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【最終回】イギリスを縦断したら、自分が日本人かどうかわからなくなった

こんにちは。ゲンキです。

ついに最終回!!!!!!!

イギリス旅行記第24回は、日本帰国&旅の振り返り編をお届けします。


~旅の概要~

普段から鉄道に乗って旅をしている僕は、鉄道が生まれた国であるイギリスを巡ることにした。本土最北端の駅「サーソー(Thurso)」から本土最南端の駅「ペンザンス(Penzance)」を目指す、イギリス縦断の鉄道旅。ここまでたくさんの人や風景に出会ってきたが、旅はまだまだ終わらない。今日も何かが僕を待っている。

(2023年3月実施)


6:10 Cathay Pacific Airlines

日本を出発してから13日目、ついに母国の空へ戻ってきた。現地時間深夜2時に香港を離陸し、機内サービスの軽食を食べ、3時に寝て、その間に時差を1時間超えた。よって2時間しか寝てない。眠い。

曇り空に朝日が色を塗る中、飛行機は翼を微調整しながら高度を下げていく。約2週間ぶりに見た日本の地面だ。やっぱり田んぼがめちゃくちゃ多い。素直に「日本人米食べ過ぎだろ」と思った。

しかしイギリス・香港と様々な街や風景の中を巡ってきた僕は、「本当にここは日本なのか」と窓の外の風景をどうにも信用できずにいた。街から街へ、国から国へと渡ってきた旅の延長で、まだ次にも行くべき国があるような気がしてならない。もしくはこれ日本に似ている別の国だったりしないか。せっかく帰ってきたというのに、なんだろうこの落ち着かない気持ちは。

6時半、無事着陸

「成田空港に着陸いたしました」と日本語でアナウンスがかかる。
「それ実は嘘だったりしない?」と心の中で呟いた。嘘なわけあるかい、と今なら思えるが、当時の僕は本当に真剣に疑っていた。

飛行機を降りると、案内板や広告がどれも日本語で書かれている。
いやいや、日本語が公用語の別の国の可能性もある。だって英語もいっぱいあるし。日本語だけがここを日本だと証明するものとは限らない。


預けた荷物を回収

入国審査も終わり、自由に行動できるようになった。

今は春休みなので、今日はこのまま京都の実家に帰省したいと思う。ここが本当に日本だとしたらの話だけど。

いい加減キリがないので、ここが日本の千葉県だと仮定して移動を進める。

成田空港からは東京方面へのアクセス特急「成田エクスプレス」が出ているらしいから、それに乗ってまずは東京方面へ。ホームにやってきた白と赤の電車は、記憶の中の成田エクスプレスと同じ色をしている。でも「エクスプレス」は英語だから外国かもしれない(屁理屈)。

車窓を流れていく風景には、やはり日本語の看板が目立つ。土地に起伏があり、道路上に電線が張られている。向こうに仏閣が見えるが、あれが成田山新勝寺という有名なお寺だろうか。

Family Martというコンビニで朝食のおにぎりを買った。日本企業なのに店名は英語なんだな。もちもちした米にパリパリの海苔。なるほど、この食感は日本的かもしれない。でもツナマヨサンドはイギリスでも人気だったから、味の面では大して日本的って訳ではない。

僕の心は、「ここが日本である」とわからせてくれるような究極的に日本っぽいものを求めていた。


10:00 品川駅

ここが日本の首都・東京都。予想通りものすごく人が多い。
どうやら周りの人もみんな日本語を喋っているし、その会話内容もすれ違いざまに聞き取ることができる。ここは85%ぐらいの確率で日本のようだ。

ところで僕はもう2日風呂に入っていない。おとといロンドンを離陸し、飛行機で夜を越え、昨日は蒸し暑い香港を見て回り、また飛行機で夜を越えた。けっこう汗をかいて服もベタついてきたので、どこかで温泉にでも入りたい。

というわけで、京都へ向かう途中にある温泉地の熱海に寄っていくことにした。

春休みのせいか特急踊り子は満席で乗れず
普通列車のグリーン席で向かう


3月下旬、線路沿いでは桜が咲き始めていた。これが世界でも有名な「桜」か。木々が白い小さな花をたくさん咲かせる様子からは、とても華やかでお淑やかな印象を受ける。堂々と主張しすぎない感じとか、確かに日本っぽいかもなあ。


12:00 熱海駅

熱海に到着。

駅の近くに日帰りで入れる温泉があるようなので、早速行ってみたいと思う。

……行ってみたいと思ったのだが、まず大きい荷物を預けられる場所がどこにもなかった。正確に言うと、コインロッカーや荷物預かり所がことごとく全滅している。どうやら今日は首都圏の若者たちが一斉に熱海へ観光に来ているようで、どこへ行っても若者たちのグループがわんさか歩いていた。

自分と同年代の大学生らしき男女が化粧やおしゃれをして友達たちと楽しそうにはしゃぐ中、僕はドデカいリュックを体の前後に抱えてイギリスから帰ってきたばかりの風呂入ってない一人旅バックパッカー。自分流で良いじゃん!と思われるかもしれないが、僕だって「キラキラな青春」には人並みに憧れるのだ(性に合わないから無理だけど)。

駅舎だけでなく周辺の建物や地下街のコインロッカーも見て回ったものの、全てのコインロッカーが使用中になっていた。残念だが、もう温泉は諦めるしかなさそうだ。

お食事処 さくら

とりあえず昼食だけ食べていくことにした。熱海駅前の地下にある食堂に入店。

海鮮料理がけっこう安く、まぐろ丼がみそ汁や漬物付きで800円。そして僕は、意外な食材に「日本」を強く感じさせられることになる。

その食材とは、まぐろに乗っていたわさび

まぐろを醤油にひたし、わさびを付けて口に入れる。するとその瞬間、口に広がる辛みと鼻がツーンとする刺激がこれ以上ないほどに「あ、ここ日本だ」と感じさせた。前回海外から戻ってきた直後は唐揚げやみそ汁で日本を感じたのだが、今回はまさかのわさびだった。今まで感じたことのないわさびの魅力に高揚し、つい盛りすぎて涙が滲むほど辛くしてしまった。


熱海からは新幹線で帰る


15:40 京都駅

地元の京都府に到着。
一時はわさびのおかげでここが日本だという実感を取り戻したが、京都駅の多言語の喧騒の中に立つとまたよくわからなくなった。京都なんて一番日本っぽい場所なのに。

そこからさらに電車を乗り継いで、16時半頃に実家に帰宅。
いつも通り親が「おかえりー」と迎えてくれて、3ヶ月ぶりに僕を見た実家の犬たちが飛びついてきた。犬にベロベロ顔を舐められながらソファに腰掛け、僕がこの家で育ったことを思い出し、ようやくここが日本であることを確認できた。

これを以て、初めての海外一人旅「イギリス縦断&香港」は幕を下ろした。

お疲れ様でした




しかし、大変なのはその後だった。







第21回の記事で「風邪をひいた」と書いたが、帰国した次の日から高熱を出して3日ほど寝込んだ。しかも喉がやられ、全く声も出せなくなった。一応コロナの可能性もあったのでしばらく隔離されていたが、検査の結果は「酷い風邪」だった。まあ初めての海外一人旅から無事に帰ってこれた幸運を考えると、風邪はその代償だったような気がする。

あと寝込んでいる間に髭が伸び、鏡を見たときに意外とそれが似合っていることに気づいたので大学3年生からは「髭の人」として自分をキャラ付けしていくことに決めた。


健康面では、風邪以外に目立った悪影響はなかった。
一方、旅の前後で決定的に変化したのは精神面の方だ。

まず、自分が日本人だという自信を失ってしまった
10日間イギリスを旅している最中、当然会話は英語だけ。目や耳から入ってくる情報も英語。それに日本人とイギリス人は国民性もそこそこ似ているため、自分は実はイギリス人だったのではと割と本気で疑い出すほどにイギリスに染まった。その結果、自分の中に英語を主言語とする新たな人格(のようなもの)が形成されてしまった。

つまり、自分の中に「自分」を名乗る存在が二人いるような感覚である。二重人格とまではいかないが、「私はゲンキです」と「I am Genki」では、「私」と「 I 」の意味は同じでも話者が感覚的に一致しないのだ。この違和感は帰国から11ヶ月経った今でも続いている。何気なく英語を喋るたびに脳内が「お前は誰だ?」「You know, you are me.」「そのmeは俺ちゃうやろ」みたいなややこしいことになる。こんな状態では自分が日本人だと心の底から断言することはできない。血統が純日本人だとしても、英語の人格がそれに違和感をぶつけてくるのである。


しかし逆に言えば、自分は日本人だという固定観念が消えたということだ。たとえば海外の人と文化の違いで軽いトラブルになったとき、自分が日本人だと100%言い切れるなら「自分は日本人なんで……」と便利に責任転嫁することができる。しかし、もし言い切れるだけの根拠が無いとしたら、全て自分事として責任を持って答えないといけない。
でもそれは苦しいことじゃないし、むしろその方が誠実で楽だとさえ思う。正体不明の大きな属性を主語にして自分で考えるのをやめるより、「自分」を主語にした方が常に自分らしく、相手にも寄り添えるような気がするのだ。



それにイギリスでは、異国人の僕に対してもフレンドリーに接してくれる人たちとたくさん出会った。誰も僕がどこ出身かなんて気にしていなかったし、日本から来たと言うとそれはそれで楽しく話をしてくれた。
それと同じように、僕も国籍やら何やら関係なく「僕とあなた」として接したいと思った。世界中の国際関係がギスギスしまくっている今、世界平和はどんどん遠ざかっていくようだ。でも、僕はそれに旅と英語で抵抗していきたい。


最後に、最近見つけた良い話を一つ引用して紹介しよう。

僕も今回のイギリス旅に持って行った名門ガイドブック「地球の歩き方」。その編集者へのインタビューの中で、梅原トシカヅさんの以下のような言葉が印象的だった。

『地球の歩き方』の初代編集長がお酒を飲んだ席でよく最後に言ってたのが、「僕は『地球の歩き方』でいずれノーベル平和賞が獲れると思うんだよ」って言っていて。それがどういう意味かというと、旅をすることで訪れた国に対する思いやりができるようになるんですよね。

『地球の歩き方』でノーベル平和賞が獲れる。創刊からトップ・オブ・ガイドになるまで より

今回のイギリス旅では、この言葉の意味を身をもって体感した。政府同士が仲直りするとか、ましてや軍事力を増強するとか報復するとか以前に、ただの一般人の僕たちが外国に対して優しさを持つことが、地球全体の平和に繋がるのだと思う。
国と国の仲直りを待っていたら何も進まない。一人分の平和への願いは微力だが、確実に少しずつ伝わっていく。すぐに世界は変わらないが、いつか何かを変えるかもしれない。その鍵になるのが旅行・旅だと信じている。

この旅行記を第一回から全て読んでくれた人、部分的に読んでくれた人、最終回だけでも読んでくれた人、その中の誰かの心に、一つでも残るものを届けられたなら嬉しい。

それでは、これにて全24回、11ヶ月に渡った旅行記シリーズ「初めての海外一人旅でイギリスを縦断した」を終わりにしたいと思います。長い期間、最後までお付き合いいただきありがとうございました。またどこかで会いましょう。


おわり



















あとがき

やっと書き終わったーーーー!!!!!!!
長かった。本当に長かった。たった13日間の旅を文章化するのに11ヶ月もかかってしまいました。とりあえず最後まで書き切ることができてよかったです。

改めまして、ここまで読んでいただきありがとうございました。途中何週間か更新が止まったりして、楽しみにしてくれていた方にはご迷惑をおかけしました。それでもみなさんからいいねやコメントをもらって、「楽しみにしてくれている人がいる」という確証があったからこそやり遂げることができました。次のシリーズからは更新ペースをなるべく一定にできるよう気をつけます。

そう、次の旅行記シリーズが始まります。

今度の舞台は山陰&四国。2023年の夏休み、25日間かけてバックパッカーとしてあちこちを回ってきました。この旅もまた出会いや驚きに溢れ、今すぐにでも誰かに話したい思い出がたくさんあります。イギリス縦断に続いて山陰&四国一周した旅行記もぜひお楽しみに。
また次回作からは写真や絵、レイアウトなどのオリジナリティ・ビジュアル要素をより強化した作風に変化させていく予定なので、そちらもご期待ください。


最後にもう一つお知らせ。
この最終回公開と同時に「イギリス旅行記 全24本制作の一人反省会。」記事も公開しております。こちらは旅行記を書く中で得た発見や、制作の上で大変だったこと、上手くいかなかったこととその原因、これからの作風についてなど、「書く」視点で今回の旅行記全体を振り返るものになります。

そして、こちらの記事は250円の有料記事です。

「お前の旅行記、面白かったぜ……」
「もっと面白いの書け。期待してんぞ」
「ジュース2本分ぐらいは面白かった」
「お前の技術、金払ってでも盗んでやる……」

という方がいらっしゃいましたら、ぜひ買って読んでやってください。

いただいたお金は、2024年2月末から予定している中国一人旅の資金に充てさせていただきます。中国地方じゃなくて中華人民共和国の方です。これもいつか旅行記にしたいと思うので、楽しみにしていてください。


それでは読んでくれた皆さん、本当にありがとうございました!!!
また次の記事でお会いしましょう。

ゲンキ

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