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149_GALAXIE 500「On Fire」

外は雨が降り続いている。台風が近づいているらしい。こんな日は何もしようがなくて、家にいても逆に落ち着いた気分になる。どうせ、外に行くにも、何をしても雨だから。別に何も気兼ねしないように、気が楽になる。今日が土曜日でよかった。こんな日に大学に行こうなんてとても思えないし、そもそも心療内科にもここ最近はずっと行ってないし。幸いにしてそっちのスイッチは入らない。

僕は洗濯物を放り込んで、ドラム型洗濯機の方のスイッチを押す。しばらく洗濯機の中で踊るように洗われている洗濯物の様子をぼーっとしながら眺めている。不思議な舞を踊っているかのようだ。

世界の全てが、この長い長い雨によって、このドラム型洗濯機の中のように、思いっきり撹拌されてしまえばいいのにな。みんなが洗濯機の中でこの不思議な舞を踊っていればいい。僕はそんな取り止めのない考えにとらわれてた。こんな日は、どうしてもあの夜のことを考えてしまう。あの夜もこんな風に雨が降っていた。僕がどうしても死にきれなかった、あの透明な夜のこと。

僕はテーブルの上に座って、白紙の紙を取り出すと、その紙をしばらくじっと眺めた。ただ、ずっとあの夜のことを想う。そうして、自分の中から言葉が出てくるのを待っているのだ。出なかったら出なくていい。まるで雨の降りしきる森の中で、体を潜める小動物たちがふと何かの拍子で顔を出すのを待っているのと同じだった。捕まえられるか捕まえられないか、わからない。僕の言葉はそんなようなものだ。

すっと、僕のペンが走り出した。書き殴るようにして、言葉が出てくる。冷たい、とか、寒い、とかつとめて感覚的な言葉。元々の体温の低い人間で、雪国の出身だ。そういった生の感覚が人間としての僕の下地にある気がする。

どうしても、死にきれなかったあの夜に僕はずっととらわれ続けている。「こんな奴友達じゃない」クラスメイトのついた嘘に、僕はえらく傷ついて、高1の時に衝動的に死にたくなった夜のこと。

ナイーブな時期なのかもしれなかったけど、それまで自分は割と自分でも明るい方だと思っていた。スポーツや学級委員もしていたし、先生とか友達とかともうまくやれる方だと思っていた。今まで生きてきて、死ぬことなんて一度も考えたこともなかった。死にたいという人の気持ちもわからなかった。

でも、その友達にはもう学校で会いたくないという気持ちになって、その夜自分の部屋で生まれてはじめて、「じゃあ、もう死ぬか」という気分になった。(希死念慮という言葉を、小説でちょうどその歳くらいに知ったのだ)

どうしても強烈に死にたくなる絶望的な夜というものを味わった。ここからいなくなりたい。この強い自己意識をシャットダウンして、すっとモニター画面が暗くなるように消えていって欲しい。ずっと眠れなくて、ただただ死ぬことばかりを考えた夜。

だからといって、特に何かアクションを起こすわけでもない。どうやって死ぬのかなんてことはよくわからない。痛いのは勘弁だ。高いところも足がすくむ。練炭だとかを準備するお金もないし、やり方もよくわからないし、手間もそんなかけたくない。(本当に死ぬ気なんてあるのかと思うのだが、高校生くらいの歳なんてそんなものだ)

それから、結局、僕は死んでいない。確かに絶望的な夜を過ごて睡眠不足だったが、不思議と次の日もいつも通り飼い猫の朝ごはんを用意して、親の前で普通に取り繕って学校に行ったし、その友達にも挨拶して雑談した。昨日のことなど何もなかったように。

確かに、あの夜に、その時に確かに僕の人生は終わるはずだったのだ。だからどちらかと言えば、その時、生きているのはあの夜の余りみたいなものだった。ただのアディショナルタイムでしかない、それなのに結局のところ、今の今までその余りの人生とやら僕はずっとずっと生きながらえている。結局、あの夜は僕にとってなんだったのか。

言葉が出てくる。あの夜の時の、自分を表したとりとめのない言葉。

学校、友達、雨の中で行き交う傘、窓の雪、登校中にじゃれあう友達、図書館での声を潜めた会話、猫の死骸、めんどくさい自主練、めんどくさい先輩、盗まれたチャリ、括弧つきの感情、心配そうな親の顔、塾のプリント、プールの水、後輩からもらった手紙、夜、雨の夜、そう、あの夜。

死ぬとか死なないとかも関係もない、これまでの自分の19年間の生を表してきたただの言葉の羅列、これっぽちも価値のない言葉。ただ、白紙の紙の上に、ずっとずっと書き連ねていく。あの夜に自分の内側で蠢いていたあの得体に知れない暗い何かを思い出して、言葉にして吐き出していく。

何か意味のあることなのか、そうじゃないのかもわからない。ただ、そうせざるを得ない時がある。あの夜のことを思うと、どうしても、いられないから、こうやって言葉を出す。あの夜に自分の何かが変わったのか、どうかわからない。ただ猛烈に死にたくなっただけ、ただそれまでの人生がどうでもよくなっただけ、生まれ変わったとかじゃない。

でも、あの夜のことをずっとずっと想う。ある意味、それは愛おしくもあるのかも知れない。ただただ死にたくなって、でも死に損ねて、何も変わらなくて、その後も自分の人生も見た目の上では何も変わらない。誰も僕があの夜死にたかったことなんて知らない。親も、友達も、先生も。僕だけが知っている。

あの夜のことが忘れられなくて、でも、あの夜のことがあるから、今、こうやって生きているのかもしれない。あの夜があったことは僕の中で変わらない、ただ、その解釈は僕のこの手に委ねられている。

だから、僕はあの夜を想って、ただただ言葉を書き連ねる。


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