白夜と極夜

毎日楽しい日々を送っていますが、やはり奥底にある孤独やいらいらが消えることはありません…

白夜と極夜

毎日楽しい日々を送っていますが、やはり奥底にある孤独やいらいらが消えることはありません。同じような感情を持つ方々と交流できればと思います。

最近の記事

#27

スマホの中にあるフォルダを探って、幸せをまさぐる。 何回も指を上に動かさないと、幸せは見つからない。 直近の1か月は、請求書ばかりがこちらに現実を見ろと言わんばかりに鎮座している。

    • #26

      秋は人気だ。 日本の四季総選挙でもしたら、1位か少なくとも2位には入ってくるのではないだろうか。 秋が好きな人に、「どうして秋がそんなに好きなんですか。」と尋ねると、「春より花粉がひどくない、夏より熱くない、冬より寒くない」とないないという理由で返ってきた。 こんなに消極的な理由で1位になるようなチャンピオンは、表彰台に立った時に心の底から喜ぶことができるのだろうか。 ふと該当者なしという選択肢の奪われたコンテストは、どのようなシステムなのだろうと思った。

      • #25

        「本日列車がお客様と接触したため、列車が予定時刻より大幅な遅れをもって運行しています。」 このアナウンスに反射的に、目的地に時間通りに間に合うのか。何やってくれているんだ。いらいら。なんて感情が無意識のうちに出てきてしまう。 本来というか人間らしい感情は接触した人は無事だろうか、乗客は?運転手さんは?であろう。

        • #24

          毎朝しんどそうな顔をしながら、幸せの類を一ミリも発していない大人にはなりたくないと思う。 典型的な大人のイメージは、前日の疲れを顔に残し、満員電車の吊革にすがるようにしながら揺られ、せっかくのいいスーツもくたびれているように見える。このような人だ。 ただ、反対に毎日幸せそうな顔をしながら、幸せの類を体中から発している大人にもなりたくない。 そのような人たちは、大概が今日も一日頑張ろうという雰囲気を発し、ぴんと張ったスーツに身を包み、歯はホワイトニングで真っ白。常にSNS

          #23

          くまのプーさんだったか、スヌーピーだったかは忘れてしまったが、初めて見たときに衝撃を受け、今でも心に強烈に残っているフレーズがある。 "To the uneducated, an A is just three sticks." 意味としては、「Aが何かを知らない人からしたら、ただの3本の線」ということだ。 なぜこの言葉が自分に刺さったのかは釈然としないが、この言葉を見たときの自分はおそらく自分に自信を持ちかったのだろうし、好奇心が薄くなり始めてしまっていたのだろうと思

          #22

          #10の話に少し反するかもしれないが、大学生から見た大人、職業の話をしようと思う。 保育士さん、教師などの子供を扱う仕事に従事する人たちをとてもすごいと思う。なぜなら、自分は小さい子供を見ても何も思わないから。申し訳ないが、かわいいと思わないし、別に嫌いなわけでもない。 看護師さんや医者、介護士さんなどもすごいと思う。弱っている人たちを助けることはいいことだし、僕も好きだが、職業にしてまでにしたいと思わないし、血などを見てまで助けたいとは思わない。正直なところ。 道の工

          #21

          最近の世の中の流行は、「効率」だったり「合理的」だったりすると思う。 僕がまだ大学生で甘ったれているだけなのかもしれないが、そんな日常から効率的にだとか、これは合理的じゃないからやめとこうという軸を持った大人はかっこよくない、寂しい大人だと思う。 仕事中はそういうことを考えて、プライベートでは意味のなさそうなものに熱中したり、意味のなさそうなものをあえて選び進めていくような過激派の大人のほうがはるかに魅力的で理想像だ。 とは言いつつも、今日もベッドと冷蔵庫の往復の生活をし

          #20

          怒りと悲しみと哀れみの中間のような感情を感じたことがある人はどのくらいいるのだろう。 僕のこれまでの生活では、この感情が頻繁に登場する。 その時の心情はとても落ち着いている。 またこの感情になるとき、いつも初めて味わった情景を思い出す。 久々に会った初恋のピュアだった子が、たばこを吸って眉が細くなっていた。

          #19

          「練習でできないことは試合でもできない」と指導者などはよく言う。 この言葉は、練習をまじめにいまいち頑張ることができない人たちに向けて言う言葉であると思う。 練習を頑張っている人たちに向けていったところで、なんの効果もないと思う。 実際に、練習で今までできなかったことが試合でできちゃったというような経験は誰にでもあるだろうし、そんな指導をしている人たちもわかっているはずだ。

          #18

          音楽を聴くことが好き。  音楽に救われることもよくある。 しかし、よく歌詞に使われる「どんなに悲しくても空は青い。」だとか反対に「こんなに悲しいのに空は青い。」だとか。 このような表現に毎回引っかかっている。 別に空が青いからって、心が救われるわけでもなければ、いらだちを覚えるわけでもない。 桜はきれいだとか、海は波打っているだとかも同様だ。

          #17

          久しぶりに映画を見た。 なぜここ一年ほど映画を見ていなかったのか、自分の中でも判然としていなかった。が、久しぶりに見てみたことで腑に落ちたかもしれないなと思った。 映画を家で見ることができるようになってから、映画を現実世界と区別してみることが難しくなった。映画が終わってから、いや映画の途中から、現実世界の小さな問題(洗濯物をしなきゃとか部屋の隅の汚れが気になったり)と常に直面しておかなければならないのだ。 僕だって、恋人が常にいて、かつ浮気した、していないのいざこざに巻き

          #16

          昨今の世の中は、SNSが盛り上がっていることによるのかもしれないが、犬や猫、子供などをかわいがらなければいけない風潮があるように感じる。 正直、犬も猫も子供も見たところで何も感じない。別に嫌いなわけではないし、怖いわけでもない。ただ、実際に見たところで何も感じないし、触れ合いたいとも思わない。極力距離を保っていたいと感じる。 犬猫子供好きの過激派には、そんな自分を人間じゃないという風に定義してくる人たちもいるくらいだ。

          #15

          僕は、インタビュー記事を読むのが好きだ。 その人の音場に救われることがある。でも、インタビュー1つで好きじゃなくなるということも起こりうるが。 ある、バンドマンがネット限定公開インタビュー記事でモラリストの大人から見たら馬鹿にされるような、モラトリアムの若い層から見たら力になるようなことを話していた。 「バンド人生は鉛筆と同じで、尖っていなければ人々の心に残ることは残せない。丸くなったら薄い線しか書けないでしょ?」 僕は、ずいぶん洒落たことを言うなーなんて思いながら読ん

          #14

          僕は思い付きで、旅をするのが好き。 まったく情報も何もない小さな島を楽しみたい。 おそらく都会の喧騒に無意識的に傷つけられてるのだろう。 暗い夜の海はなぜかいい。 暗い海に移った、月明かりがゆらゆら揺れている光景は幻想的だ。 島では、遠くを走る車のブレーキランプが見えやすい。都会では、周りが明るいせいで赤いブレーキランプの存在感は弱い。 島に一人でいるときは輝いて見えることがある。僕もそのうちの一人だといい。でも、都会の喧騒の中では、埋もれてしまう。

          #13

          僕の性格はゆったりしているほうだと思う。 せっかちの人を見たり、そういう人と一緒にいるとなにもそこまで急ぐことはないのにと毎度思ってしまう。長いこと一緒にいると、いらいらすることもあるくらいだ。 それは旅行に出かけたときに顕著に出る。 僕は予定を立てず、気になった通りやお店や風景を気ままに楽しみたいと思う。でも、大体の友人はお店もめぐるスポットも大体の時間も決めてしまう。それもあって、旅行に行っても大体は友人とはぐれる。 でも、案外はぐれてからが僕にとって その旅行の一

          #12

          家の近所にある豪邸のガレージ。 猫よけのために棘のついた黒いシートが敷かれている。 ある日、家の近所を歩いていると、そのガレージの中に二匹の猫が座って外を見ていた。外には、一匹の猫がどのようにして入ったのかとでも訪ねたそうな顔をして、ガレージの中の猫たちを見つめていた。 それを見て猫よけをうまくすり抜ける猫の賢さを羨んだ。 と同時に、その術は人間と同じでエリートの猫のみが発見するんだろうかと一見自由に見える猫にもある現実の厳しさに悲しくなった。