#88,『苦労は美德ではない』
【はじめに】
こんばんは。Genです。
本日のテーマは、
『苦労は美德ではない』
です!
日本の労働でも言われることですが、『苦労が美德である』
本当にそうでしょうか?
上司に問題を抱え、残業をし、給料は特に上がらない。
これは『苦労』なのだろうか。
僕は違うと思うし、それを『美德』として、幸福になる人は少ないと思う。
そこで本日は『苦労は美德ではない』というテーマで綴ります。
【なぜ『苦労が美德』とされるのか】
“苦労が美德”って誰が決めたんでしょうか。
間違いなく『成功者』ではないと思います。
僕はこれまで『苦労は美德』という脳でした。
つまり、信じていた僕も『成功者』ではありません。
その苦労は自己中心的な苦労であり、他人から認められるようなものではなかったのです。しかし『苦労は美德』脳の人はこう考えます。
「自分は人より頑張っているのだから、この頑張りを認めてもらいたい」
僕もこれでした。本当に情けない限りです。
結果を出していない自分が恥ずかしくて、“過程”を認めてもらって、心の拠り所を作ってしまう。女々しい脳ですね。
世の中には『成功者』より『それ以外』の方が多いことは分かるでしょう。
だから『苦労は美德』の方がマジョリティーになり、『結果で証明』がマイノリティーになると思います。
【その時代、終わってるよ】
僕は“過程”に執着することをやめました。
“過程”でお金は稼げません。
むしろ“信用”を失う可能性もあります。
「結果を出していない自己承認欲が強いやつ」
そりゃ信用失いますよね。
時代はシフトしています
周りに合わせて動いている人も、『苦労は美德』脳の人も、焦ってください
無駄に苦労するような仕事に人は必要なくなります。
“周りを落とすな、自分が上がれ”
という時代になっています。
自分がどこまでレベルUPできるか、それ次第なんです。
その辺の人と競うのではなく、世界を見て、競ってください。
『苦労は美德』ただの言い訳にしかなりません。
【おわりに】
本日は『苦労は美德ではない』というテーマでした!
簡単にまとめます。
・『苦労は美德』脳の人は“失敗脳”です
・“過程”よりも“結果”で証明すべき
・“周りを落とすな、自分が上がれ”
以上です。
「個人の時代」「コミュニティーの時代」になっていることは以前から書いています。
強い個人の集まりが「コミュニティー」なのです。
傷の舐め合い集団は「これからのコミュニティー」ではありません。
周りを落としても世間から見て「無価値な人」であることに変わりはないのです。
まずは“自分が上がる努力から”という時代です。
「昔」ではなく「現代」を見ましょう。
* * *
最後になりますが、本日も記事をご覧いただき、誠にありがとうございます。
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それでは、また次の記事でお会いしましょう。
あでゅー(。-_-。)
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