たとえ敷かれたレールでも、乗れるだけ感謝すべきかもしれない

今日は内省の記事です。

僕は今まで、自分の人生の選択を自分の意思・責任では決定して来なかったように感じていました。
どういうことかというと、自分でこうしたいああしたいがあって人生の方針を決めたのではなく、社会のレールに合わせて進路を決定していたのです。

つまり、たまたま今の時代たまたま今の地域に生まれたから、とりあえず大学は出ておくことが暗に推奨されているとか、大企業・公務員を目指そうという安定思考がはびこっているとか、そういう価値観だけで自分の人生を決めてきました。
住んでいる地域の進学校がそこにあったからそこに通い、大してやりたいこともないのに大学へ行って(しかも院まで)モラトリアムな時間を過ごしてきたのです。

もちろん、大学院まで行かせてくれた親には大いに感謝しています。
その金銭的な援助は『親なんだからアタリマエ』ではないし『兄ちゃん姉ちゃんも行かせてもらったんだからアタリマエ』でもないよな、とずっと意識はしていました。

ただそれだけではないということに最近気付かされました。

『敷かれたレールに乗れる能力がある』のもアタリマエではありません。
少子化の影響で、大学全入時代と言われて久しいのは事実ですが、それじゃあ誰でもどこでも良い大学良い会社に入れるかというと全然そんなことはないのもまた事実です。
ここは、自分の中では感謝しようとも思ったことのない『アタリマエ』でした。

人間、アタリマエへの感謝を忘れてはいけませんよね。

これに気付かせてもらって、また一つ、自分自身のことをちょっぴり好きになれるような、自己受容が進み、癒しが進んだ気がしました。

さらにもう一段階、思考を深めてみようと思います。

頂いたサポートは、僕のプロテイン代となり、文字通り血となり肉となります。 そうやってエネルギーを充足させられれば、きっとよりよい連載が続けられる気がします。