「愛と死」武者小路実篤 感想
「愛と死」 武者小路実篤
※ あらすじを含んでいるのでネタバレを気にする方はご注意ください
ただただ想い合っている。こんなに気持ちいいものはない。ラストが悲恋であれ、これが人と人が真っ直ぐに想い合う美しい姿なんだなと思った。愛を形にするならばと問われれば、きっと私はこの小説が頭に思い浮かぶだろう。相思相愛とはこのことだ。
先輩作家であり友人野々村の妹「夏子」との初めての出会いは、何気ない一幕に感じられた。ある日村岡が、野々村の家へ行くと、庭で無邪気に遊んでいる者たちがいた。あまりにも騒がしかったのでその庭の方を見ると、女学生たちが逆立ちの競争をしていた。そのときは幼さが残っていて、夏子のことを明るくお転婆な女の子としてしか感じていなかった。だが数年後、成長した夏子に会ったときにハットするような大人の美しさを見出してしまいドキッとした。
ある日、野々村の誕生日をきっかけに、彼の家で若い文士たち数人が集っていた。人が多いところが苦手だった村岡だったが、なんとなく気が向いて参加することにした。自分の知っている知人とだけ話す村岡。そのうちに酒も入ってか、場が明るくなり余興が始まった。それぞれかくし芸などを披露するなか、村岡の順番がやって来る。彼は自分は何もできないから許してくれと断るが、盛り上がっていた彼らは許さず、やれやれとみんなが囃し立てる。冷や汗をかき顔を真っ赤にして、それでもできないと拒否し続けるが、彼らは弱れば弱るほど責めよせてくる。そんな風にどちらも引けずにいると、次第にしらけるような空気が流れ始めた。せっかくの誕生会の晴れの席が台無しになるかもしれないと思った。
そんなとき、「私がかわりをするから許して上げなさい」と言うものがいた。それが、夏子だった。「私じゃいけません?」と皆の前で、軽座師でもないのに得意なバク転や逆立ち歩きをして、みんなを驚かせた。当時女性があられもない姿を晒すのは淑やかさとはかけ離れていて、きっと笑われる対象になったことでしょう。それでも彼女の愛嬌のなせるわざなのか、みんなを笑わせ盛り上げ、大拍手喝采が送られた。険悪なムードだった場が何事もなかったかのように楽しげな空気に戻り、そのまま村岡のことは詰められることなく終わった。、夏子の助け舟に、彼は溜飲が下がる思いで泣きたいほど、嬉しく思った。
このような一連で、村岡と夏子は対象的な性格といえる。だからこそ、二人は惹かれ合っていった。
両想いになってからは、相思相愛を体現するような二人だった。彼らは接吻だけで、体の関係はまだない。でも言葉と眼差しで互いに愛しいというメッセージを交わし続けていた。
そんなとき、村岡は叔父の薦めで巴里(パリ)に来ないかと誘われた。友人の野々村は知見を広める機会になるから行くべきだと村岡に言う。愛しい夏子と片時も離れたくはなかったが、半年だけという留学期間を設けて行く決心をした。
遠距離になってからも往復書簡はこれまた楽しい便りばかり。若者二人の生き生きとした言葉の文面は微笑ましく、また未来の語らいに満ちており、こちらまでも幸せな気持ちになってくる。
8割はそんな愛のやり取りが続いていた。あらすじで既にわかっていたことだったとはいえ、夏子が死んだと電報を読んだときの村岡の悲壮感には胸が痛んで泣いてしまった。けれど、たとえ死に別れたとしても、その本物の言葉があったおかげで村岡は、彼女のいない未来でも生きようと踏ん張ってこれたのだろうと思う。素晴らしい作品でした。
久しぶりに没頭して読めた文学作品でした。これからも武者小路実篤作品を愛読したい。
今まで「友情」「武者小路実篤詩集」「馬鹿一」「真理先生」「愛と死」の順で読みました。そのうちまたご紹介させてください。
ご高覧ありがとうございました。
2024年3月18日㈪ 投稿 幻ノ月音
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