敷の名残のある細い路地の奥まった一角に彼女の家はあり、白い漆喰と時代を感じさせる瓦が続く塀の先に頑丈そうな木製の門があった。
 時代劇に出てくるような門の脇のくぐり戸から招き入れられた。「すごいね。何か、、、」「そう?」「うん。武家屋敷?」「ご近所さんはそうかも。うちはもともと商家よ」「そうなの?」「この辺りは昔の屋敷町だからこんな感じのお家が多いわ」檜の匂いのする玄関口から中庭を過ぎピアノのある部屋に招き入れられた。

「庭にメジロがいたね」
「そうそう。いつも遊びに来るのよ、、喉乾いた?」
「いや、大丈夫」
「そう?じゃあピアノ弾くね」
「早速?」
「そう。早速」

凄い演奏だった。

「作曲は誰?」
「リゲティ。これはエチュードの5番」
「内省的だね」
「美しいでしょ」
「うん。驚いた」
「ありがとう」
「今度モートン・フェルドマンのバニータ・マーカスのために弾いてよ」
「え、気に入ったの?貸してあげたCDの」
「言わなかったっけ?」
「うん。わたしフェルドマンで最も好きな曲なの。あれ。だからすごく嬉しい」
「じゃあ今度」
「うん。約束」

結局その約束は果たされなかった。それから程なく彼女はフランスに行ってしまった。

ピアノを弾いてくれた後、彼女は僕を近くの教会に連れて行ってくれた。週末には彼女はそこで讃美歌の伴奏をするらしい。彼女に連れられその教会の静謐な空間に足を踏み入れ、中央近くの信徒が座る椅子に隣り合って座った。
「私にとっての音楽とは捧げ物なの」
「捧げ物?」
「そう。捧げ物。純粋に、ただ、それだけ、、、」

 その数ヶ月後彼女はフランスに旅立った。高校1年の終わりを待つまでもなく。
その後幾通かの手紙のやりとりでは彼女は元気で過ごしているようだった。フェルドマンの「バニータ・マーカスのために」を弾けなくてごめんね。でもいつか必ず弾くわ。あなたの前でとか、昨日ブーレーズのIRCAM(イルカム)に行ってきたのとか、max/mspを始めたとか(コンピュータ・プログラムを走らせるもので、アルゴリズムを扱った作曲や楽器の出力音をプロセッシング(音のリアルタイム加工など)をする事なんかに使われるらしい。それについて詳細な説明が便箋5枚にわたって綴られていた。
サティが弾いていたカフェのこと、フィリップ・ユレルの室内楽コンサートに行ってサックスとパーカッションの作品が最高だったのとか、そんな日々のことが。僕もその都度返事を書いて送った。海外に手紙を送る行為は何か特別なことのように思えた。
 いつしか、、、彼女との手紙のやりとりの頻度は少なくなり、ある時を境に彼女からの手紙は届かなくなった。僕たちは疎遠になった。17歳の僕は、けれどもそれで良いような気もした。自惚かも知れないが少なくとも彼女にとって僕という存在はあの時期ある種の大切な存在であったように思えたし、それが誇らしくもあった。それだけで十分な気がした。僕にはそういうことがとても大切なもののように思えたのだ。かけがえのないもの。今僕たちがおかれている、それぞれの環境の違い、距離の圧倒的な隔たりはその関係性を徐々に減衰していくのは自然なのだと納得しようとしたのかもしれない。それをうまく自分の中で消化するには多少の時間は必要だったけれど。
 
 彼女と手紙のやりとりをしている時から僕はサックスを始めた。彼女にそのことを手紙で知らせただろうか、、、何故かよく覚えていない。母の知り合いにジャズを教えてくれる先生がいてその門を叩いた。電車で1時間半かかる一番近くの大都市のレッスンに週1回のペースで通うようになった。まずはロングトーンのみのレクチャーから始まり、その重要性を叩き込まれた。密度の高い幅の広い息をマウスピースに送る技術。息のスピードのことを知覚できるようになるには相当の時間が必要だった。アンブシュア(マウスピースを咥える適切な唇の周りのフォーム)が出来上がってゆき、口の周りの筋肉がマウスピースを確かに支えるようになり、唇に無駄な負荷がかからなくなるまで、その練習は続いた。次に分散和音、スケール、楽譜の読み方。先生はサックスは移調楽器だから楽器自体のドの音がアルトやバリトンならミのフラット、テナーやソプラノならシのフラットになるからサックス用の移調された楽譜が存在するのだけれど、ジャズをやるならin Cで読みなさいと一番最初の日に勧めてくれた。ジャズはピアノやギターなどin C表記の譜面で情報をやりとりするのが基本だからというのがその理由で、in Cで読めない人は仕事にならないと言う。ジャズは即興の音楽だが、その演奏には前提となる共通の知識の「総体」があり、それが和声情報を読むことをはじめとする様々な前提なのだが、それを現場で渡され確認することがほとんどだと言う。だから楽譜の読みは全員がin Cでするし、例えばバンドマスターがピアノだとしよう、ピアニストがわざわざ移調した楽譜を用意してくれるはずもないんだよ。読めて当然なんだ。で、逆は存在しない。バンドマスターがサクソフォニストだとしてもin E♭とかin B♭とかで皆が読むなんてことは100%ないんだ。in Cが絶対の基準になるから、当面サックスの参考者は買わないように。クラシックや、ブラスバンドをやるなら、それらで使用する楽譜は移調したサックス用に書かれたものだから、そういう演奏者にはそれは有用だけど君は違うのだからと。買うならin Cが読めるようになって、必要があれば移調譜を読めるようになれば良いからと。
 最初は僕はアルバート・アイラーや、エリック・ドルフィーやオーネット・コールマンの名前を出してああいうサックスを吹きたいんですと伝えた。コルトレーンのインパルス時代の晩年のアルバムなんかのことも話したように思う。
 「なるほど。君はフリージャズをやりたいのかな?それは尊重しようと思う。けれどもまずはやらなくてはならないことがある。結構大変だよ。基礎をまずはみっちりやって、それからチャーリー・パーカーを学ぶ。パーカーから全てが始まっているから。高校卒業まではそれだけに時間を費やす。出来るかな?」「出来ると思います」「良し。決まりだ。じゃあ始めよう」

 サックスはヤナギサワの992のアルトを買った。自分の貯金全てと親に借金をして。ブロンズ色に光る管体。セルマーのマウスピースとともに先生に選定してもらいレッスン以外の時間も没入した。先生はbuescherを使っていて、いいなと思ったけれど良い個体がすぐ手に入るのは難しいと言われて諦めた。実際先生とまわった楽器屋さんには良い個体がどこにもなかった。
 
 ある程度吹けるようになった頃、ふとしたきっかけでブラスバンド部の練習を見せてもらったけれど、僕の求めている音楽ではないような気がした。何か別の音楽のような、、、案内してくれたクラスメイトには申し訳なかったけれど、正直にそれを伝えた。丸いボストン型の可愛らしい眼鏡の奥で少し悲しそうな目をしてその女の子は「大丈夫。気が変わったらまた言ってねっ」と足早に部活の練習に戻っていった。優しい女の子だと思った。

 毎週のレッスンを録音し、帰って一週間その内容を繰り返す。反復以外にそれらを自分のものにする術は無いのだ。僕は案外反復を苦にしないということも知った。フランスからの手紙が途絶えて暫くは彼女の顔がしょっちゅう脳裏に浮かんだけれど、チャーリー・パーカーを四六時中聴き、オムニブック(ジャズ界隈では超有名な楽譜集)を開いて読譜の勉強をし、またレッスンに通う。ブラスバンド部のその女の子とはそれ以降結構話すようになっていた。彼女はフルートをしていてフルートもin Cで楽譜を読むからバッハのパルティータの楽譜を持ってきてくれたりして昼休みに屋上でそれを読みながら色々教えてくれたりもした。
 彼女はとてもおとなしい性格でゆっくりと丁寧に話す。人柄がそのまま出ている感じで。肌がとても白く(尋常では無いぐらい本当に白いのだ)目元から目尻にかけていつもほんのりと紅みが差している。眼鏡を外している顔はまだ見たことはないけれど、隠されているが実は結構端正な顔立ちをしている。けれどクラスのみんなは気付いていないようだった。僕だけが知っている、、、と思いたかった。
 
 高校3年になってレッスン中に先生が「随分吹けるようになったね。音を聴いてると分かるよ。ちゃんと練習しているってことが」「ありがとうございます」「忘れないでほしいのは全てをコントロールするように心がけて吹いてほしい。いい加減に吹いてはいけない一音でも。指がまわるようになったからって調子に乗って適当に吹いちゃいけない。必ずこう吹くんだという意思に基付いてそれを楽器に反映させる練習をしよう。そこが決まっているとジャズは細かいミスがしょっ中起こる音楽だけどそのミスすら即興に取り込んで構造化するんだ。いいね」「はい」「それとほら、チャーリー・パーカーのこんな速い演奏をこうゆっくり再生するとわかるけれど、、、ねっ、ほら、訛っている。bbmが物凄く速いから音が全部イーブンに鳴ってるように実際の速度で聴くとそう聴こえるけど、ねっ、そうじゃないだろ。ほら、こうして速度を落とすと音の抑揚が、、、まるで黒人の演説を聴いてるみたいだ。ある時テレビで流れているキング牧師の演説を聴いていてね。夜中に。それを聴いていたら、嗚呼、まるでジャズみたいだと思ったんだ。だからジャズの始まりは黒人の喋る言葉と密接に関わっているんだよ。これは間違いない」

 「そんなことを先生が言ってた」フルート吹きの彼女は少し間をあけて呟く。
 「シリアスね」
 「おっ、粋なことを言うね」
 「ふふっ。嫌だわ、、、即興って面白い?」
 「勿論。まだ全然出来ないけど」
 「ジャズってどうやったらあんなに澱みなくみんなが延々と演奏できるのかしら、、、即興なのよね?全部」
 「そう。あれはさ、例えば12小節のブルースという形式があったとすると、その和声情報は決まっているんだよ」
 「ええ?そうなの?」
 「その12小節を延々繰り返して曲が進んでいくんだ。テーマがあって、そこで既にコード進行は提示されている」
 「わたし、聴いても全然わからなかった」
 「君みたいに音楽をやってる人でもわかんないんだな、、、興味深いね。でも、そうか、、、僕にはそれがわかっていて当たり前のことだけど、知らない人には謎でしかないってことは結構あるかもね。じゃあ、ちょっとこれ聴いてみて」僕はチャーリー・パーカーのnow’s the timeをスマートフォンから流した。
 「じゃあ次はこれ」
  ソニークラークのcool struttin’を流す。
「これら2つの曲は同じコード進行で出来てる。Fのブルース」
 「それを聴いてもわからないわ」彼女はちょっとふくれる。
 「まあまあ、、、じゃあ次はB♭のブルース。ソニー・ロリンズのblue 7、、、嗚呼、渋いなぁやっぱり。痺れる」
 「で、次はロリンズとコルトレーンのtenor madness。ほら」
 「なんだか、すごい。おもしろいね。同じコード進行なの?ほんとに?」
 「そうだよ。裏コードなんか使ったりコードを分割して書き換えたりして変化はするけど基本の構造は全て同じなんだ」
 「楽しいね。こんな話」
 そう言って心持ち上気した目元をして彼女は微笑んだ。さらに目元に赤みがさして可愛くなった。
 「じゃあね。今度はマイルス・デイビスのfreddie freeloader。これもB♭のブルース。このコルトレーンのソロがね、、、」

 僕とそのフルートの女の子は互いに遠慮がちな好意を持ってそれを育んでいった。映画に一緒に行くようになったし、コンサートにも一緒に行くようにもなった。フランスに行ってしまった彼女のことは今頃どうしてるのかな、、、とたまに思い出しはするけれど、僕の頭の中はフルートの女の子のことが多くを占めるようになっていた。
 ある時、ふとフランスに行った彼女の家の近くを通ったから少し覗いてみたくなった。あの時のメジロが居た庭は見ることは出来ないけれど頑丈そうな門とその脇のくぐり戸を含めた立派な佇まいを見てみたくなった。屋敷町の面影が色濃く残る道伝いの僕の身の丈より少し高い漆喰と古い瓦がずっと先まで続く塀の連続した先に彼女の家の門は変わらずあった。ただ違うことはその門に「売り家XX不動産」というひどくそこには不似合いなプラスティックのプレートが貼られてあったことだ。呆然として暫くその光景を凝視し、そう言えば2年近く彼女が帰郷もせずにいることを不思議に思っていたその答えがそこにあったのだと。いくらなんでも帰郷したなら連絡ぐらいくれるのではないかと思っていた。けれども連絡はなかった。僕は郵便受けを見に行くことをいつしか止めていた。
 
 「メンデルスゾーンがいなかったら今私たちはバッハを聴けなかったのかもしれないのよ」眼鏡の女の子はバッハの楽譜を見ながらそう言った。
 「そうなの?あの大バッハが?」彼女のおかげで僕はバッハについても特別な存在として心に留めるようになっていた。
 「メンデルスゾーンのおばあちゃんが誕生日にバッハの楽譜をプレゼントしてくれたの」
 「じゃあ正しくはメンデルスゾーンのおばあちゃんがいなければ、、、だ」
 「諸説あるんだけれど。メンデルスゾーンがバッハを紹介するまで100年近くバッハは忘れ去られていたの。信じられる?あのバッハがよ!」
 「そう言えばマイルス・デイヴィスの自叙伝でジュリアード音楽院に通っていた時、天才ピアニストが同じ頃通っていたけれど、彼は黒人であるが故に何者にもなれなかった。天才だったのにって。天才のマイルスが言うんだからほんとうの事だったんだろう。そういうことって残酷ではあるけれど世界という成り立ちのなかでは自然なことなのかもしれないね。ある者は名を成し、ある者は忘れ去られる。僕はそう思うんだ。そしてね、マイルスはその何者にもなれなかったピアニストの名前をはっきりとその本に残している。マイルスはわかっててそう言ったんだ。この自分の本が出版され、そうして多くの読者がその名前を目にすることを。ユージン・ヘイズってクラシックの天才ピアニストの名前を」

 そうして眼鏡の魅力的なフルート吹きの女の子は高校を卒業し東京の音大に入り、僕は僕でサックスの先生の住む大都市のメディア・アートの大学に入った。音楽科にそのサックスの先生が講師として教鞭をとっていたからだ。その学科は少数の生徒しか取らず、メディア・アートも望めば学べる。僕はそこでクラシックの作曲や、コンピュータ関連の実践的な方法なども学んだ。サックスは変わらず先生の自宅での個人レッスンと学校の授業の両方をこなし、学校ではクラシックの技法とジャズのメソッドを学び、先生のレッスンでは選んだ個別のサックス奏者の楽曲を聴きながら採譜しその演奏の構造を読み解くようなことをする。コルトレーンのある曲の演奏をテーマから順に聴いてゆき、ある短いパターンを吹いている箇所を見つけて取り出し、そのフレーズを採譜する、それ自体で完結しているパターンはそのまま吹き、採譜したパターンから導き出されるフレーズの全体像が見つけられるものはそれを導き出し記譜する。さらにそこから着想される別のパターンの構築。そういったパターン発見と応用というテーマで練習を繰り返したり、例えばオーネット・コールマンを採譜して研究したりした。
「興味深いね。オーネット・コールマンはジャズ来るべきものからやっていることはほぼ変わらない。最初期のeventuallyのこれらのフレーズを見てごらん。そうして後期のneked lunchやsongXのこの曲とか、この曲のこことか、こことか、、、ね、初期の頃はプラスティック製のグラフトンのアルトのせいか音の粒だちが不明瞭だけれど、、、意図して吹いているのと同時に、これは楽器の精度の問題もあるのかもしれないね、、、僕は吹いたことないからわからないけれど、、、不明瞭な音の粒をしているけれど、この曲に関して言えば、こうやって採譜は可能だ97%ぐらいは」
「はい」
「でね、当然だけれどもフリージャズと呼ばれるものの始祖のオーネットも運指という観点から見てもきっちり意図が読み取れるように吹いているのがわかるよね。ここからの12音はGm7だね。それから次の5音はCm7♭5かな、一応そう想定しよう。次の6音はG7のオルタードテンションを使って、、、次はここ、、、次は、、、ただどういう法則でこれらを連結しているのかはわからない。オーネットがハーモロディック理論と言い出したのはこの後のはずだから、、、でも明確な意思が介在しているのが採譜してみるとわかるよね。そのフレーズの組み立て方が初期と晩年で多分同じ発想をもとに組み上げてあるのは明らかなように感じる。少なくとも僕はそう思う。あとはブルースの音づかいはやっぱりあるね。はっきり。ある意味では見事だよ。長い演奏活動の全てが同じアイディアを基に組成されているフレーズで構成されている。細かくは時代によって表層に出てくるものの変化はしているけれど、フレーズを組み上げる発想は同じものを使っていると僕は想像する。でも100%僕の言うことを信用しちゃいけないよ。然るべき時に疑義が生じた時は自分でそれを検証してほしい。いいね。対してコルトレーンはコルトレーンで時代によってコンセプトが常に変化している。それは恐ろしいくらいだ」

 東京の音大に行っている眼鏡のフルートの女の子から連絡があって先輩がテナーサックスとソプラノサックスを安く譲ってあげても良いと言っているよと教えてくれた。僕が常日頃テナーとソプラノが欲しいと言っていたから。それで僕は週末や、講義の無い日、それに夏の休みなどのまとまった期間、ある工場にアルバイトに行くことにした。時給が良いのもあるけれど、僕はその頃SFを常に読んでいて、ファクトリーやコミューンの群像劇をイメージしてそれを自分に重ねて経験してみようといった妙な考えが無いではなかった。そこは山を切り崩した新興の工業団地にあり、大きな食品メーカーの下請け工場だった。数百人規模の作業員がいて、食品会社であるから女性が90%を占めていた。当然ラインの班長(アルバイト)は女性で初日から随分と人を見下した物言いをするところで驚いた。それも一人や二人ではない。おおよそ初心者を優しく指導して仕事を覚えてもらいたいという意思は全く感じられなかった。これはすごい所に来てしまったなと思ったけれど、楽器は喉から手が出るほど欲しいし、音大の女の子の先輩はお金が貯まるまで少しは待ってくれるらしいから、早くお金を稼がなければならないし、そして少しだけ僕は面白がってもいた。そういう人間を観察することを。
 ひと月もするとこの会社の雰囲気も内情もわかってきたし、仕事は単純作業ですぐに覚えることができた。初日に受けた印象は変わることはなく、7人いる班長は皆程度は違えど一様に偉そうで、一人は特に酷かった。それを取り巻く副班長も性質(たち)が悪く僕はある時そのひどい班長の取り巻きの一人を、あまりに不条理に人を扱うので怒鳴りつけたものだから(首になっても良いと思っていた)その話は会社中に一瞬で広まり、ありもしない妙な噂を社員に告げ口されたりしていたらしい。仲間を平気で売る人々。この閉ざされた狭い世界では社員は絶対だった。呼び出されて注意を受けたが社員もそういった問題は知っていて目を瞑っているのがわかる。でも無能で無気力で大勢の大人が働く環境をまともに治める気などさらさらないような人たちばかりだった。なぜ工場が回っているのか不思議に思ったが、要はシステムがガチガチに構築されていて、労働者は歯車に過ぎないという前提でデザインされているからだろう。そういう仕組みになっていた。理にはかなっている。そして大体の作業員は害がなく、正体不明の人たちではあったけれど知りたいとも思えないから常に一人でいる事にした。比率からすると圧倒的に少ない男のアルバイトは皆まるで牧神に仕える羊のように押し黙ったまま尊厳を踏みにじられても自分を押し殺しすのがもう普通になってしまった人たちに見えた。少ないけれど普通に接してくれる人たちもいて、なんとかお金が貯まるまで続けることができたけれど、人の上に立つ器量も頭脳も持ち合わせず、何を根拠にああ威張り散らせるのか未だにあの女たちの神経がわからない。ふと中学の時に理不尽に無視をされた意地の悪い女のことを思い出し、その女の印象と重なって酷くまいったのを覚えている。何度も繰り返される人を見下した物言いをされている最中に僕は心の中で強い暴力衝動を抱きながら心底あの班長と取り巻きたちを軽蔑していた。彼女たちに決定的に足りないのは他者への警戒心だとも思った。そういった振る舞いが自分に何か直接不幸や災いをもたらすとは考えないのだろうか。幸い僕はその強い暴力衝動を吐き出すことは無かったけれど、女だからと言って、次の瞬間、顔を潰されない保証などどこにもないのだ。救い難いイマジネーションの欠落。いったいその根拠のない自信はどこからくるのだろう、、、あまりに閉じられた世界ではこうなってしまうものなのか、狂っているとしか思えなかった。SF小説の工場を扱った物語の多くがその世界をディストピアとして描いているが、本当にディストピアみたいだった。いや、ディストピア小説より悪いよ。多分。

 お金も貯まったので眼鏡の女の子に連絡し、東京に楽器を受け取りに行きたいと伝えた。
 「久しぶりに会えるのね。嬉しいわ。良かったら私の所に泊まってよ。部屋もあるから。お金は大事にしなきゃ。ね?」
 「う〜ん。いいのかな、、、」
 「いいの。いいの」
 「じゃあホテルが取れなかったらね」 
 「駄目よ。遠慮しないで」
 「まあまあ。また連絡する。今週中にでも」
 「わかった。約束よ」

 結局近頃の観光客の激増の影響で本当に手ごろなホテルは満室で無理だった。予約するには遅すぎたのだった。
「というわけで、申し訳ないんだけど一拍だけ泊めてくれるかな?」と正直に話した。
「だから言ったじゃん。泊まって。泊まって。歓迎するわ。うふふ」
「じゃあ二日後に新宿駅で」
「了解。携帯忘れないでね」
「わかった」

一年経たないというのに彼女は随分綺麗に洗練された女の子になっていた。
「あれっ?目の前に綺麗な女子が居る、、、眼鏡変えたんだね。新しいボストン型。似合ってるよ」
「いやん。照れるわ。でもありがとう」
ものの数分であの頃の感じに戻る。
彼女の先輩、、、優しそうな人だった、、、に会い、安く譲ってくれた礼を言い、ヤナギサワのテナーとヤマハのソプラノを受け取った。
「きちんと調整は済ませているからすぐ使えるよ。大事にしてやって」
「はい。大切に使わせていただきます。ありがとうございます」
「ところで君たち付き合ってるの?この子いつも君のこと話してるからさ」
「いや、そういうわけじゃあ、、、」
彼女はにっこりと微笑んでいるだけだった。

その先輩と別れ彼女のマンションに行った。音大生御用達のマンションで防音ルームがあった。
「お邪魔します。早速なんだけど、ちょっと吹いてみても良いかな?」
「勿論。じゃあ私シャワー浴びてくるね。汗かいちゃったから」
「うん。じゃあ防音ルーム使わせていただきます」
「どうぞ」
なんだか少し年上のお姉さんみたいだ、、、と思った。
 譲ってくれた先輩のサックスにはそれぞれセルマーのS90マウスピースがおまけでケースに入れてくれていてリードも数枚入っているのを聞いていたからそれぞれの楽器の外観をチェックしてセッティングした。自分のストラップをリュックから出し、試奏する。ロングトーン、分散和音、倍音、フラジオのあたり、クロマチックスケールなどを吹き、コルトレーンのクレセントを吹いた。
 その夜初めて彼女と寝た。とても柔らかい体をしていて肌を合わせると僕たちは一つの丸い物体になったような気がした。頭がホワイトアウトするような陶酔を感じた。良い匂いが彼女の体から常にして、最初はお互い緊張してとっ散らかり、わけがわからなかったけれど、それを可笑しいねと笑い、気を取り直して互いを抱きしめて、そうして明け方まで僕は彼女を抱き続けた。とても幸せだった。

 先生との個人レッスンの休憩中に「君の同郷で多分同じ歳頃だと思うんだけどフランスに留学したピアノの女の子って知ってる?」
「えっ?何故ですか?いきなり。思い当たる子は一人いますけど」
「親しかったの?」
「そうですね。少ししか彼女とは話せませんでしたけど、音楽のことを色々教えてくれたりして、現代音楽とかを知ったのも彼女との会話の中でです。仲良くなったと思ったら急にフランスに行っちゃって。一度彼女のピアノを聴いたことがあります。素晴らしかったです」
「いやね。ちょっと酷い話を聞いたものだから。親しかったのだったらやめておこうかな」
「気になりますよ、そんなこと言われたら」
「うん。ほら最近着任した先生っているでしょ。この間までフランスにいたピアノの。その先生からちょっと聞いた話だとその女の子が向こうでトラブルに遭ってね。顔を切り裂かれたって言うんだ。演奏の場で」
「えっ、、、」
「いや、こんなこと話す気はなかったんだけど、、、なんだかすまないね。違う人かもしれないし、、、気休めにしかならないか、、、僕もちょっとショックでさ、、、そんな話は、、、」
「で、どうなったんですか?その女の子は」
「命に別状はなかったらしいんだけれど、、、その他のことはわからない。確か2年か3年前って言ってたかな、、、」
 

 僕は42歳になっていた。あれから在学時代に出会った作曲家と共同で現代音楽の交換作曲作品をその交換の書式、システムを互いに考案しながら構築し進めて行き、その作品が賞をもらい、僕は作曲家としても活動しながら演奏家としてジャズや、とりわけfree improvisationのコミュニティにも積極的に関わり、その関係で海外(実はこちらの方が海外とのコネクションは強かったりするのだ)でも演奏するようになった。交換作曲を共にした彼はその後クラシックのシーンでいくつも賞をとり、注目され活躍し、僕は彼の作曲作品のサクソフォン奏者としても知られるようになっていった。
 サックスは僕にとって他の楽器とは全く違う特別な存在としてあって、例えばピアノはプリペアドピアノというと文字通り事前に様々な金具などを内部の弦に準備し仕込んだりするわけだけれど、、、それは完成された楽器である証左とも言えるが、、、サックスはピアノのように完成され尽くした楽器ではなく、今も更新を繰り返している楽器であり、訓練をしないと楽音以外の音が鳴ってしまう構造をしている。あくまでも見方の問題ではあるけれど、それを逆手にとって奏者の訓練によって楽器のプリペアド化が奏者の操作のみで可能(楽音と非楽音を一瞬で行き来することが可能だ)であったり、そのヴォーカルな特性であったり、クラシックの分野では新しい楽器であるが故、新参者でアンサンブルするにしても他の楽器との音量差が大き過ぎるなどの親和性が低いという評価が昔からあって、その固定概念は随分強く、未だに演奏家、特に現代音楽以前を専門に扱う者たちの中には忌避されたりする楽器でもあるけれど、そういう演奏家に限って三流の演奏しかしない。恐ろしく凡庸なのだ。イマジネーションの問題だと思う。イマジネーションがとても必要な世界なのに。新しい時代の作品なんて聴いちゃいない。そうして彼らは常に権威主義者の嫌な匂いが纏わり付いている。権威が何より価値があると信じて疑わないことが透けて見える振る舞いはとにかく鼻につく。そして、それに気付いていない。自覚すらないのだ。彼らは美しくない。

 サックス、、、その金属のボディは分類としては木管に属され、詩人には金属の男根と謳われる。多くの特殊奏法も多岐にわたり存在し、僕は先生に(先生は特殊奏法の鬼だった)循環呼吸や、スラップタンギングや、そこから派生する様々な未だ名付けられていない奏法を教わって後にそれらを拡張し自分の作品に採用したり、また現代音楽ではそういった奏法は必須だから随分その時の訓練は役に立った。
 眼鏡の彼女はその後演奏家としてデビューして今でもたまには連絡を取り合う仲だ。東京に出て3年ほど一緒に暮らしそして別れた。その後幾人かの女性と深い仲になり、そのうちのよく笑うひとりの女性と結婚をして4年過ごし別れた。

 フランスの現代の作曲家はサックスを特に扱う人が多いような気がしている。名門サクソフォンメーカー・セルマーの国であるのも無関係ではないだろう。サクソフォン奏者が作品を書くことも多い。日本ではサックスのために書かれた作品が少ないように見聞されコンサートの選曲に演奏家が苦労するというような話があるけれど、僕はそうは思わない。現代音楽の作品の中には演奏すべき作品が多く存在する。僕はフランスのそういった動きにいつも注目していた。今年はフランスに招かれそれらの作曲家の作品を吹く機会とそれとは別に同時期に開催されるfree improvisationのフェスにも招かれ、そこで演奏することにもなっていた。
 フランスに入り、大都市圏でいくつかのコンサートを終え、それぞれの演奏会の前にはいつくかの作品の作曲家にも直接会い、幸せな事に家に招かれて作品の指示の意味や、作品を理解する上での大切な助言なども得られた。最後に南の幾分大きな街で開催されるfree improvisationのフェスに向かった。

 サクソフォン・ソロという表現形態は、僕があらゆる楽器の中でサックスを選んだ最も重要な動機だった。それのみと言っても良い。そういうことが出来るようになりたいという強い憧れは今でも鮮明に覚えている。切実に焦がれた思いだった。
 コンサート途中、、、そこは新しく出来たらしい総合アートセンターの中の一つのホールを会場にしていて、円形のスペースの周囲が全てガラス張りでできてあり、高い吹き抜けの天井にもそこかしこにガラスがはめ込んでいて光があらゆるところから空間に差し込むようにデザインされていた、、、でアルトサックスの演奏を終え、ソプラノに持ち替えた時ステージから見える席のひとつに見覚えのある女性の姿が見えた。その時何か強い視線を感じたような気がしてそこを見ると、多分、彼女だ。と気取った、、、あのピアノの彼女が座ってこちらを見ていた。不思議だが僕は反射的に、ごく当然のことのように「やあ」と手をあげ挨拶をし、ソプラノサックスを指差し笑いかけた。彼女も目でそれに応えたように思った。
 
 すぐにわかった。見間違いようがない。
 
 演奏が終わった後楽器を急いで片付け彼女を探した。こういったコンサートは演奏者と観客は演奏時以外の時間は会場内で自由に行き来するのが普通だ。クラシックのコンサートや大掛かりなロックスターのライヴのように観客と演奏家が直接触れ合う余地のない場所とは違う。皆思い思いの行動をし、フランクに演奏家に語りかけ、演奏家もそれに応えるのが普通だ。それらの人たちをかき分け彼女を探す。元居た席に姿は無く、僕は会場を出てエントランス広場にある重厚なゴシック様式の彫刻のモニュメントのある場所に出てみた。
 彼女はそのモニュメントの先にある鉄製の舞い降りる天使たちが装飾されたゲートの下でこちらを見ていた。つばの広い麦わらのエレガントな帽子をかぶり、腰周りに白い印象的なラインのある深い紺色のシンプルなワンピースで。
 

「久しぶりね」
「ああ。本当に久しぶりだ。すぐにわかったよ」
「音楽家になったのね」
「うん、、、君はあれから、、、」そう言いながら自然ではあるけれど、彼女の長い黒髪が顔の左側を隠すように流れているのを咄嗟に確認してしまっていた。
「少し歩かない?」
「勿論。時間はあるし。君は?」
「大丈夫。時間はあるわ。ふふっ、、、昔に戻ったようだわ」僕たちは会場を出て石畳の道を歩いた。
「この辺りは海が近いから微かに潮の香りがするね」
「そうね。少し車で行くと地中海が見えるわ」
「今はどこに住んでいるの?」
「この街よ」
「そうなんだ、、、住んで長いの?ここは」息が少し上がる。
「そうね。もう随分長いわ。あのカフェに入りましょう。お腹はすいてる?」
「いや、でも喉は乾いたかな」
「良く行くのよ。あそこは。美味しいのよ。どれも」
「なんだか嘘みたいだ。君が、居る」
「そりゃ居るわよ。会いに来たんですもの。あなたに」
「うん。そうなんだろうけど、、、」カフェに入り、テラス席に案内され彼女は僕の斜め左手に腰掛けた。
「会いに来てくれてありがとう。嬉しいよ。どこで知ったの?」
「街のあちこちにポスターが貼ってあるわ。フェスの。ある時なんとなく出演者の文字を追ってたらあなたの名前があって、別人かしらとも思ったけど写真を見るとあなただった」
「じゃあ、偶然なんだ」
「偶然が様々な要素を巻き込んで結果意味を持って名付けられ、この世が出来てるそうよ、、、」と悪戯っぽくちらと僕の方を見る。そしてまたにっこりと笑った。
「笑い方は昔のまんまだ」
「そう?」
「うん。全く一緒」カフェのボーイに彼女は流暢なフランス語で僕と彼女の注文を伝え、何か世間話をしていた。僕は彼女の髪で隠された左の頬のことをぼんやり考えた。
「ねえ、やっぱり気になる?」
「何が?」
「傷、見えたかしら。さっきあなたの目線が私の顔の左側を一瞬強く、、、なんて言ったら良いのかしら。捉えたのを感じたから」
「傷?あるの?」
「ええ」
「気を悪くしたなら謝る。君がフランスに行って、手紙のやりとりが途絶えて、、、数年経った頃だろうか、風の噂で君が何かひどいことに巻き込まれたという話を聞いたんだ。僕のサックスの先生から」
「そうなの?」僕はその後メディア・アートの学校に行きそこに着任してきたフランス帰りの先生がそう話していたということをサックスの先生伝いに小耳に挟んだと説明した。
「狭い世界だからね。音楽家の世界も」
「本当かどうかわからないし、僕には調べようもない。半信半疑のまま今まで長い間、心のどこかに留めていたんだけれど、君が目の前に現れたから、、、」
「ええ。せっかく会えたんだもの。こういうことは先に話してしまいましょう。確かにここに大きな傷跡が私にはあるわ」そう言って彼女は左手の人差し指を彼女の左目から頬あたりを指差し、傷をなぞる様なそぶりをした。
「そうね。私がフランスに渡ってから音楽学校に入り、最初は友達も居ないし授業の他は練習室にばかり行っていたの。練習終わりにはオープンスペース、、、学生が休憩を取ったりそこで情報交換したりするの、、、があってそこでいつもあなたの手紙を読んでいたわ。次の手紙が届くまで繰り返し。日本語が恋しかったのもあるし、あなたの手紙はとても面白かったから」
「そうかい?それは光栄だ」
「それでね。私はそのオープンスペースのある窓際の決まった席にいつも腰掛けて手紙を読んでいたわ」
「うん」
「ある時私がいつもの席でいつものようにあなたの手紙を読んでいたら、一人の学生が私に近付いてきてこう言うの。手紙を指差し、そこに私の何が書かれているの!あなたはいつもそれを見てクスクス笑っているけれど、そこに私の何が書かれているのか説明しろっ!って。ものすごい剣幕でまくし立てるの。訳がわからないから一瞬キョロキョロと周りを見て、それ私に言ってるの?訳がわからない。これは日本からの手紙だし、あなたのことを私は知らない。何故私があなたのことを書いた手紙を持っているのよ!馬鹿じゃないの?って感じで、手紙を見せたわ。日本語の。あなたにこれが読めるの?読めないけど私の悪口が書かれているに決まっている。説明しろって聞かないの。なんなのよまったくって感じでその場は誰かが収めてくれたんだけど、それからその子がずっと私を見てくるの。監視するような目で」
「訳が分からない」
「本当に。その時からそう言う目線をいつも感じるようになったの。ある時学生の選抜の演奏会があってね、四人が選ばれて私もそのうちの一人だったの。全ての学生の演奏が終わって教授と演奏内容について話していたら左の顔に何か違和感を感じたの。手で触ったらボタボタボタって血が左足に当たるのがわかった。音を立てて。痛みは無いのよ。その時は。ひどい裂傷は先ず痛覚が機能しないの。ショックから自分を守るためだと思う。私は意識を失って、、、」
「犯人はその?」
「そう。その子」
それ以降彼女は手紙を読むことが出来なくなったそうだ。僕のものだけに限らず。傷が癒えて暫くしても手紙は読めない。だから手紙も出せなくなった。出さないんじゃなくて出せなかったの。と僕に言った。犯人の学生はその後暫く行方不明だったらしいが、どこか知らない場所で飛び降りて死んだと言った。彼女の入院中に。

 潮風が鼻腔をくすぐる。恐ろしく青い空だった。こういう空を見たことがあった。彼女の家に招かれた時に見たような空だと思った。

「それで音楽はやめてしまったの?」
「いいえ。この街にある教会で週末のオルガンとピアノの演奏と、自宅で小さなピアノ教室をやっているわ」
「君なら凄い演奏家になれたのに」
「ありがとう。一時はそんなことも考えたわ。でもね、ああいうことがあって、、、でもしばらくはこの国で演奏家としてやっていたのよ。ほんの短い期間だけれど。コンクールにも出て、そういった手順というのかしら、、、いくつかのオケとも共演して。でも必ずしもそうした生き方を望む人ばかりじゃない。私はそちら側の人間だったの。それに、、、」
「それに?」
「音楽は捧げ物でしょ」
「うん。確かに、、、そうだ。疑いようはない」
「あなたの、そんなところが大好きよ。とても」
「変わらないね。君は。あの時もそう言っていた。ほら、君の家の近くの教会で」
「ええ。覚えているわ。はっきりと」
「嬉しいよ」
「あなたは、音楽家になったのね」彼女はもう一度僕と、そして自分にも確かめるようにそう言った。   僕は黙って頷いた。
「ねえ、もし気を悪くしないなら、その、、、傷を見せてくれないか?」
「いいわよ。勿論。ねっ。ほら」
 彼女は顔の左側にかかった髪を左手でさらりとすくいあげた。
 左目の眉の上から一直線に頬の下、顎のラインに触れるあたりまで走っている引き攣った溝状の傷跡があり、左目は白く濁っていた。
「左目は見えないの?」
「そうね。まったく」
「傷はもう肌と同じ色だね。、、、触ってもいいかい?」
「いいわよ」彼女は僕にその頬を差し出す。
「君に触れるは初めてだ」
「そうね。あなたに触れられるは初めてよ、、、」

 それから僕たちは互いのことを話し続けた。話すことは山ほどあり、尽きることはなかった。彼女の実家が売りに出されていたことを訊ねると、古い屋敷だし、ああいうことがあって両親は環境を変える意味もあって処分したらしい。それを機に住みやすい都市に移ったらしかった。だから尚更僕たちが出会った街に帰るきっかけがなくなってしまったのと言った。あなたのことは良く思い出したのよ、ほんとうよ、と言った。
 そして僕たちは夕刻の山の手の坂道を歩いた。あたりは静かになり、道に面した商店もクローズし始め人影もまばらになった。彼女は少し無口になり、でも時折僕の話す言葉に柔らかい表情と声で相槌をうった。
「この先に私の弾いている教会があるの。ちょっと寄って行かない?」
「あ、さっき話に出た。いいね。是非。見てみたいよ」

 「ここよ」
 夕刻と夜の狭間の時間にこじんまりとした、しかし美しい外観の教会が突然現れた。彼女は少し待っていてね。と言って教会の敷地内の住居らしき建物に消え、暫くして帰ってきた。
「神父様に許可をいただいてきたの」僕は頷いた。

「会えて良かったわ」
「僕も会えて良かった。ここではどんな曲を演奏するの?」そう話しながら教会内に足を踏み入れた瞬間、僕は空気が一瞬で変わるのを感じる。僕らの足音だけが響く。
「ミサの曲や讃美歌の伴奏、オルガンでインプロヴァイゼーションもするわよ」
「インプロヴァイゼーション?ほんとに?」
「本当よ。ここはフランス、メシアンの国よ。メシアンだって教会で即興で弾いてたの知ってるでしょ?」
「勿論知ってる。そうだ。忘れていたよ。ここはフランスなんだね。世の終わりのための四重奏曲の国だ」
「私たちがあの時話したね、、、」
「高校の時の」
「そうよっ」そう言って彼女は白く濁った瞳に微笑をたたえ、鼻の穴を少し膨らませた。
「ここで座ってて」僕はサックスケースを足元に置き、示された信徒席に座った。
 彼女はオルガンではなく、ピアノの方に向かって歩き、鍵盤蓋を開き椅子の高さを慎重に調節して位置を決めてからこちらに向かってにっこりと微笑んだ。
「音楽は捧げ物よ」
「うん。捧げ物だ。疑いようはない」僕はもう一度同じ言葉で彼女に答えた。

 
 
 C#  C#  D/C#  D  C#  
 
  これらの澄んだ音が順に教会の静謐な空間に響いた。
  僕の脳はすぐにその音を聴いてその曲の題名を呼び出す。

      バニータ・マーカスのために、、、
  
     
                 (了)
 

 

#創作大賞2024 #恋愛小説部門

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