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185_NABOWA「4」

何も感じない。何も得られない。何も話すこともない。何も、何も、何も。

朝起きた。夏から秋にかけていつも、こういった季節の変わり目には、こんな気分になる。ひどく感傷的な気分が続いたり、時たま興奮して眠れない日が続いたり、それが終わった後、ひたすら無感動で無感覚な日々が続く。

無気力そうな私の顔を見て、家族は別に私を咎めようとすることもない。私がこういう気分でいることも、もう家族には十分わかっているから。私もただただ、こんな不安定な気持ちは誰にぶつけようとは思わず、自分の胸の中で閉じ込め続ける。

なんなんだろう、いつまで続くのだろう、この気持ちの上がり下がりは。いい加減、自分で自分の気持ちにおさまりをつけたいとずっと思っていた。なぜいつも言うことを聞かないのか。自分で自分をコントロールできないということが、私にとってストレスだった。

子どもの頃から、そうだったらしい。それは自分じゃ全然わからなくて、自分がひどい気分屋なのかもしれない、という自覚をしたのが高校生の頃だ。付き合った彼氏から「愛美はなぜ、さっきまで笑っていたのに、急に怒り出すのか。よくわからない」と言われた。

それまで自分が気分がコロコロ変わっているということさえも、言われるまでまったく気づかなかったし、それがあまり良くないことなんだということもそこまで深く鑑みたことはなかった。なにしろ本人が何を考えているのか自覚がないのだから仕方ないことだし。

それから私は自分で自分の気持ちを観察しようとする術を探した。なぜ自分がそう感じるのか、自分の今の気持ちを見つめようとすることだ。日記を書いてみたり、好き勝手にネット上に思ったことを書き連ねたり、哲学の難しい本を読んだり、ヨガをはじめたり色々試してみたりした。おしゃれや韓流グループだとかの芸能人のゴシップに熱を上げている同世代を尻目に、私の関心は私自身だった。私がなぜ私なのか、ということが一番の関心だった。一番知りたいのは自分自身。

誰にも興味はないし、他の誰でもない自分を知れれば私はそれで満足なのに。友達は彼氏の気持ちがわからないと嘆いていた(事実、私の元カレからも君の気持ちがわからないと言われていたが)彼氏の前に自分自身の気持ちをまずわかろうとした方がいいのじゃないかしら。私は私の気持ちが知りたいから、今日も自分が今どう感じているかをなるべく言葉にしてみることにした。「言語化」というものらしい。

それは小菅さんから教えてもらったことだ。小菅さんは独特の空気感をまとった人だった。家の近くで小さなマッサージと整骨院を営んでいる。世界中をバックパックひとつで旅して、生まれ育ったこの町に帰ってきた。仕事をしながら、空いた時間で趣味でカウンセリングの真似事のようなことをしている。

私は昔から小菅さんのことを見知っていたが、町内の清掃活動で花壇の植え替えをしている時に少し話したことをきっかけに親しくなって、なんとなくこの人に話を聞いてもらいたいと思うようになった。改めて考えてみると、面と向かって誰かに自分が自分であることについて、話を聞いてもらうのというのははじめてのことだった。友達にも恋人に親にもこんなこと話す機会がない。私がどうして私かだなんて。

「なんか、心が落ち着かなかったり、逆に何もする気が起きなかったり、自分でも何をどうしていいかわからないんです」
「うーんと、そうだね。じゃあ、愛美さんは何をしている時が一番好き?一番落ち着く時とかでいいよ」
「そうですね、寝ている時ですかね」
「寝ている時は何考えてる?」
「寝てるんだから、何考えているかわからないですよ。夢は見ているかもしれないけど。私、夢とか全然覚えてられないんです」
「そう、何考えているかわからないから、たぶん心はその時、空っぽになっているということかもしれないんだ。空っぽだから、夢で満たそうとしているかもしれない」
「空っぽだから、夢で満たしている?」
「好きなことをしている時と、落ち着いてぼーっとしている時、心が空っぽになるんだよ。俺も旅をしている時とかそうだった。心が空っぽになって、その後に何かがその空っぽの中に満たされていくような感覚があるんだ。その満たされていくものがなんなのか、ずっと探し回っていたんだけど」
「それは見つかったんですか?」
「いや、とりあえず色々見て回ってきたんだけど、別に日本じゃない場所でしか見つから無いわけじゃないんじゃないかと思って帰ってきたんだよね。とりあえずこの場所でそれを探してみようと思ったわけ」
「空っぽになった後に満たされるものを?」
「そう。みんなそういうものを持っていると思うんだけどね。俺の友達もバンドしているんだけど、楽器を演奏している時なんて特にそうだって言ってた。自由に心を空っぽにして、なんとなくギターをいじっていると、不思議とメロディが下りてくるんだって言ってた。そいつは多分自分の中の何かをメロディにしたかったんだと思う」
「ふんふん」
「だから、自分の気持ち、自分がどうしたいかを知るためには、空っぽにした時に出てくる言葉を捕まえてみればいいんじゃないかと思うんだよ、これは俺のやり方。言語化っていうのかな。それが愛美さんに合うかどうかはわからないけど」

小菅さんが出してくれたチャイを飲みながら、彼独特のまったりした空気感に私も包まれている。うん、言語化、難しそうだけど、要はなんでも言葉にしてみようってことでしょ。なるべく心が空っぽの時を探すとなると、結局は寝て起きた朝が一番いいということになる。

それから私は朝起きた瞬間、なるべく心が空っぽな時間に、自分の中で自分を捕まえてみることにした。それは透明な動物の尻尾を捕まえるような作業だった。現れるのか現れるかわからない「それ」を、なるべく心を空っぽにしてずっと注意深く見つめている。

毎朝、ベランダに出てそれを試していると、だんだんと自分の中でなんとなくだけど見つけられるような気がしてきた。自分の気持ち、自分の感情なんとなく足跡があるんだ。それは昨日友達と食べたランチの味だったり、偶然開いた動画から流れてきたメロディだったり、ゼミの教授から言われたレポートの指摘事項だったり。何かのきっかけとともにくっつている感情の断片というか残像みたいなものが、空っぽの私の心の中に足跡として残っていて、それが気持ちいいことなのか不快なことなのか自分が無意識に判断していることがわかる。

なるほどお、こうやって私の気持ちって形作られているのか。それは私の中でとんでもない発見だった。私の気持ちや感情の生成される過程がなんとなく見えるようになっている気がする。私はそれを好き勝手にノートに書き留めた。それに書き込める内容は段々と増えてきた。誰にも見せられない私だけのノート、私の心の中で育っていく私の記録。私は私のことを知るのが楽しみでしょうがなくなった。



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