東野圭吾「パラドックス13」を読んで。
面倒なので、ネタバレで書きます。
まずね、この本は、東日本大震災他、水害や地震、台風などの被害にあった方は、読むとアレコレを思い出す可能性が高いことをお伝えしておきます。
簡単に言うと、サバイバル小説ですね。
なんだかようわかりませんが、ブラックホール発生的、時間的、時空的問題が発生し、1月13日の13時13分13秒に死んじゃった人が、平行世界というか、別の世界線というか、とにかく、とある13人以外は誰もいない世界に放り込まれるわけです。
銀座付近で気づいた主人公達は、そこからポツポツと数人ずつ、色んな人と出会っていく中で、とりあえず生き延びる為に、1番安全っぽい「総理官邸」を目指すわけですが、大きな地震が頻発し、建物は崩れ、火災が起き、道路は瓦礫と陥没で塞がれていく。
最初の1日、2日は、コンビニや料理屋なんかに残されている食べ物を食べて過ごすわけですが、それが腐り、電気が止まって冷蔵庫の中のものもダメになってからは、ペットボトルの水と缶詰やレトルト食品を探しながらの道中になり。
で、その中にキャリア組で警視の立場にいる警察官がいるわけですが、彼は素晴らしいリーダーシップを取りつつ、「合理的に最大多数を活かす方法」を模索するわけですが、
合理的なやり方だけで人は納得するのか?
人はついていくのか?
人は生きがいを感じられるのか?
人は合理的であるからといって情を捨てられるのか?
なんていうことについて考えさせられたりもします。
また、一行の中の1人の老人が、
「私は今、どうにかこうにかここまで来た。年寄りで体力がない上に怪我をしている。それなのに来られた。理由はほかでもない。皆さんのおかげだ。身体を支えてもらったり、手を貸してもらったりしなければ、到底無理だった。それで思うんだよ。真の老人福祉とは、手すりをつけたりバリアフリーにすることではないとね。
足腰の弱った老人に必要なのは、そんなものではなく、手を貸してくれる人なんだよ。それが家族であれば理想的だ。近所の人でもいい。ところが国は、家族がばらばらに生きていかざるをえないような国づくりをしてしまった。他人と関わりを持たないほうが得をする世の中にしてしまった。
その結果、1人で生きていかねばならない老人が増えたわけだが、その事態を国は文明の利器で対応しようとした。で、老人はそれらに頼り、1人でも生きていけると錯覚する。私も錯覚していた1人だ。」
って語る話なんかも重いです。
ただね、ネタバレでラストのくだりを言いますが、結果、また、元の世界に戻るわけです。
それぞれが、それぞれの記憶を全くなくしたまま。元のままに。
私ね、そうういう「全部がリセットされる」というタイプのお話が好きではないんですね。
「リセット」ってある?人生にリセットって存在する?
しないと思うんですね。
苦しみがあろうが、悲しみがあろうが、痛みがあろうが、絶望があろうが何をしようが、「全てがリセットされる」ということはない。
常に、ありとあらゆることを背負い、その延長線上にしか人は生きられないし、そうして行くしかないわけで、「で、結局元に戻りました!チャンチャン。」っていう終わり方をするお話は、どうにも腑に落ちないわけで。
というわけで、ラストには納得出来ない感じがありましたが、これだけ災害が多い日本において、サバイバルの方法云々や、「平和な時のルール・道徳・モラル・善悪なんかは、危機的状況においても機能するものではない」っていうようなことを考える意味でも、大変、面白いものだと思いますので、興味のある方は是非。
「リーダーシップ」というものの、良い見本でもあると思います。
災害のシーンが本当にリアルなので、そういうのを経験した方は、ホント気をつけてくださいね。
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