りゅうの池
僕は歩くことが大好き。となりのトトロで有名な『さんぽ』を参照頂こう。
生まれた町の道という道、川の果て、山の頂上を知りたくて、地図を切り抜いてリングノートに貼り探索した。
こんなことを思い出したのは、敬愛する森見登美彦氏の著者『ペンギンハイウェイ』を久々に読み返したからだ。主人公の彼と同じく、小学生の頃はとにかく周りに小さな不思議や秘密があるとその奥に隠れた大発見を求めて無茶な探検に出かけるのだ。
僕の身の回りにもたくさんの謎があった。
山の上にある大きな鉄塔やそれに付く”白い板”
『テレビ塔』と呼ばれているその場所へ行くには急勾配の霊園を抜けなければいけない。
『水晶山』は大きな公園の端にある砂質の崖で、脆い石を少し削ると綺麗で大きい水晶が無尽蔵に出てきた。いつかそこで誰よりも大きくて整形な結晶を見つけてみんなを驚かしてやろうと思ったが叶えられていない。
『茂串城』はかつて僕の町を治めた殿様が構えた城で僕の家の裏に建っていたそうだ。礎石跡さえなく、本当にあったかさえよくわからない。これを発見したくて茂串山へ何度も足を踏み入れたが、山の入り口には『三熊野神社』という恐ろしい雰囲気の神社があり怖くて心が折れた。
ほかにも、
・ヘンテコな名前の川『おかゆ』について
・狼を閉じ込めていると伝えられた山を削って作った洞窟(後にこれは生姜保存庫で、子供がいたずらしないように農家が伝えてきた話ということがわかった。なまはげ的な面白さがある。マジで怖かった。)
・人気惣菜屋のタコ焼きの中身が絶対イカな件
などなど大小様々な謎を解明すべく町を歩いた。
大抵の道がどう繋がっているか、あの山の向こうはどこなのか、分かったけれども一つだけやり残した事があった。
『りゅうの池』
四万十川に沿って少し町を離れたところに小さな集落があり、その奥にとてつもなく広大な池があった。岸からだいぶ離れたところに大きな木がポツーンとあり、掛け軸によく書かれる龍にみえる。誰が呼んだかその池は『りゅうの池』と呼ばれ、その佇まいの神々しさは僕らの心に強く印象づけられた。
幼馴染と暇あれば『りゅうの池』へ赴き、この奥には何があるのか、どうやったら奥に行けるかを画策した。
別のことに気を取られ数ヶ月ほど間を置いて『りゅうの池』へ行ったとき、驚きの事態が起きていた。
池から水がなくなり、干からびている。
この時ばかりは胸がときめいた。
歩いて奥まで行こう!
池の主である龍の姿はなかった。なぜ水がなくなったのかさっぱり分からない。
時計を持っていないので時間が分からないが、たいぶ歩いた。池は終わりが見えず、ひょっとするとこれは川なのかも知れない。でも川の終点は海であってあの岸ではない。あれこれ考えているうちに随分な所まできてしまった。
周りの森は深く、まったくもって人気もない。鳥の大きな鳴き声がしたとたん、急に心細くなって引き返した。
その後台風が来たりして外へ出られず、やっと晴れた日にこの出来事を幼馴染に話すと「大発見やん今すぐ行こう!」と池へ向かった。
しかし、池には水が戻っており僕の言った事が虚言であるようになってしまった。
それ以来、『りゅうの池』には行ってないし、この話もしなくなり小学高学年になると興味の対象が変わり次第に忘れていった。
あれから19年ほど経つだろうか。このことを思い出し、あの池から水が消えたこと、奥には何があるのか無性に知りたくなった。
事実を知ると呆気ないものだ。
あの時には無く、今僕が手にしている便利ツール『Google map』
検索すれば、池が何なのか。奥には何があるのか。一瞬で分かってしまい、溜息をついた。
農業用貯水池で奥には何もない。
携帯電話の中継用基地がポツーンと佇んでいるようだ。
世の中便利になり過ぎるとひょっとすると面白さが半減してしまうような気がした。
言い伝えや伝奇、僕らの少し上の先輩小学生が発見し、語り継がれてきた町の小さな不思議は今どんな形に変わっているのだろう。そんな不思議あるのだろうか。
身の回りに少し不思議なことがあった方が楽しいよなと思う僕は精神的には小学生の頃から変わってないのかも知れない。
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追記
僕の祖父 佐々木泰清は農業をしながらも民俗学者として私の故郷の神話や民話、民謡や神楽の採集、研究に生涯を捧げ、今は絶版となっている『志和二千年』にまとめあげた。
僕が小さい頃に祖父は亡くなったので、こういった話は一切していないのだが、もし生きてたらたくさんのことを聞きたかった。
今となっては形のみになっている神事『はなとり』(一般的には棒打ちという)や故郷のかつての繁栄(と衰退)の全体像や経緯を追い続けた祖父の周りにはもっとたくさんの不思議があったんだろうな。
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