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家父長制アンソロ「父親の死体を棄てにいく」感想

家父長制アンソロジー「父親の死体を棄てにいく」


〚 あらすじと感想 〛
家父長制に対するアンチテーゼとして、父親の死体を棄てにいく小説だけを集めた文芸アンソロジー。
あらすじは『おざぶとん』黒田八束さんの通販サイトより引用致しました。以下掲載順です。
※物語にふれているため、未読の方はネタバレにご注意ください。


① Sewing Pieces Together

(落山羊さん)
「次のお話を探そう」とあなたがノートをめくり、わたしは首を横に振る。「探すのはお話じゃなくて、夢だ」。語られゆくいくつもの断章について。

 夢と現実が曖昧な世界。心の深層を探る「あなた」と俯瞰している「私」。
 緩慢なのに気が焦ってくるような、衝撃的な描写もありつつ不穏な雰囲気が続いていて、もっと知りたくて読み進めるけれど、余計不安になってくる感じでした。文学的というのか詩的なのか、井戸川射子さんの『この世の喜びを』を思い出しました。それよりも悲愴感が強めで、読めば読むほど癖になってくる文体でした。読後の余韻に引きずられながら思ったのは、夢から現実(真相)へと近づいているというより、どちらも本当の「あなた」であり「私」で、一つなんだなと思いました。漠然とした感想で申し訳ない。

② 平成バベルの塔

(マルチョウさん)
時はバブル。空前絶後のタワマン建設のため、あやこは立ち退きを拒む「毒島倉庫」の説得に赴く。「毒島倉庫」の社長毒島鏡子は、呪う女として知られているが――。

 ホラーだけれどなんだか少し滑稽というかユーモアな一面を感じたのは、私の主観のせいでしょうか。呪いは言葉で簡単に成されてしまうし、土地や家は人の悪意を閉じ込めてしまう格好の呪縛の生産地だなと今回感じました。
 『守る』ことや『強気あれ』という言葉は、陽の意味に使われることが多いけれど、それが逆にこだわりとなって身動きができずにひとを縛る言葉にもなってしまう、という視点にもハッとしました。主人公と鏡子は、探り合い言葉の報復を交わしながら反発し合っているのに、どこか通じるものがあったような気がします。

③ 外の世界は雪

(黒田八束さん)
二〇一九年、コロンビア。とある法が共和国大統領によって承認されたその年、死期を悟った「わたし」は行方不明の妹に向けて手紙を書きはじめる。

 終末医療というには寂しい地、見放されたような場所。そこは静かで退廃的な世界、安息地といえるのだろうか。それでもどこかホッとできる場所に感じるのはなぜだろう。隔離されたシェルターのような、小さなコミニティはそうせざえる負えなかった者や自ら来た者、彼らの捨ててきた過去や自分など、いろいろと想像を掻き立てられる。
 二人の女性の邂逅、ミーナとフェルナンダのひと時の交流、妹への惜別。父を文字通り棄てたシーンは妹とミーナの見てる視線が違うことに、やるせない気持ちになった。ふと思ったのは、ひとの死に場所よりも自分の死に場所を探すほうが難しいんじゃないかと。強奪とも思えるラストの展開には、どこか美しさも感じました。

④ いまはリビングデッド

(梶つかささん)
「『リビングデッドとは、隷属する死肉である』」――研究者であるアルバが「作った」のは、特異な子どものリビングデッドだった。

 今でいうとAIシステムのような、進化の中ででてくる違和感や倫理観が試される。しかも本来なら遺棄されるべきものに再び生を与えて共に暮らしている。見た目や思考、話し方など全く別人なので、知らなければただ一個人の他者として認識されるはずだけれど、知っていてさらに意図を含んだ教育をしているとすれば、全く違う印象になる。その人にしか分からない捌け口のようで、また、アルバにとって必要な再生ともいえるのかもしれない。私的には後者が強く感じました。父親による抑圧されたアルバの環境に本当に息苦しくなった。

⑤ 歩けよ象ども

(オカワダアキナさん)
ある朝あたいが目を覚ましたら、三人のパパたちはプールの中で死んでいた。あたいは、パパたちの死体をどうにかしようと奮闘し、ついには育った島を旅立つ。

 始めはファンタジーだと思いましたが、読み進めるうちにすごくリアリティを感じました。物語は一人称で不思議な環境ではあるけれど、『あたい』の視点には悲壮感はなかった。ただ見たままを伝えてくれている。
 『あたい』がその島の世界から出たことで知ったこと、そして関わる人間たちに感じたこと、「何か頼まれごとをされないためにさっさと帰ったのか」という『あたい』の視点に心が凍てつく。そもそも、どちら側が外なのか内なのか……。本当は境界なんてのはないんじゃないか。『あたい』の父達が生きていたころと死んでしまったあとの前後の事実でしかない。後半は、なんとなく昭和時代の雰囲気があって、悪しき風習を思い出しました。

⑥ いずれフーリは地に満ちる

(ピクルズジンジャーさん)
戦魔女のアジナは、依頼を受けかつてゲリラに占拠されていた廃村を訪れる。そこでアジナは、フーリと呼ばれるひとりの魔神の少女に出会うが。

 魔法や魔神がいる世界。アジナはフーリとのやり取りで、眠っていた怒りを思い出す。父に売られた娘のときは怒りより悲しみが上まっていたのかもしれないけれど、時間がたち彼女自身に力が備わったときに、その悲しみよりも怒りの方が勝ってくる。
 彼女の師サバーハが明るくて格好良くて、こんな大人がいたからアジナは救われたし、現実世界にも、そばにそんな大人がいるかいないかで、後の人生が大きく変わる。そのサバーハのような手を差し伸べてくれる大人がリアルにもまだまだ必要。
 護衛のキルジも良いキャラしていて楽しかったです。

⑦ おお、同胞よ、父の言葉よ

(孤伏澤つたゐさん)
信用できないことばを喋るとされた父の死骸を棄てに、一族で一番の蛇狩りの男は飛び立つ。

 隼(ハヤブサ)視点のお話で、人間と変わらず動物世界にも雄と雌の強制された役割があったなぁと再認識。しかもその役割には、人も動物もそんなに違いはない。
 人間の都合で劣悪な環境に身を投じるしかなかった彼らは、生き残るために互いに役割りを担っていたけれど、結局元からそれは破綻していた。見て見ぬふり、無関心によって、死ぬしかなかったものたちがいたことを知って、隼は父の屍を棄てに行く名目で、だれもいない地へと飛び立つ。脱却はなにも女側(雌)からだけでない、という新たな気づきもあってすごくよかったです。
 言葉を伝えるということは、想いを伝えていくということ。梟さんとの会話も好きでした。

装画:タママ八月 さん/挿絵:せん さん

表紙がめちゃくちゃ格好いい!
一つ一つ挿絵も違っているので、拝読後に改めて見るとまた感慨深くなります。素敵な装丁。


〈 おわりに 〉 

 私はまだまだ頭が固い。見た目でひとを判断する先入観もある。無意識の偏見を間違いなくもっている。
 勉強する、理解するという言葉はなんだか上から目線な気もしていたし、どうしたら知ることができるんだろうと、考える。伝えることも大事だけれど、それと同じくらい聞くことも大事なんだと常々感じています。家父長制は、今でも存在している。なかったもの、ないものとして透明化させないことが、一つでも開放的な世界へと繋がっていけるんじゃないかと、世界はもっと生きやすくなるんじゃないかと思うのです。
 この本も透明化じゃない、言葉という武器を心に叩きつけてくる作品ばかりでした。
 綺麗な花を避けるために、荊だらけの道を選んで進む人。優しさと幸福は同居しない。それならいっそ、美しい花を踏み散らかしながら、傷だらけにならない安全な道を歩んでほしいと思ってしまう。そして荊だらけの道に柔らかな布を敷くような、素足しでも歩いていけるような強固で分厚い絨毯があったらどんなに救われるか。大手を振って歩けるくらいに、道も広がる。それが、このアンソロジーになっています。
 個性豊かな作家たちが送る「父親の死体を棄てにいく」家父長制アンソロジー、たくさんの人に手に取って読んでほしいです。
 拙い文章ですが、感謝を込めて感想を載せてみました。少しでも知ってもらえる一助になれたら幸いです。
 作家の皆様、ありがとうございました。
 これからも応援しています。

2024年7月3日読了、幻ノ月音

黒田八束さん(X @K_yatsuka )

 通販で購入したら、しおりが一緒にセットでついていました。とてもとても可愛いくて、何度も眺めてはニヤけてます。ありがとうございました。

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