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134_Bob Marley & the Wailers「Exodus」

(前回からの続き)

先生は、ゆっくりとかざした手を僕の頭の上から離した。先生が目をゆっくり開ける。10分ほど経っていないのだが、これで今日の先生の治療を終わりだ。
「はい、じゃあ、今日の分の治療は終わり」
「ありがとうございました」
「少しは、表情も変わってきたわね。気分もなんかウキウキしてきたでしょ」
「まあ、少しは」
「パワー入れれば、もっと変わるわよ。なにしろこの力は誰かにその力を与えれば、さらに強くなるの。あなたが誰かを癒すことによって、あなたが癒されるの、言っている意味わかる?」
「はい、なんとなく」
「それは、いわゆる愛と一緒なの。愛することと変わらない」
「愛」

僕はキョトンとした表情で先生を見つめる。おそらく先生は独身だろうから、(結婚指輪もしていないし)男女の愛という話に及ぶような感じはしない。

「あなたは高校生だから、まだピンとこないかもしれないから、アレだけど。彼女がいたらごめんね。まああなたお母さん、いるわよね。お母さんがあなたのことを無条件に愛してくれる。たとえ、あなたがどんな人間であっても、成績がよくても悪くても、ご飯をいっぱい食べても、全然食べなくても、関係なく。あなたのことを愛してくれるでしょ。だからお母さん、それで幸せなの。パワーも同じなの。」
「はあ」
「じゃあ、考えておいてね。色々と」
「僕は、もうパワーをもらうつもりでいます。自分で決めました」

「それはいいことよ、あなたくらいの年齢で自分で自分の道を決めることは。でもね、あなたは高校生で未成年で、いろいろと他のことも考えなければいけないの。決してあなた一人の問題じゃないの。これはね、あなたの家族全てに関わるものなの、この力はね、そういうもの。あなたはまず、それを理解することね」

先生はあくまで諭すような口調で話すが、学校の先生のような感じはせず、どちらかというと近所のおばちゃんのような言いぶりに近いものだった、事実、先生は見た目からしても、細身の妙齢の女性、いわゆるそこらへんのおばちゃんに変わりない。

だが先生の言うこと全てが、僕の心を支配する。今の僕の心は先生の言葉で成り立っている部分が大きい。この力が必要なんだ、僕はこの力を手に入れるべきなんだと、常日頃、自分で自分に言って聞かせているようなものである。そのためには、僕の親を、特に母を説得する必要がある。なにしろ、この力を得るためには、少なくない金がかかるのだ。このままではいけない。

高校にあがってすぐ、2ヶ月くらい経った段階で、僕はもう学校に行かないことに決めた。いじめられて嫌だとか、学校に行きたくない、とかそういうものではなくて、「学校に行かない」ということを自分の意思で決めたのだ、一人で。

そもそも学校に行く意味が感じられない。僕は日本で生まれたらしいが物心はなかった。そのあと、外交官の父の仕事の都合で、中学校の途中まで外国で過ごして日本に帰ってきた。外国に比べて、日本の学校は違和感しかなかった。学校は画一的でなんでも大人の言うことを聞く同じ人間を同じやり方で作る工場でしないからだった。

僕は日本の学校にいる他のクラスメイトと全く同じ人間ではないし、僕自身の意思がある。自己決定できることが人間の幸福度に直結するという内容の英語のスピーチをYoutubeで見て、なるほどなと思った。僕は僕の意思で学校で教育を受けるつもりはない。何も自分で考えて決めずに、ずっと受け身のままで流されているクラスメイトより、僕は万倍もマシな選択をしたと思っている。

当然、親は困惑した。特に母親に関しては。母親は子供時代は裕福な祖父母の庇護の元で過ごし、有名な都内の私立の女子大を出て、母の年代では珍しく留学の経験もある。子供も自分から見ても、ファッションのセンスというのもいい。保護犬のためのN P Oの活動も行っていて社会奉仕への関心も高い。

常に聡明で、なんでも話し合って相手の言うことを理解し、解決できるように努める。素敵な女性、素晴らしい母親、っていうのがあるのであれば、うちの母親のことを思い浮かべる。だが、素晴らしい母親という存在が、100%子どものためになっているかはこの際別問題なのだと思う。父親は外交官でそもそも仕事が忙しくて、家に帰ってくる時間も遅いしで、最近あまり話していない。僕に対して関心がないのだろう、僕も同じく父に関心がない。

母親は、学校に行かないという僕の決定をまったく理解できないと言った様子だ。

「なぜ、学校に行かないの」
「なぜ、学校に行かなければいけないの」
母が聞いた言葉に対して、僕はオウム返しにも似たようなやりとりをする。この点に関して言えば、常に母親と僕の意見は平行線だった。

「公ちゃん、あなたはね、何にでもなることができるの、たとえば学校の先生とか、宇宙飛行士とか、警察官とかね。あなたが望めば、本当にいろんな選択肢があるの。あなたはまだ具体的に将来、何になるか決めていないかもしれないけど、今はそれでいいの。でもね、そういう職業に就くためには絶対に必要な知識というものがあるのよ、それはわかるわよね」

「うん」

「例えば、宇宙飛行士だったら、宇宙とか星の知識とか、ロケットの仕組みとか構造も理解しないといけないわよね。あなたが学校に行かず、大人になったあとで、自分が宇宙飛行士になりたい、と思った時には、その時にはまた一から習い直さなくてはいけなくなるの。だから、これからあなたには何にでもなれるあらゆる可能性があるわけだから、それを念頭において、今のうちにでもしっかり勉強しておく必要があるの」

「それはわかるけど、それはなりたいと思った時に勉強すればいいんじゃない。宇宙飛行士になりたいと思った時に、しっかり勉強しておけばいいんじゃないかな。だけど、僕は今みんなと一緒に学校で勉強しなければいけないという意味がわからない」

「それだと、遅いの、大学とかにも入らないと勉強できないの、そのタイミングは今のあなたの年齢なの。そういうプロセスになっているの、決まっているの、日本では、ねえ、わかって」

母親は泣きそうな表情になる、というか泣いている。こうなるともうダメだな。母親は、常にきちんとした話し合いが大事だなんて日頃から言っているけど、今は彼女の中でも幾分かコントロールできない感情が混じっている。結局親子の情に訴えかけて、僕を学校に行かそうとする。

「とりあえず、僕に必要な勉強をしておいて欲しいなら、自分でも一人でもきちんと勉強するから」

泣いている母を置いて、僕は自分お部屋に切り上げた。ひどい息子なのかもしれない、という思いが頭をもたげる。僕は母親のことを嫌いではないし、彼女の泣いている姿も見たくはないから(なにしろメソメソとして鬱陶しい。化粧も落ちてひどい顔になるし)、そこまで言うのなら、という気がするのだが、それでは母親のために学校に行くことになる。

学校は自分のために行くものなのだろう?将来自分が何になるか、その具体的な手がかりになるのを探すために行くものなんだということも、自分でもわかっている。だが、あの学校は、生徒一人一人のあらゆる可能性を伸ばすため、とか言っているくせに、画一的で機械のような人間、決してベルトコンベアからはみ出さない人間を製造しているに過ぎない。だからこそ、僕は学校には行く意味が見出せないのだ。

そんな僕が、この力に出会ったのはまったく偶然だった。

(続く)


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